2018年06月13日

twitterがブロックされた

twitterがブロックされた。
リツイートしたもので元は既になくなっている。
ということは、タイトルの
「日韓開戦となれば在日朝鮮人は敵国民というだけではない。偽名使用敵国人は国際法上テロ、ゲリラと認識せざるをえない。よって戦闘に際しては、降伏拒否宣言をもって一人残らず殲滅という作戦となる」
という箇所が問題となったのだろう。

まとめておこう。

●日韓開戦となれば在日朝鮮人は敵国民
●偽名使用敵国人は国際法上テロ、ゲリラと認識せざるをえない
●戦闘に際しては、降伏拒否宣言をもって一人残らず殲滅という作戦となる


となるが、これはすべて「事実」であり、またそうなることを示している。
こういった事実を記述しても検閲が入りtwitterの規約違反になるというのだ。恐るべし言論封殺。
SNSの問題は、抗議によっていともたやすく検証もされないまま言論を弾圧することだ。執拗な抗議によって企業としては機能停止しかねないから、安易に傾くのであろう。
逆に弾圧することによって問題は鮮明になり、危険領域に入り込まないだろうか。
ナチスやソ連じゃあるまいし、今またその亡霊が復活するのか。
twitterblock.jpg
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2018年06月04日

言論の自由とSNSによるブロック、削除の問題

言論の自由とはまさに言葉の通り、何でも自由に発言できることだ。
こう言うと「差別発言やヘイトなど認めるのか」となじられるが、自由な討論を守るためにはこういった発言もあり得ることを認めなければならない。
では放置しておいて良いのか、となるが、良いのではないか。
というのも、こういう発言をする者には、忽ち別の発言者によって糾弾されるだろうし、それにもしかしたら発言の意図は必ずしも差別ではないこともあり得る。表現が稚拙な場合もあるからだ。そしてそれは議論してみなければ分からない。
あまりに酷く名誉毀損にでも該当するなら、訴訟に発展することもあるだろう。
そうなればいずれ差別主義者などは言を収め、言論空間からは退場するしかない。
これを言論の自由の担保にすればよい。
ところが、SNSなどの組織に「差別発言である」と訴えれば、「社内規定」によって、そのアカウントを凍結したり削除したりできる様になっている。
とすれば、言論は一SNSの思惑によって流されたり封じ込められたりすることになる。一企業が言論の生殺与奪を持つことになる。
恐ろしいことではないか?
慥かに、SNSの利用規約にその旨は書いてあるが、これでは「一定の勢力」に籠絡されることにならないか。
あることないことを讒言することによって、言論を封殺することが可能になる。
SNSは批難されるのを恐れ簡単に削除要求に応える傾向を持つだろう。ただの営利企業だからだ。
これでは言論など成り立たない。検閲と同じことになる。
検閲の恐ろしさを戦後間もない日本は嫌というほど知っていた筈だ。その影響は今も続いている。
差別とかヘイトとかのレッテルを貼れば、その言論の内容に関わらず潰せるというのは、まさに「言論の終焉」であろう。
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2016年12月14日

kindle本、電子書籍分野で席巻か?!

 「対話形式の本は売れない」という編集者の一言からお蔵入りになっていた原稿が日の目を見ることになった。ご存じかもしれないがamazonのKDP(kindle本)というシステムのお陰だ。いわゆる電子本だ。
 電子本といえば、kindle以前にもたしかにあったがどれも規模が小さく知名度も出版フォーマットもばらばらで、成功した例はなかった。ところが、天下のamazonがこの世界に乗り出し様相は一気に変わった。amazonが全面的に著者を支援しマーケットの広さを武器に一気に攻勢を掛けてきたのだ。なんと著者自身が出版社と同じ立場に立ったのだ。原稿さえあればわずか48時間で発行でき、しかも30%,70%という印税が用意されている。さらに市場はまさに世界的だ。世界同時発売なんて従来では想像すらできなかったことだ。まさに筆者の力量によってのみ作品が評価される。これは大きな変革だ。
 しかも仕事として出版しようとするだけではなく、従来なら自己出版という道しかなかった、それでも何かを残したいと思った人々にも経済的な負担を一切掛けることなく出版が可能になったことは表現の多様性からも画期的だ。
 大手の出版社は電子本に懐疑的であると聞き及ぶが、流れは既に電子本優位に傾いている。生まれたときからインターネットが当たり前のように存在していた世代は当たり前のように端末を利用するし、スマホの普及率を見ても、端末で情報を取得するのは当然という時代だ。これは加速することはあっても後退することはない。事実、筆者もkindleの端末を利用してから、本を読む速度は上がり、しかもその数も増えた。何百という書籍が手に乗るほどのサイズの端末で読めることは普通の本ではあり得ないことだ。たしかに紙の本でなければ本ではないという考え方を持つ人も多いだろう、それは否定しないが、多種多様の本を読もうとすれば本を置く場所はなくなる。実際筆者の周りにはもう本をおくスペースは既にない。家人からは、処分してくれと泣きつかれる始末だ。
 なにからなんでも良さそうな電子本だが、問題もある。kindleの書籍フォーマットは一応決まっているものの、現時点では、数式や化学式などの規格がないということだ。文章中に数式を多用する筆者にとってはかなり問題で現在では画像として扱わなければならないので難儀する。これには早く対応して頂きたい。
 マイクロソフトのDOC形式がそのまま完全に利用できれば、数式でも化学式でも対応できるのだから、時間の問題だと思うのだが。
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 ということで、今回発行した書籍は、「ご隠居さんと留さんの『量子力学』珍問答」というもの。落語形式(?)で量子力学の誕生までを描いたものだ。桂枝雀師匠のファンであるところから思いついたのだが、ユーモアも「数式」も取り入れたという、かなり実験的な本になった。筆者は割と気に入っている。どう受け止められるかは分からないが、でもそれはそれで良いと思う。選択肢は多い方がいいからだ。

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2016年11月28日

●火星移住詐欺?

 火星移住計画が動いているらしい。壮大な計画で実行者はかなりまじめに取り組んでいるという。
でもこれ、詐欺じゃないのかな。
 えっ、身も蓋もないって?
 たしかに人類の進歩は危険を顧みない何人もの冒険者、先駆者達によってなされてきた。
 地球が平らだと思われていた時代には、海の果てまで行ってみたいという者達は、「海の端に行ったら奈落の底に落ちてしまうぞ」と周りの者に嗤われたし、鳥のように空を飛びたいと思った者は、気が狂っていると馬鹿にされた。しかし歴史は、彼等のお陰で、多くの知見を得てきたことを示している。まさか地球の空をジェット機が自由自在に飛び交っているなど、ライト兄弟でさえ思いもよらなかったかも知れないが…。
 このように人類の進歩は、危険を顧みない冒険者、先駆者によってなされてきたことは間違いない。
 移住も同じことだったのかもしれない。欧米人、特にアメリカ人はヨーロッパ大陸から北米大陸に移住して大成功を収めた。彼等の体にはこのような成功体験が染みているに違いない。もちろん、アメリカ人にとっては、「開拓、移住」だったかもしれないが、原アメリカ人にとっては「侵略」の何ものでもないことも忘れてはならない。
 冒険者はリスクを恐れない。しかし蛮勇の持ち主ではない。考えられるリスクすべて考慮して行動する。誤解を恐れずに言えば「臆病」のはずだ。しかしこれは彼等の名誉を毀損することにはならない。むしろ賞賛すべき性質だろう。想定されるリスクは考え抜き対策を考える。しかしそれを超えるリスクは存在する。彼等はそのリスクを引き受けて冒険に挑む。だからこそ成果を得られる可能性が高くなるのだ。もちろん自らの命を省みず臨まなければならない場合もあるだろうが、それは最終手段だろう。
 では今回の火星移住計画はどうだろうか。リスクは許容(コントロール)できる範囲にあるのだろうか。どうみても無謀で時期尚早にみえる。技術的にも人間の性向からも移住を考える前に実験しておかなければならないことは山ほどあるのだ。
 たとえば閉鎖空間で数人の人間がその中だけの資源で生存できるのか、という実験を行ったことがある。1991年アリゾナの砂漠に作られたバイオスフィア2(ちなみにバイオスフィア1は地球のことだそうだ)だ。男女8人が閉鎖空間の中で生活できるかどうかを実験したが、結局破綻してしまった。その要因は、不十分な生存環境制御、食糧不足、そして心理学的要素であったという。どれも重要な課題だが、最後の心理的要素というのはかなり重い。これは「バイオスフィア実験生活―史上最大の人工閉鎖生態系での2年間 」(ブルーバックス、講談社)という本の中で、「…言葉どおり個人的ないさかいも起きました。それどころか一種の権力闘争、派閥抗争のために、すんでのところですべてが台無しになりそうな事態さえありました。バイオスフィア2に入る時、私たちは互いに、これからこの人たちとすばらしい友情をはぐくむのだと大いに期待していました。が、二年経って出てきた時には、もうほとんど口もきかないほど関係が悪くなっていた人たちもいました。」(p8)と記述されている通りだ。今回の火星移住計画で何人になるのかは分からないが、わずか8人でさえ簡単に諍いが起きてしまう事実をみると、仮に技術的な問題が解決されたとしてもこういった人間の性向を解決することは相当困難だ、できないと考えた方が良い。
 火星移住計画の推進者の一人であるイーロン・マスク氏は「人口増加や環境破壊、戦争などによる滅亡の危機に備え、人類の未来をつなぐには火星移住が必要だ」と公言しているが、この言葉こそ身勝手な人類の思想そのものではない
か。人類自ら招いてしまった結果から逃げようとしているからだ。この地球で問題が解決できなければ、どんな星に移住しようが上手くいくはずがない。地球で解決できなければ、それは人類の滅亡を意味する。解決できなければ、人類はその事実を甘受するしかない。このような考え方を持った者達が火星に移住してもおそらく数年と持たない。自壊してしまうのは火を見るより明らかだ。それがたとえ人類が生存する環境を得たとしてもだ。
 考えてみれば何のことはない、映画「インデペンデンス・デイ」で描かれたエイリアンは、人類そのものだったのだ。この映画の制作者は、意図してか無意識かは分からないが、ある意味人類の事実を描き出してしまったようにみえる。

 筆者は、文頭で「詐欺じゃないのか」と述べたが、実は「騙す側」も「騙される側」も実はいないと思う(陰謀論者なら「いや黒幕はいる。これで稼ごうという人間が」と言うかも知れないが…)。だから本当は「詐欺」ではないだろう。移住希望者の多くは自らが助かろうとして移住しようと考えているのではないだろう。むしろ次世代の礎になろうと純粋な気持ちから自らを犠牲にしようとしているに違いない。ナイーヴだとは思うがそういう志は尊い。だが思索が深いとは言えない。もしそういう志を持っているのであれば、なおさら事を急ぐべきではないだろう。本当に実現させたいのなら設定されている時間が短すぎる。たしかに何らかのプロジェクトを成功させるためには期限設定は必要だ。「いつかは実現できる」というのは「決して実現しない」のと同じ事だからだ(脚注)。しかし今回の期限設定は短すぎやしないか。50〜100年程度の時間は必要だろう。
 最後にMIT(マサチューセッツ工科大学)の研究者は以下のように警告しているという。
「現在の科学技術では火星到着から68日しか生きられない」と。

(脚注)
 余談だが、日本のFBR(高速増殖炉)が成功しないのも技術的に難しいことは承知してもそれ以上に明確に期限を設定しないからだと思う。期限のない計画は、職員の士気も上がらず、だらだらと時間だけを浪費してしまうだけだ。このFBRに頼って日本の原子力政策を策定するのでは不安に思う国民が多くいてもおかしくはない。期限を設定して、実現すれば、A案を、実現しなければB案を実行するというオルタナティヴがなければ、原子力政策は「トイレのないマンション」と揶揄されても仕方あるまい。実際使用済み燃料の処理はできていないのが現実であり、その処理は焦眉の急である。
posted by Serendipity at 14:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年11月27日

●フード・ファディズムには気をつけた方が良いと思う

 最近やたらとこれ食べたらダメ、あれ食べたら病気の元になると喧(かまびす)しい。例えば、牛乳、穀物(グルテン)、糖質など。でもこれってどれだけ科学的エヴィデンスがあるのだろうか。もちろん論文になるくらいだからそれなりの根拠があるとは思うが、医学系情報は過去の事例を考えると簡単に鵜呑みにはできない。
 少し前、焼き魚がガンの原因物質を含んでいるということで大騒ぎ(?)になったことがある。タンパク質の一つであるトリプトファンが熱せられてできるトリプP1に強烈な発ガン性があることが報告されたからだ。しかしこのトリプP1が危険だといっても、毎日継続的に2万尾にも及ぶ焼き魚を食べない限りガンの発症はないということが分かり、騒ぎは収まった。
 研究者は、こういう物質がどのようにできて、どのような作用をするのかを調べその結果を公表したのだろうが、常にセンセショーナルな情報を欲している報道機関によって、虚偽ではないにせよ針小棒大に伝えたことが事の発端だろう。そして「科学的なんたら」にすぐに飛びつく頭の良い「非科学的思考」の持ち主の人々の間で広まったのではないか?
 穀物、糖質(果実など)などは人類が誕生してから常に身近にあった食物であり、牛乳との接触はそれらより新しいかも知れないが、やはり食物として長い間人類と共にあったことは間違いない。大きな問題が発生すれば、今頃人類はとっくにそれらの摂取を止めただろう。害の方が大きければ人は生きていけないからだ。
 害の方が大きければ、人は麦や稲など栽培するはずもない。現実は、なんとか安定的に栽培できるように品種改良まで行い、栽培面積を広げている。
 穀物はなんと言われようが、長く人類の食生活の中心となっていた。パンやパスタ、日本ではもちろんお米、それにうどんなどに代表される麦は、人の命を支えてくれた重要な植物だ。それがいまや目の敵みたいにされているのはどうだろう。
 原因の一つに飽食があるのではないか。
 人類の歴史は餓えとの戦いだった(人類ばかりか従属栄養の生物はほとんどがそうだろう)。人類は飢えていた時代の方が長い。逆に自由にどんなものでも食べられるようになって、食生活がおかしくなってきたのではなかろうか。
 どんなものであれ、必要以上に摂取すれば、体も不調を来すだろうし病気にもなるだろう。ましてや飢えていた方が長かった人類ならなおさらだ。そう簡単に余分な摂取に対応できるような体に進化するはずもないのだ。
 たしかに、穀物に含まれるグルテンによってセリアック病(自己免疫疾患の一つ)が引き起こされる場合もあるだろう。古代ギリシャでこの疾患が記述されていることから、古くからあったことも分かる。逆に言えば、そういう問題がありながらも人類は穀物の摂取を止めなかった、という事実は重要だ。利が害を超えていたということだ。しかもセリア
ック病は、遺伝的要因が大きいとされる疾病(強いストレスなどでも起こる場合があるらしい)だから、体質的に受け付けない人はこれを避けさえすれば良いことのはずだ。それは牛乳の消化が困難な人と同じことだ。

 次に牛乳はどうだろう。これが体に良くないというのはかなり衝撃的だ。なにせ筆者の子供の頃は、多くの家庭で牛乳を取っていたからだ。玄関の所に配達された牛乳を入れておく箱があったことを覚えている方も多いだろう。それくらい栄養価が高い食品だと認識していた。牛乳の乳糖を消化できずお腹が緩くなる体質の人もいたが栄養価が高いという点には疑いはなかったように思う。
 それに世界を見てみると、例えばマサイ族は、牛乳と牛の血、そして特別な日に取る肉(飼っている牛)で暮らしている。ライオンを狩るということで狩猟民族のように勘違いされているが、彼等は野生動物の肉は食べない。ライオンを狩るのは通過儀礼のためで肉を取ることではないのだ(ライオンにとってはとても迷惑な民族だが…)。こういう事実をみてみると、牛乳が悪役にされるのは忍びない。もちろんマサイ族の牛のように自然の草を食べさせて育った牛と本来牛があまり食べない穀物など与え(グレイン・フェッド)肥育を促す様々な化学物質(成長ホルモンなど)を使って得た牛乳とでは違うだろうことは分かるが、そうであれば、そのようにして得られた牛乳を問題にすれば良いのであって、牛乳そのものを否定することにはならないのではないか、と思う。
 それとももっと本質的に問題があるのだろうか。乳ガンを引き起こす原因の一つとも目されているようだが、どのようなエヴィデンスがあるのか、少々疑問だ。
 先ほどのマサイ族はしっかり生き抜いてきている。まさか牛乳食に適するように「進化」したなどとは言わないだろうね。マサイ族がいつ出現したかは分からないが、それでも数千年(数万年でも良いが)程度で食生活が変わる程の進化などできないからだ(現在の知見に依れば、の話しだが)。

 最後に糖はどうだろう。これはたしかに問題があると思う。糖自体と言うより、これこそ「摂取過剰」が問題になるのではないか。最近の食品は、その多くに糖が多く含まれている。飽食に明け暮れたローマ時代の貴族以上に、多分糖は取り過ぎている。ご多分に漏れず、糖尿病の罹患率も上がる。清涼飲料水など糖の塊といっても良いくらいだ(アメリカでは、「リキッド・キャンディ」などと呼ばれている)。どこにでもあるから、特に甘味を欲しがる子供には注意しなければならない。

 個々の食品には様々な生理的作用があることは分かる。不都合な作用もあるだろう。しかし、それは長いスパンで見なければならないのではないか。今挙げてきたような食物が敵視(疑問視)されたのは最近のことだ。分析技術や研究が進んで、不都合な生理作用が分かったからに違いないが、歴史的に見れば、そういった不都合な部分をも含めて、益の方が大きかったからこそ、食品として定着してきたのではないだろうか。どんな食品にでも不都合な側面はあるだろう。しかし逆に言えば、不都合な側面を持たない「完全な食品」などあるのだろうか?科学的にピュアに選別してそういった食品(というよりは化学物質)を作って摂取すれば良いのだろうか。むしろこちらの方が背筋がぞっとする話のように思える。

 結局、様々な食を選択できる今こそバランスが取れた食物を適度に取ることが一番健康に良いのではないかと思う。
当たり前の事なんだけどね。

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参考(Wikipediaより)
フード・ファディズム (food faddism)

1. 食べもの(食べ物)や栄養が健康と病気に与える影響を、熱狂的、あるいは過大に信じること。
2. 科学が立証したこと以上にその影響を信じ固執していることであり、科学が立証したことに関係なく食べものや栄養が与える影響を過大に評価すること。
3.マスコミで流されたり書籍・雑誌に書かれている「この食品を摂取すると健康になる」「この食品を口にすると病気になる」「あの種の食品は体に悪い」などというような情報を信じて、バランスを欠いた偏執的で異常な食行動をとること。
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2015年07月07日

世界遺産登録問題





 軍艦島を始めとする数点が世界遺産登録となった。しかし、これは喜ぶべき事なのだろうか?
 果たしてこれで良かったと言えるのだろうか?
 歴史的に事実ではない「朝鮮人の強制労働があった場所」としても認定されてしまったからだ。

 実は、これが日本の弱点だと思う。一度「世界遺産登録必至」という組織が出来上がってしまうと、当初の目的(歴史的に価値ある遺産として残す)から逸脱し、それが誤った方向に進もうとも途中でそれを押しとどめることができない。おかしいと気付いた者が、異論を唱えれば排除される。まさに、小室直樹氏が喝破したpneuma(空気)の造成によって、正論は排除されてしまうのだ。それは畢竟、破滅に至る。それはまるでレミングの「死の行進」のように。

 歴史的価値があるものなら、たとい世界遺産登録に時間が掛かっても(或いは、ならずとも)、その意義を失わせてはならない。登録如何に拘わらず、国が保存すれば良いことの筈だ。今回の登録に当たっては、決して認めてはいけない、事実とはことなる「強制労働」という項目を受け入れてしまった。歴史的意味を歪曲し、それが世界遺産に登録されて一体何の価値があるのだ?
むしろ負の遺産として世界中に認識されるだけではないか。

 地元の経済効果は少ないだろうが、何でもかんでも経済優先では、国が危うくなりはしないか。
 それは触るものすべてを金に変えることを神に願い、そして叶ったミダス王の愚行のようだ。
 今はそれを思い出すときではないのか?
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2015年06月26日

移民問題





 イタリアは今、ボートピープルに頭を悩ませているらしい。粗末な船で、しかも定員をかなりオーバーして漂流しているから助けない訳にはいかない。助けたら今度は、保護しなければならないというのが、EUの規約だという。しかしイタリアとて野放図に難民を受け入れらる筈もない。そこでEU全体で難民を受け入れるべきだと主張した。EUの意思決定機関は、各国のGDPによって案分して受け入れるよう勧告をしたようだが、結果は2分され、賛成派と反対派に別れているという。
 難民達はどうなるかというと、まずは身元をチェックされ収容施設に一次置かれる。その後難民指定されれば一定の住居と生活費などを支給されるという。しかし、そこで大人しくしている者ばかりではなく、イタリアを離れようとする者もいる。フランスは受け入れに消極的で、イタリアとの国境で彼らの入国を阻止した。だが驚くべき事に、ここで大人しく返る者達ではない。早速権利を主張し始めた。「通せ!」と。国境に居座り圧力を掛けているのだ。自国が荒れて食うや食わずで棄国をした彼らが、感謝ではなく権利を主張し始めた。慥かに気の毒な面はある。しかし、酷なことを言うようだが、自国に残って自由を実現させようとすらしなかったことも事実だ。
 近代社会では「人権」を盾にされると、殆ど何もできなるなる。できなくなるどころか、それに少しでも違う言論でさえ、抹殺される。議員であれば、辞職せざるを得なくなるほど追い詰められる。中世とは違った言論封鎖がまた始まっているのだ。
 ある民族が侵入することを「侵略」の一つの定義とすれば、これは「ソフトな侵略」ではないだろうか。武力を行使しようが、騙そうが、相手の親切心を利用しようが、結局は中に入り込むことに変わりはないからだ。そして後から来た者は、未来永劫大人しくしていることはない。

 細菌の話しをしよう(移民者を細菌と言って貶めているのではないから間違えないように)。細菌は、取り憑いた生物の免疫が強ければ、排除されるか、大人しくしているが、一度免疫が落ちれば、あっという間に宿主を乗っ取ってしまう。だがこれは細菌だけの話しではない。細菌に拘わらず、生物はそのようにして自らの勢力を拡大していくものではないのか。ここに善悪などはない。端から生物はそのように仕組まれている存在ではないのか。
 それが分かっているから、人類は自らの文化、慣習を守るために国を作って守ろうとしてきたのではないのか? だから自国の文化、慣習を守りたいなら、移民を安易に考えないことだ。国があってこそ人類の多様化を保持しているのではないか。それでいいではないか。別に国と国との交流をしないという訳ではないのだから。
 「人は他の生物と違う。互いの文化から学び昇華させることができる」などという者もいるが、どうやら歴史はそうでないことを示している。アメリカンネイティブ、オボリジニ、インカ帝国、等々、一方的に滅ぼされてしまった。もう彼らの文化、慣習は失われてしまった。記録としてしか残っていない。インカなど記録さえ危うい。
 別に彼らが劣っていた訳ではなかろう。ただ「侵略」に抗する力がなかっただけだ。それを劣っているというなら非情だが、そうかもしれないが。

移民に関しては、国民レベルで考える問題だと考えるべきだ。
ただ政府だけに任せてはダメなのだ。
posted by Serendipity at 03:03| Comment(1) | TrackBack(0) | コラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年06月19日

ガンという不思議





 ガンというのは、様々な解釈があるようだが、主流になっているのは、遺伝子が何らかの原因、放射線、化学物質、物理的刺激、などによって、傷つけられそれが成長したものだという。
 しかし、よく考えてみると、その遺伝子の傷つけられ方というのは、一様ではないはずだ。
AさんとBさんと個人が違えば、例えば同じ大腸ガンでも、傷つけられた遺伝子の箇所は違って当然だと思うのだが、病態は非常に似ているし、それに同じ治療をされる。
 不思議じゃないか?
 それとも傷つけられる箇所は、人が変わっても、切れやすい場所があるとでも言うのだろうか。

 さらに不思議なのは、ガンがまるで人体の構造を知り尽くしたように、人の生体システムを上手く利用しながら、まるで「寄生生物」であるかのように振る舞うことだ。自らに栄養を送るために、新生血管は作るし、免疫系を騙したり無力化させたり、やりたい放題だ。だから「新生生物」と呼ばれるのかも知れないが、多少情緒的だが、「そこまでやるか?」と言いたくもなる。それに「生物」なら自らの宿主を殺してどうしようと言うのだろうか。
 全くもって奇々怪々だ。
posted by Serendipity at 02:38| Comment(0) | TrackBack(0) | コラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年06月15日

不思議な縁





 普段なら逃げてしまう三毛猫が、どういう訳か、ニャーと鳴きながら、こちらへ来てくれと云っているようだった。
付いていくと、そこには瀕死の子猫がいた。
おそらくだが、母親は育てられないと、助けを求めに来たのだろう。
実際、鼻には既に蛆が顔を出していた。
子猫も逃げるそぶりも見せない。もう動けないのだろう。
「こりゃダメかな」と思いつつもタオルで包みピンセットで取りあえず除去し、猫用ミルクを与えてみた。
下痢はするし吐くし、やはりダメかと思ったが…。

今ではソファーを占拠して我が物顔で寝そべっている。
右目が青で、左目が金色のオッドアイの白猫だ。
奴は今年で16歳(推定)になった。
posted by Serendipity at 02:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年06月08日

WEBサーフィンしていたらこんなのがあった





ネットサーフィンをしていたら、こんな映像見つけました。
何の問題.jpg

何かのクイズ番組のようですが、何だか奇を衒ったような問題ですね。
log416
log636
log981
なんて、2ですし、微分してしまえば、-7など意味がありません。
問題は、eで、これは単なる定数なのか、それとも「ネイピアの数」(自然対数の底)なのか、これでは分かりません。
何の問題1.jpg
となるのでしょうが、あまり良い問題ではありませんね。
単に、指数や微分を知っているか、というだけです。
ちょっと見のインパクトで視聴者を驚かせるのはどうでしょうか。
クイズとは云え、もっと良い問題があるはずです。
前に挙げた、「コロンボ刑事」の例のように。
posted by Serendipity at 23:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする