2012年07月25日

「苛め」は誰の問題?

 ボーボワールを気取れば、「人は人間に生まれない。人間になるのだ」ろう。非常に学習性の高いこのホモ・サピエンスは、環境によって様々に変わり得る。狼のような弱肉強食の世界の中で育てられれば、人は「非力な狼」になるだろう。狂信者に育てられれば、「自爆テロリスト」にもなるだろう。神に育てられれば、「神」になるかもしれない。
 しかし、何も影響を与えられなければ、生物であるが故の本能に従って成長するのではないだろうか。それは
●自己保存本能であり
●繁殖本能
だと思われる。つまり生物の基本的な行動を起こすに違いない。
 子供がまっさらの純粋な存在ではなく、抛っておけば、この基本的本能のまま、野生動物に等しくなる存在であることは、子供に接したことのある大人であれば理解できる。一方、本能を越えた存在になることもまた理解している。
 だからこそ、躾けや教育はどんな国でも、どんな民族でも最重要だと考えられているのだろう。

 「苛め」は何も特別な状況ではない。他の生物でも見られる。それは他者を排除し、自らが生き残るという生物の基本的な本能だ。何故なら競合者が減れば餌の取り分は当然増える(勝ったものから優先的に餌を得られる)。オスであれば、配偶者の獲得も容易になるだろう(メスに疎われてはダメだろうが…)。
 「苛め」(野生の中では「苛め」というよりは競争だが…)は、特に群れを作る動物で見られる。群れの中で順位を決定し、優秀な個体が群れを率いるようにするためであり、優秀な個体をまず生き残らせるという戦略があるからだと思う(遺伝学では劣敗した個体が必ずしも環境適合に不都合な遺伝子を持っているとは限らないのだが…)。
 しかし、人の「苛め」が決定的に違うのは、同じ群れであれば、同じ群れのメンバーを殺すまで追い詰めないのに、徹底的に追い詰めてしまうことがあるということだ。野生では、同種の個体を殺すことではなく、単に順位を決めることが目的だからだ。
 この点で人の本能は壊れているのかもしれない。動物界では「参った(逃避したり、服従姿勢を取ったりなど)」というサインが出されれば攻撃は止む。しかし、人はあまりにも柔軟性を持っているためか、それが仇となり、そのサインをサイン通りには受け取れない。それどころかそのサイン自体を社会から学ぶしかないようなのだ。
 となれば、サインを形成するまともな躾けがなされず、教育も受けられなければ、本能が壊れている部分、徹底かつ破壊的に現れるのではないかと思う。
 人は学ぶ(人を含めた周りの環境から)ことでその人格、性格を作っていくようになっている。この人を人たらしめる重要な部分が、兇器に化けるというのも非常に皮肉なことだ(詳細については動物学者や心理学者に聞いてみたい)
 「苛め」は子供の世界だけにあるわけではない。人の作るどんな社会でもそれは存在する。近年会社でのそれが問題になっていることは良く耳にする。本来ならいい大人が、よってたかって排除したい人間に攻撃を加えるというのは、見ていて気持ちの良いものではない、大人ということで智慧がある分、その虐めは陰湿で苛烈だ。彼らもまともな躾はなされてこなかったのだろう。

 古来から人は、「禽獣にも劣る奴」と呼ばれることが何よりも不名誉なことと考えてきた。だがよくよく考えてみると、禽獣の方が遙かに秩序だっている。無用な殺戮など行わない。

返って人はどうなのか?

禽獣を遙かに越える知力を持ち、自らを知り、環境を知り、自然の原理を、理解途上でありながらも理解し、応用する能力も持っている。
しかし、一度たりとも安寧とした社会を築けなかったのは何故なのだろうか。
人の歴史は、一面、殺戮の歴史でもある。
それは今も変わらない。
果たして変えることができるのだろうか。
それともアインシュタインが「第三次世界大戦がどうなるか、私には分からない。しかし、その次の戦争は、石と棍棒で戦うことになるだろう」と言うように自らの歴史を閉じてしまうのだろうか。

少なくとも子供たちには、躾と教育を与えなければならない。それはそうだろう。
だが、どんな躾と教育を与えたらよいのだろうか。
ここまで来て筆者は非常に悩んでいる。

子供たちは、その混乱している大人たちを透徹する目で見ている。
保身を図る教育委員会の大人たちのあの惨めで、なんの覚悟も真摯さもない態度を
苦情を訴えても大したことないと無視してしまう教師たちを
そして、希望も持てず、未来を示すこともなく、当たり障りなく生きている社会の大人たちを
それは恐ろしい程に。

「人を殺すなかれ」、えっ、大人たちは平気で殺しているじゃん。
「盗むなかれ」、万引きより遙かに巨額のものを盗んでるのに?
「自然を守ろう」、経済を優先して処理できない原発を運転してるね。何かあった時に被害を被るのは僕たちだよ。

果たしてそんな大人たちがどんな躾と教育を子供たちに与えればよいのだろうか。
言えば言うほど、ブーメランのように自分に返ってきてしまう。

………

まず「隗より始めよ」ということか。
posted by Serendipity at 01:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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