2012年09月29日

朝までテレビ「激論!原発ゼロ社会の検証」を観て

 今回の「朝までテレビ」によって、原発についてゼロにせざるを得ないと、図らずも結論が出たのではないか、と思う。つまり、推進派が誰も論駁できなかったように、処理できない核廃棄物によって既に原発は、稼働したくてもできない状況になっている。つまり中間貯蔵はもう満杯に近く、最終処分を考えなければならない段階に至っているからだ。しかも最終処分に際しては、オンカロのような深度地層処分は取れないと学術会議が進言している。常識的に考えてもこれだけ自然災害が多く、至るところ活断層が存在する日本に埋設する場所などあろう筈もない。プルトニウムを取り出す再処理も、サイクルが破綻している以上意味がない。それどころかNPT(核拡散防止条約)の懸念材料になってしまう。結局、乾式キャスク貯蔵をするしかないのだろうが、今度は、それをどこに設置するかが問題になる。発電所内か、電力会社所有地か、はたまた飯田哲也氏の言うように「電力消費地」も対象になるだろう。電気は欲しいが応分負担はしないでは「こどもの論理」、まさか駄々っ子のようなことは言わないだろうから、原発再稼働を望んでいる人にも異存はなかろう。では東京なら一体どこに作るのか。ハチ公みたいに東京の名所になるのだろうか。

 原発は稼働すべきという池田信夫氏は、「ランニングコストは一番安い」から使うべきだという。しかし、事故が起こった時などの費用はどうするのかと問われると、それは「内部化」して計算すれば良いという。しかし、保険費用などのコストも懸かるから、ランニングコストから考えても、安くはならないのではないのかという問いには答えていない、つまり自分では計算していない。苟も経済学者を名乗りたいなら、「内部化せよ」と他人事のように言うのではなく、実際に御自身があらゆる費用を計算してから言うべきではないか。でないと「数字で話ささず、情緒で話しても意味がない」という発言と矛盾する。とはいえ実際には一経済学者(?)の計算など当てにはならないから、コスト計算は最適任者である保険会社に委せる方がよい。彼らにとって重要なのは、数値だけでそれ以外の思惑は入り込む余地はない、だから冷徹に計算ができる。間違った計算をすれば、それこそ会社の存亡に拘わるからだ。この結果を踏まえれば、ランニングコストが安いとは言えなくなるであろう。

 今回の討論では、エネルギー問題をどうするかについてはできなかった。しかしたとえ原発再稼働を望む人だって積極的に原発を利用しろ、というのではないと思う。とすれば、彼らは以下の点を憂慮しているのではないか。

1.原発に変わる代替発電方法がない(自然エネルギー利用では安定供給は無理)
2.エネルギー政策上、不安定な中東の原油に頼ることはできない
3.ランニングコストが取り敢えず安い
4.国防上、原子力技術を保持すべきだ

これらの点については、もう述べてきたので繰り返さないが、1については、サイクルが完結しない以上、原発はありえない、と筆者も前から述べてきたが、ここにきて、はっきりと示された訳である。

核廃棄物が処理できない以上、少しでも理性があれば、原発という選択肢がないことは、はっきりと理解できると思う。

posted by Serendipity at 15:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年09月23日

大東亜圏再創造

青島のジャスコで暴動に乗じて略奪が行われ、青島イオン折口史明社長は、「もう、めちゃめちゃに破壊された。店内設備機器は全く使い物にならない。商品の略奪、8割方、略奪された。もうこれはデモ、ストライキじゃなくて、テロリズムです」と嘆く。社長は更に続ける「中国共産党のためでも日本政府のためでもなく、現地の人に喜ばれる企業になれればと地道に事業に取り組んできた。ただ反日と叫んでたたき壊す行為が愛国なのか。間違っている」。長年、地元学生への奨学金支給や緑化事業などの社会貢献してきたにも拘わらず、この仕打ちでは、忘恩の徒といわれてもやむを得まい。
 China,Koreaという国は、まだまだ国際社会で通用するような国々ではない。経済は一見上手く立ち回っているようだが、社会内情は、未開部族そのものだ。
これらの国々に期待を寄せたのは拙速だと言わざるを得ない。
「世界の工場」
「消費大国になる」
果たしてそうか?
社会的ルールを無視して行動する民は、それが例え、共産党が仕向けたにせよ、あまりにも民度が低すぎる。これたけカントリーリスクが高いと、通常の経済活動ができる訳もない。
 日本は、China,Koreaの経済的包囲網を東南アジアの諸国(ASEAN(China,Korea抜き))築き、むしろ対抗的立場を取らないと、日本ばかりでなく、東南アジア諸国に禍根を残すことになるのではないか。事大主義、小中華であるKoreaは取るに足らぬとしても、軍事的に強大化を図るChinaは、帝国的膨張主義(中華主義)を取っているから、経済的に豊かにしてはまずいことになる。それは軍事強化に直結するからだ。
何も今回のテロによって「羹に懲りて膾を吹く」という愚を犯すということでは全くない。むしろ気付くのが遅すぎたということなのだ。
 日本人は、漢籍家という言葉があるように、中国の思想に関しては、かなり好意的に、いや、憧れに似た感情を持つものが多く、Chinaに肩を持つ者も多いが、その古典的智慧が大衆に広まっているわけではない。一部エリート層だけが保有してきたものであり、しかも実現されることはなかったものである。
 どこぞの学者が「Pax Sinis(中国の平和)」などと寝ぼけたことを唱えているが、そんなものはない。世界を中華主義で統治されてなるものか。中国の周辺地域を見よ。どれだけ圧政に苦しんでいることか。
 Chinaは、力がない時はおとなしくしている。まるでネコのように。しかし、一度力を得ると嵩に懸かって襲いかかってくる。未だ、戦国時代を地で行く国だ。端的に言えば、古代社会に生きている国なのだ。
 日本企業は、幻想に捕らわれず、そろそろ東南アジアなど経済活動をシフトした方がよい。そして、信頼を築ける国民たちに技術の伝承など、その国の発展を助けた方が良い。
 日本がかつて行ってきたことには、功罪双方あるだろう。それを理性的に捉えられる国であれば、問題があったとしても解決は可能だと思う。実際、そのように考える台湾や東南アジアの国は多い。それこそ大東亜圏の目的ではなかっただろうか(言葉に抵抗がある人がいるとは思うが…)。とりあえず世界第三位の経済大国である日本が、リーダを務めればよい。それは主従関係ではない、断じてない。思い上がる必要はさらさらなし、そんなことはできもしないが、事実として日本以外にリーダを務められる国がない以上、その役を引き受けるべきだ。リーダを務めることはとても重大な責任を伴うし、むしろやらないで済むのであれば、したくないものだ。しかし、日本はその責務を負わなければならない。それが、過去ある意味迷惑をかけてしまった国々に対する謝罪の一つとなるはずである。
 東南アジアの国々を豊かにする。そして日本も豊かになる。拡大主義のChinaに対抗する。これがベストアンサーになるのではないだろうか。
 政府には真剣に考えて頂きたい。
 くれぐれもChinaの甘言に惑わされないようにして欲しい。

 そして経済界も、目先の利益に踊らされず、日本国、そして台湾、東南アジアの諸国の為に努力して頂きたい。会社は公器でもあるのだから。
posted by Serendipity at 19:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年09月20日

原子力技術が衰退する?

 原発賛成派は、あれこれ色々と手を打ってくるものだ。「国防上原子力技術が衰退することは好ましくない」と今度は言い出した。しかもこうあっさりと原発の目的の一つが暴露されると小気味好いともいえるが、かなり焦っているとも受け止められる。何しろこういった、「原発が核抑止力の一つである」という議論は、日本ではタブーで、原発に関しては、「絶対安全」と「平和利用」という神話だけが一人歩きしてきたのだから。
 軍事力がものをいうのは慥かである。残念ながら生物界でも非常に稀な残忍さを持つ人類は、「力」によって相手を屈服するという方法論を捨て去ることができない。この「特異稀な性質」によっていずれ自壊することは自明だが、これに関しては別に論考することにしよう。

 Chinaなどは軍事技術を蓄積するまで、機が熟するまでじっと臥薪嘗胆を決め込んでいた。それが現在のChinaの姿だ。あちらこちらであらぬ因縁を付け、領土を拡張、権益を得よう、身勝手な「中華主義」に凝り固まっている国だ。日本が、そして世界が、苦しいからといって、経済を最優先し恐るべき謀略があることを薄々気付きながらもそれを蔑ろにし、Chinaと関係を持ったことが、どんなに不安定な世界を作ってしまったことか。これから痛いほどその代償を払わなければならなくなるだろう。Chinaの軍事力が強大になることは、日本ばかりではなく世界の脅威である。

 軍事力の象徴たるものが「核兵器」だ。とはいえこの兵器、利用したが最後、地球の終わりになることは、軍事にどんなに疎いものでも分かる。人類とは、集団自殺するというレミング(本当かどうかは不明だが…)さえ真っ青になる程の自滅願望を持っている「珍しい種」であるとしか考えられない。

 こういった状況の中、日本が原子力、いや核兵器を保持して、それで解決になるのだろうか。

1.世界は、敗戦国たる日本に核兵器を持たせるつもりはまずない。持とうとすればあらゆる経済的制裁等を仕掛けてくるだろう。その覚悟はあるか。また、そうしてまで核兵器を持たなければならないものなのだろうか。議論の余地がある。

2.今まで唯一の被爆国として、核兵器廃絶を求めてきた日本が、180度方向転換したことを全世界に納得させることができるか。この自己矛盾をどう説明する?

3.假に核兵器を持てたとして、その維持管理には莫大な費用を投じなければならない。デリバリーシステム、核兵器の保全対策、テロ対策、など問題は山積する。定期的な核実験も核兵器の維持をするための核実験も必要になるだろう。それを一体どこで行うというのだ。アメリカでは、コンピュータシミュレーションができるまで実験データを収集したが、それを日本に提供することは絶対にあり得ない。加えてGDPのかなりの比率を軍事費を充てなければならなくなる。

4.「国の存亡に拘わることだから、予算をどうのこうの言うべきではない」という意見もあるだろう。だが、現実的にGDPの多くが軍事費に割かれた分、疲弊するだろう経済がさらに悪化し、事実上捻出できなくなった時どうするのか。通常兵器でさえ補充できなくなり、核兵器を持たなかった時よりさらに国防は危うくなるのではないか。


「こういう問題があるからこそ、原子力技術を合理的に保持するために、原発を隠れ蓑にするのだ」と多分、推進派は言うに違いない。しかし、それで問題が解決するのだろうか。以上挙げてきた問題の解決になる?

 筆者は、廃炉に拘わる技術開発の方が、遙かに役に立つと思うし現実的であると思う。しかもその過程で原子力技術は、衰退するどころか、新たな技術を得ることになるだろう(そうしなければ解決できない!)。原発を廃炉にしたって、原子力技術が枯渇することはないのである。何故なら廃炉するには、今まで以上に未知の原子力技術が必要になるからだ。だから「国防のために原子力技術の維持は必要」という推進派の論議は根底から覆ってしまう。廃炉を選択するだけで、図らずともそれは達成されてしまうのだ。(国防云々の議論は、先に述べた)

 ベトナムなど、東南アジアの国々から、原発の設計、設置要求があり、これをどうしてもビジネスとして成立させたいという、企業の思惑は分かる。かなりの収益になるだろうし、手を咥えて見ていたらフランスやアメリカなどの国に取られてしまうという懸念もあるのだろう。それは事実だと思し、せっかくのビジネスチャンスを潰したくない、という思いは強いに違いない。加えて、経済発展を望む東南アジアなどの発展途上国では、エネルギーの充実化はどうしても図りたい。だから原発はどうしても夢のように見えるに違いない。慥かに短期的にはエネルギーは確保できるだろうし、それにともない海外企業などの誘致を図り、経済的に豊かになるかもしれない。しかしそれはあくまでも短期間に過ぎない。やがて、原発から排出される核廃棄物は、それまでに得ていた経済的利益を一気に失わせ、寧ろ原発を導入する以前より、経済を悪化させ、さらに豊かにあった最大の資産である自然さえ失わせてしまうだろう。原発事故がなくてもこうなるのだから、もし事故が起こったら…。

 短い夢の後に悪夢が襲うのだ。まさに現実として邯鄲の夢を見ることになりはしないか。

 それでも原発を彼の地に誘致したいと考える日本企業は、国内で「原発神話」を植え付けたような欺瞞をすることなく、原発導入を希望している国々に、その功罪を正確に知らせるべきだろう。その上で、その国が導入を希望するなら、筆者は彼の国の僥倖を願うしかない。
posted by Serendipity at 02:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年09月19日

イスラム教徒が暴動?!

 預言者ムハンマドを侮辱した映画の抗議として、リビアの米領事館が襲撃され、大使と大使館員3人が殺害された事件が起こった。エジプトでも米大使館の国旗が焼かれた。預言者ムハンマドを揶揄する映画がアメリカで公開(発表?)されたためという。

 何だか良く理解できない。

 イスラム教徒にとって預言者ムハンマドが崇拝されるのは理解できるが、なぜこれが暴動になるのだろうか。アメリカ政府が支援してこの映画を作らせたのなら、大使館に抗議(もちろん暴動は論外)はあり得るだろうが、いちアメリカ人が製作したからといってなぜアメリカがとりわけ米大使館が襲撃されるのか。意味が分からない。

 假に抗議するなら一義的にその映画を製作した本人ではないのか?

 イスラム圏では何か事あるとすぐに暴動になる。本当に当惑してしまう。聖なるものが侮辱されれば慥かに怒り心頭に発するのは分かる。例えば、日本人なら誰だって、鳥居に小便などしたら不快に思う。おそらくその場面に遭遇したら、「この馬鹿者」、「罰当たりめ」と叱責するかもしれない。しかし多くは、「あいつ祟られるぞ」とそそくさとその場を離れるのではないだろうか。神の祟りに巻き込まれたら大変だからだ。神の祟りは日本人にとって非常の恐るべきものなのだ。
 イスラム教の根底には、旧約聖書があると思うが、その中の十戒に「汝、人を殺すべからず」という項目がある。これと大使館銃撃による大使等殺害と矛盾しないのだろうか。
 何といっても旧約聖書の神は、非常に厳格かつ恐懼すべき存在で、神の意志に背けば、それこそ地獄に一直線だと聞く。神が十戒で「殺すなかれ」と仰っておられるなら、この矛盾をどう越えるのだろう。もし、彼(か)の映画がイスラム教徒にとって非常に侮辱的で神の怒りに触れるとしたら、おそらく神は瞬時にして、その関係者を地獄送りにするのではないだろうか。実際、神の堪忍袋の緒が切れた例として、「ソドムとゴモラ」がある。アブラハムの度重なる執り成しによって幾度となく耐えていた神だが、正しいものが10人もいなかったということで、とうとう滅ぼされてしまった。逃げる途中振り返った(おそらく以前の生活に未練があったためと思われる)ロトの妻は、瞬く間に塩の柱にされてしまったという。かように神の力は絶大である。
 今回の映画にしても、その内容はイスラム教徒が知る前に既にご存じであった筈だ。しかし、関係者は未だ地獄に落ちていない。ここに何らかの神の意志があったとは考えられないのだろうか。神が過ちを犯す筈もない。しかし人は過ちを犯す。とすれば、神の僕たる人間が人の知恵によって勝手に解釈し、厳命されている十戒さえ破り、神が彼のものを地獄送りにしてはいないという神の御意思を一方的に無視し、何等関係のない大使等を殺害したことは、とんでもない冒瀆に当たらないのだろうか。

 日本人の筆者としては、「祟られないか」ととても不安になるのだが…。

posted by Serendipity at 14:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年09月17日

Chinaで反日暴動!

 尖閣諸島の国有地化で、Chinaで暴動が起きている。直接的な原因は尖閣であろうが、内情は政府に対する不満爆発といったところか。
 鬱憤晴らしに日本を使うなよ。
 国を信用しないまつろわぬ民を持つChinaという国が、どんなものであるか、全世界の国々は知ったことだろう(もちろん数千年に亘って民を守らなかった国が信用できようはずもないが…)。
 それにしても、やすやすと国の策略に嵌るとは未熟で未開な国民だ。本来なら政府を糾弾するのが筋なのだが、それだけの覚悟はないようだ。今後どのように付き合っていくかは慎重に考えなければならない。
 それにしても、金と身内しか信用しない民族とどのように付き合えばよいのか。中華街を作らせてしまった国で軋轢のない国はない。少なくとも自国以外で問題を起こして欲しくないものだ。

 安易に経済だけを重視した結果がこの様(ざま)である。日本企業ももう一度考え直した方が良い。メタミドホスなんかもう忘れてしまったのか。ここまで記憶力がないと恍惚の人なのかと思う、日本人は。ベトナムやシンガポールなどを重要視した方が良いのではないか。

 そして経済を最優先させるという企業論理は、この日本国内でも同じ過ちを犯しそうだ。原発がそうである。何度も述べているように、原発は不完全な技術である。安全性はもとより、最後の始末さえ技術的に確立していない。核廃棄物の処理が事実上、とりわけ日本ではできない。地震国日本では、スウェーデンのオンカロ(「隠し場所」という意味らしい)のように深度地層に埋設することはできない。彼の国でさえ、苦肉の選択であり、その管理期間は優に10万年を超える!そんな遠い未来に人類がいるのかどうかすら分からないのに、「保管」するのだと。これを狂気の沙汰と呼ばずして何という? 「保管」じゃない。管理できないのだから、名を変えた「投棄」だ。日本で行うとすれば、それは「隠し場所」どころか「棺桶」と呼ばれるだろう。日本そのものが「棺桶」になる。
 原発再開を望むということは、この問題から目を背けるということだ。実際推進派の急先鋒である「産経新聞」では、推進は言うが、この問題については述べていない。推進を言うのであれば、この核燃料廃棄物をどのように処理するかの案を一体にして述べなければならない。でなければ、公器としての新聞社としては、「恥知らず」と言われても仕方ないだろう。また原発に掛かる費用を正確に計算すれば、原発は安いエネルギーどころか、火力をも越える高い電力になる。

 電力に代替がないわけではない。使える技術はある。これも既に述べてきたが、再掲すれば、シェールガス(アメリカとの交渉次第)、メタンハイドレート(日本海側の浅海では数年内に本格稼働させることができるのではないか)がある。オーランチオキトリウムの研究も加速させるべきだ。原発に使っていた予算を重点的に振り向ければ、開発はできる。要は覚悟だ。図体の大きい物体は慣性の法則から方向転換するにはかなりの力がいる。制度、政策もそうだ。大きければ大きいほど方向転換を躊躇う。

 だがそんなに時間はない。

 現在ある核廃棄物でさえ、これ専用の機関(もちろん廃炉に当たってだ)を立ち上げ、処理方法を考えなければならない。これだけでも絶望的に深刻だ。「もんじゅ」のような高速増殖炉の実現はもうない。何十年も掛けて実現できないし、国際的にも不可能と認識された今、「積極的な諦念(真剣にやってみてダメなら諦める)」は必要だ。はっきり言おう、往生際が悪いのだ。日本人は本来、この言葉が大嫌いではないか。
 失敗を認めろというのだ。今ならその責については問わない。だが、ずるずると責任逃れをしているなら、徹底的に追求されることになる。

 本来、経済というのは、「経世済民」、つまり「国を治め民を救う」という意味ではないか。「国を滅ぼし民を苦しませる」のではなにをか況んや。

 それとも、また「エコノミック・アニマル」と呼ばれたいのか?
 少なくともChina以下にはなりたくない。
 あらっ、それって最下位か。
posted by Serendipity at 20:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年09月13日

LOTO6に八百長疑惑!?

 以前ブログでLOTO6について書いたことから、「八百長ってあるんですか」とか「不正操作されてるの」なんて質問されることがある。みずほ銀行が存亡の危機に立たせるようなそんなばかなことをするはずがないので、「都市伝説」みたいなものと一笑に付せるのだけど、ネットを調べてみると結構詐欺まがいの商売があるのも事実のようだ。例えば、

開催回 日  付 第1数字 第2数字 第3数字 第4数字 第5数字 第6数字 ボーナス数字
222 2005/1/20 4← 14 15 22 29 31 20
223 2005/1/27 7 9← 19 26 30 32 3
224 2005/2/3 12 17 18← 19 30 35 13
225 2005/2/10 9 11 21 31← 35 38 13
226 2005/2/17 8 26 36 40 42← 43 21
227 2005/2/24 6 13 17 29 32 36← 35
228 2005/3/3 5 8 17 26 36 39 34←
229 2005/3/10 8 16 21 24 27 36 20
230 2005/3/17 4 9 18 31 36 42 34
           ↑    ↑   ↑   ↑   ↑   ↑   ↑
のような例を挙げて、八百長があると吹聴し、「実はうちの会社は、そのグループから情報を買っています」なんて言って法外な情報料を要求するという手口だ。
 慥かに、222回の第1数字223回の第2数字…第228回のボーナス数字が230回の数字にピタリと当てはまっている。これを見せられると、「ん〜、やっぱりあるのかなぁ」と信じる方もいるかもしれないが、確率的には、こういった事象が起こっても別段不思議ではないのだ。
 人間には、どんな現象にも何かしらの理由付けをしてしまうという「癖」がある。ちょうど写真に3点があれば「顔」を見てしまう(見ようとする)という脳の性向と似ている。心霊写真が撮られるのもそんな原因がある(すべてであるかは別にして…)。
 人は、起こった現象には何らかの意味付けがないと不安なのだ。理屈が付けば、次にその現象が起きた時に対処の方法を取れるからだ。理屈が付きにくければ、最終的には、「神の思し召し」という最大の理由付けさえしてしまう。神が決めたんじゃしょうがないや、ということで気持ちを落ち着かせるのである。
 科学は多くの現象を説明してきたが、それでも多くの人から見たら足らないかもしれない。しかし、LOTO6のような限定されて条件の中での説明はきっちりできる。

 統計解析を使えばいいのだ。

 LOTO6は完全に母集団が分かっている。分布(確率)も分かっている。だからそれと開催された数字の分布が一致しているかどうかを調べれば、不正があったかどうかは分かる。もし不正に操作されていたとしたら、どんなに巧妙に隠したとしても、それは実際の数字に表れてしまうのだ。
 そこで、理論的な分布と実際行われた当選数字の分布をχ(カイ)二乗検定してみると、間違いなく同じ分布であることが分かる(詳しくは述べられないが、実際に計算したので間違いない!)。
 以上から、LOTO6の数字の出方というのは、完全に独立事象で、数字間の繋がりというものはない、「この数字が出たから次はこの数字が出る確率が高い」なんてことは全くない!(但し、理論的な分布には従う)
従って、

「必ず、3等以上当選させます」

なんて宣う会社があったら眉唾ものだと考えて間違いない。
皆さん、くれぐれも詐欺に遭わないように!
統計も役に立つよ〜!
posted by Serendipity at 18:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年09月10日

尖閣諸島、国が購入

 尖閣諸島を国が購入することが明らかになった。これも石原都知事の「後押し」があってのことだが、なんだか釈然としない。まず、所有者が民主党政権下では、国に売るつもりはない、と明言していたにも拘わらず、4億かさ上げされたら掌を返したように売却してしまったことだ。元々中国に弱腰であった民主党政権では、信用できないから、売らなかったのではなかったか。もちろん4億も余計に払われれば、転ばないこともないだろうが、それなら最初から偉そうに言わなければいいのに。
 それとも国との密約でもあったのだろうか。もちろん一般人と国との密約なんて、いつ反古にされても文句は言えないのだろうから、それも懐疑的だし。
 筆者は、都が購入して、必要な施設を作った後、国に売却する方が筋が通っただろうと思う。そうでないと、今まで通り、国は当たらず障らずののらりくらいとした対応しか取らないだろうから。
 いずれにせよ決まってしまったことだから、しっかりと国土を守って頂きたいと思う。
 覚悟するのは、国ばかりか、国民一人一人なんだけどね。
posted by Serendipity at 19:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年09月08日

9/7/2012付産経新聞「賢者に学ぶ」適菜収「他にも守るべきものがある」を読んで

 このコラムで、三島由紀夫の言葉として、「…しかし、国土というのは単なる地面にあって、これは日本がたとえ共産政権になったとしても、何んの変わりもない」(栄誉の絆でつなげ菊と刀)を挙げている。
 そうだろうか。
国土は単なる地面に過ぎないのだろうか。筆者はそうは思えない。国土というのは自然そのものであり、文化や文明というのは、その自然の中で育まれてきたものではないか。例えば極端な話、将来火星がテラフォーミングされて人が住めるような環境になったとき、そこに日本人が移住したとして、果たして今のような日本人の文化を維持しているだろうか。最初は象(かたち)だけでも継承されるかもしれない。しかし、全く違う環境で、環境に依存した文化を維持できるものとは思えない。
 火星は極端にしても、日本人がユダヤ人のようにディアスポラを経験したら、ユダヤ人のように同一性を保つことができるだろうか。周囲と上手く折り合うことを何よりの信条とする日本人は、その地に溶け込んでしまうのではないかと思う。中華街のようなものができるかどうか、はなはだ疑問だ(慥かに日本人街というのもLAやSFにあるにはあるのだが、中華街ほど強烈な存在ではない)。ユダヤ人には強烈なユダヤ教がありこれらが彼らを纏めたと思う。日本人にはそういう縛りはない。日本という国土の中で、絶妙なバランスの上に成立した、脆い花のようだ。離散すれば日本人は、それぞれ散った地の人となるだろう。世代が下ればいずれ消えてなくなると思う。融通無碍、これが日本人の特質の一つであるからだ。
 三島は続ける。「日本というものの特質で、それを失えば、日本が日本でなくなるというもの」という、それは適菜収氏の弁によれば、「『日本精神』などといった抽象的なものではない。あくまでも現実世界に存在するものだ」ということである。その通りで、これなら分かる。では「現実世界に存在するもの」とは何か。それはまさしく日本にある自然(そしてそれを母体とする文化)のことではないだろうか。日本は、世界でも稀なはっきりとした四季を持ち、山紫水明がふさわしい国だ。そして日本語。こういった環境があってこそ日本人は形成される。どれが欠けてもおそらく日本人たりえないだろう。
 だから、これほど日本を理解している三島が「国土というのは単なる地面」と言い切ることに不自然さを感じる。
 3.11の大震災で、福島は放射能で汚染されてしまった。この地は拡散した放射性物質を集積し、立ち入り禁止区域とするのが、理性的であろう。だがそうはならない。もしこれがアメリカで起こったなら、補償金をどっさり貰って、さっさとその地を捨てて別の土地で暮らすことだろう(良い悪い言っているのではない)。しかし日本人にはそれはできない。なぜなら、日本人にとって、身土不二、つまり、土地は人、人は土地そのものであるからだ。それも「故郷」が大きな存在であることが大きな特徴だ。同じ日本だからといって、他の県に移住すればよいとはならない。生活が、完全にその地の自然と一体化することで成り立っているからである。良くも悪くも古代の生活を現代にしているようなものだ。豊かな自然によって、生活様式を過激に変える必要性がなかったのだろう。
 福島はこれから大変だ。今までであったことのない「土地の穢れ」と対峙しなければならないからだ。それも自然が仕掛けたものではない。地震、津波などの災害だけであれば、自然に対する畏怖を持ちながら立ち上がることはできるだろう。しかし今回は、人間が仕掛けてしまった。未熟な技術を背景にした安全神話に踊らされ、天に唾する行為をしてしまった。この負い目から立ち上がることは精神的にも物理的にも容易ではない。簡単に言えば、「ご先祖様に合わす顔がない」という思いだ。日本人は、「穢れ」を嫌う。それは身土不二であるからだ。

 日本全国に点在する原発は、日本人を抹殺してしまうかもしれない。土地が穢されれば、日本人は生きられない。事故だけの話をしているのではない。假に安全に運転されていても、日々排出される放射性廃棄物の対処法はない。假に原発を全ては廃炉にし解体しても、想像を絶する廃棄物が残される。再処理してさらに原発で燃やす?もともと今の原発はそういう構造になっていない。セイフティ・マージンが一気になくなる。しかも根本的な解決策にならない。再処理施設の六ヶ所村では、もう貯蔵は満杯だ。直接地下処分も念頭に置かなければならないという。しかし、あの広大なアメリカでもそれはできなくなっている。国土が狭い上に地震などの災害が多いこの国のどこに埋設するというのだ。そうでなくても管理は数万年、10万年単位だ。これを自殺行為でなくてなんと呼ぶ。

 原発を維持したい勢力は、「電力がなくなれば国は衰退する」、「電気料が上がればメーカーは海外に出て行くしかない」などと必死に危機を煽る。しかし、膨大な核廃棄物をどうするのだ、という切実な問いに一切答えようとはしない。無責任で破滅的だ。結局、負の遺産を後世に残すと明言しているに過ぎない。しかも、原発による電力はは安いとまだ信じている。補助金やら補償金、廃棄物の処理、燃料の海外依存などの問題を考慮すれば、高い高いといわれる火力より高くなるのは間違いない。火力用燃料なら、シェールガスやメタンハイドレイト、石炭(昔とは違って汚染物質の排出は少ない)など使えるものは多くある。その間に太陽光、風力、潮力、地熱などの本格稼働まで時間を稼げる。原発にはその見込みがない。高速増殖炉は実現できず、核融合炉は実現できない。そんな不安定な技術に未来を託することができるのか。

 東海地震の犠牲者は36万人を超すだろうという予想が発表された。しかし、浜岡原発崩壊による犠牲はこれに含まれないという。誰も怖くて発表できないのであろう。欺瞞だ。

 原発は即刻廃止し、放射性廃棄物の処理をどのようにするか、早急に研究しなければならない。加えて、原発にかかっていた予算は、新エネルギーの開発に重点的に向けるべきだろう。

 日本版アルマゲドンなど誰も見たくはない。
posted by Serendipity at 15:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年09月02日

断層ずれても「運転可能」?! 自滅するつもりか?

 8/29/2012付け産経新聞によると「原発直下に地盤をずらす『断層』があったとしても原発の運転を一律に停止せず、継続の可能性を残す新たな安全評価基準の導入を、経済産業省原子力安全・保安院が検討していることが28日分かった。…専門家の意見を踏まえて近く決定し、近く発足する「原子力規制委員会」に引き継がれる。」
 簡単に言えば「安全の基準緩和」である。本来なら志賀原発など、断層上に建てられている原発は危険であるから、即時廃炉というのなら分かるが、それどころかたとえ断層があったとしてもそれが軽微であれば稼働させて良いというのである。専門家に意見を聞くと言うが、もちろん原理力ムラで固めた茶坊主学者を利用するだけで、結論は決まっている。こういう重要な決定が、密室で行われることをもっと恐れていい。基本的にすべて公聴会として行うべきものだ。賛成派がいてもよい、しかしそれと同数の反対派がいなければならない。そして何より、専門家というのであるなら、基本的に双方議論の余地がないコンセンサスがあるだろう。その則(のり)から外れるなら、専門家という看板は外したまえ。君たちは政治家ではない。断じてない。医者がヒポクラテスの誓いを守るように、(特に自然を相手にする)学者は真実の前に謙虚でなければならない。どんなに良くできた假説でも、自然がノーと言えば引き下がらなければならない。そうでなければただの夜郎自大である。
 レバ刺し規制を見て分かるように、官僚の本性は保身である、羮に懲りて膾を吹くのが彼らである。高々レバ刺しごときであの及び腰である彼らが、3.11の大震災を見て尻込みしないはずがない。従来なら国民からの批判を躱(かわ)すために、「断層」が見つかれば、あっという間に規制を強化するのが彼らの本能だ。ところが、それと全く反対のことをしている。こういうときには別の本能が働いたと考えるべきだ。それは省益。延いていえば、国益など二の次、畢竟自己保身ということだ。これが彼らの最大の使命だから宜なることである。
 もちろん、原発を抛棄することなど気はさらさらないということだ。これが「経済産業省原子力安全・保安院」の正体である。

 しかしここまで露骨だと、とうとう気が触れたのではないか、としか考えられない。
ごまかし続けて建設してきた原発を、自らが逃げ切れるだろうと想定した期間より短い時間で危険な状況に陥れてしまうに違いない規制緩和をするとは、狂ってる…、としか言いようがない。

 何度も言うが、3.11以降、本来なら、安全基準を高めるべきなのに、逆に緩める。これは明らかに原発政策は止めないぞ、という無知蒙昧で意固地な意思を政府は示したわけである。

 よかろう。そういう気なら、選挙で白黒を付けようじゃないか。

 国民は選挙にあたって、必ず「原発廃止」であるか否かを確認することだ。特に若い連中にとっては近く行われる選挙は重要だ。君たちの将来、それどころか生き延びられるかどうかを決められるギリギリの選択だ。年寄りにとっては、よほどの有識者か、実際に被害を受けた者でない限り原発など気に止めないだろう。彼らは電力不足になったらどうするのだ、としか考えられず、それ以上の思考は停止しているからだ。だいたい假に被曝したとしても発症までに5年から数十年かかるから気楽なものだ。そんな先には誰一人としてこの世にはいない。
 甘い蜜を吸ってきた原子力ムラの住民とてそれは同じことだ。高放射性物質の処理など今は我々には解決できないが、将来の“優秀な”君たちなら、なんとかなるだろう、と無責任に押しつけて、自らは安穏として鬼籍に入るのだ。

 「電力が不足したらどうする」(もちろん嘘であることがばれているが)という、まるですべてを分かりきったような、「それが公平に考えられる大人の感覚なのだ」、「世の中そんな単純なものじゃない」とかまるで神の如く、或いは智慧のある老人の如く言いたいだけなのだ。「年を取れば経験で分かる」などとね。しかし、ビスマルク宰相に言わせれば、「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」であることも述べておこう。
 未来がない老人(少なくともサミュエル・ウルマンの言うような老人ではないなら)に未来を語ることなどできない。未来を語り夢を実現させるのは若者しかいないではないか。しかも、原発の影響をもろに受けるのはその若い世代だ。こんな不合理な社会構造を受け入れることができるのか。唯々諾々として受け入れるのか?
 一人一人の票は小さいかもしれない。しかし、投票でしかこの国は変わらない。革命で変えるべきでもないだろう。幸い独裁国ではないから、法を守ることで国の象(かたち)を変えることができるのだ(独裁国家の国民にとっては、まさに垂涎の的に違いない)。
 だからこそ、若い連中は、真摯に選挙には出向いて、投票行動を起こすことだ。投票しないとということは、どんな理屈を捏ねても、現在の社会構造を暗黙的に了承していると表明することに等しい。実際に「投票」したと同じことなのだ。

 政府も電力会社も、原発を廃止し、次世代の発電方式に移行してゆけば、新しい職場もエネルギーも確保できることは既に知っている。にも拘わらずその動きをしないのは、ただ無為に終わる廃炉の費用を払いたくないのだ。
 しかし、特に政治家は国民の代表であろう? ならば国民の意思を無視する政治家とは何者なのだ。慥かに外交、国防に関しては、素人が踏み込めない闇の世界もあるだろう。それを国民の意思だからといって、明らかに国を滅ぼすような施策は採れないのは分かる。「国破れて山河あり」では最終的に国民の意思を表していないからだ。しかし、生中な政治家が「民に知らしめるべからず」などと安易に口に出しても、思ってもいけない。その言葉を発する前に、その政治家は、文字通り命を賭けて、国土、国民を守る決意があるかどうかを常に自らに問うているか、もう一度思い返すべきだ。そうでなくば、政治に携わって頂きたくはない。
 筆者は、優秀な政治家であれば、どんなに費用を掛けても全く惜しくはない。ほとんどの県にある飛行場をプライベートジェット(もちろん公用に当たっての話だが…)で利用して日本中を回っても何等問題はないと思っているく、それだけの仕事ができれば、おそらく筆者ばかりではな誰も文句は言わないだろう。文句を言うのは、露骨に無駄が多く、政治家のモラルがないからだ。官僚の「汚職」も目に余る。「天下り」なんて、天から救い主が降りてくるような呼び方で全く適切でない表現で、これは「(広義の)汚職」と表現すべきなのだ。「いや能力があるのだから会社が引き抜きたいと思っているのだ」と反論するのであれば、退職した役人は全てハローワークに登録すればよい(但し、管理対象であった会社は除く)。優秀であることが事実であれば、登録と同時に雇用を願う会社の引く手数多の攻勢に遭うに違いない。ヘッドハンティングなど当たり前の筈だ。正式な手続を経て仕事に就けばよい。

 政治家の言葉があまりに軽い。それは、その政治家を当選させた国民にも責任がある。バカな政治家と呼んでも、そんな政治家を誰が選んだのかということだ。
 それに自らの利益、都合のために政治家を支持する応援母体などもうんざりだ。政治家という職業は本来なら並の人間ではできない。少々頭が良くても、例え会社を経営した経験があったとしても、多少の行動力があったとしても、おそらく無理だろう。図抜けた実力が要求される(特に国政では)。余程の覚悟と自信がなければ、たとえ父親の票田があったとしても、立候補は止めて頂きたい(ポッポさん、あなたもだよ、大体次回の選挙にはでないと言った筈だが)。

 それにしても明らかに詐術を用いて、できもしないマニフェストで国民の票を獲たとしたら、それは詐欺というものだろう。何故なら、そこに表現されている項目を、国民は信じるしかないからである。それさえも信じることができないというのであれば、一体何を信じて投票行動を起こせば良いというのか。

 今回も美辞麗句に彩られたマニフェストだのアジェンダだの、できもしない政策を並べて選挙を行うのだろう。もう騙されたくはない。しかし、選ぶのには表明したそれらのものしかないのも事実だ。各国民が、実現して欲しい項目を決めて、これだけは守って頂きたいと再三再度念を押して、候補者に詰め寄るしかない。多くの候補予定者はブログを持っているから、積極的に質問することだ。返信のない候補などもちろん言語道断である。返信された文章を以て判断の材料にするしかないだろう。

 鮫脳宰相と呼ばれた政治家が、「有権者は選挙中、寝ていて欲しい」などと戯言を言ったが、オペラではないが「誰も寝てはならぬ」のだ。

Nessun dorma!    誰も寝てはならぬ
Nessun dorma!

Dilegua, o notte!  夜よ去れ!
Tramontate, stelle! 星よ沈め!
Tramontate, stelle!
All'alba vincerò!  夜明けには勝ち取ってみせる!
Vincerò!      私は勝つ!
Vincerò!      私は勝つ!

国民は勝利することができるのだろうか? それともただ自壊してゆく姿を目にするだけなのか…
posted by Serendipity at 22:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。