2012年09月19日

イスラム教徒が暴動?!

 預言者ムハンマドを侮辱した映画の抗議として、リビアの米領事館が襲撃され、大使と大使館員3人が殺害された事件が起こった。エジプトでも米大使館の国旗が焼かれた。預言者ムハンマドを揶揄する映画がアメリカで公開(発表?)されたためという。

 何だか良く理解できない。

 イスラム教徒にとって預言者ムハンマドが崇拝されるのは理解できるが、なぜこれが暴動になるのだろうか。アメリカ政府が支援してこの映画を作らせたのなら、大使館に抗議(もちろん暴動は論外)はあり得るだろうが、いちアメリカ人が製作したからといってなぜアメリカがとりわけ米大使館が襲撃されるのか。意味が分からない。

 假に抗議するなら一義的にその映画を製作した本人ではないのか?

 イスラム圏では何か事あるとすぐに暴動になる。本当に当惑してしまう。聖なるものが侮辱されれば慥かに怒り心頭に発するのは分かる。例えば、日本人なら誰だって、鳥居に小便などしたら不快に思う。おそらくその場面に遭遇したら、「この馬鹿者」、「罰当たりめ」と叱責するかもしれない。しかし多くは、「あいつ祟られるぞ」とそそくさとその場を離れるのではないだろうか。神の祟りに巻き込まれたら大変だからだ。神の祟りは日本人にとって非常の恐るべきものなのだ。
 イスラム教の根底には、旧約聖書があると思うが、その中の十戒に「汝、人を殺すべからず」という項目がある。これと大使館銃撃による大使等殺害と矛盾しないのだろうか。
 何といっても旧約聖書の神は、非常に厳格かつ恐懼すべき存在で、神の意志に背けば、それこそ地獄に一直線だと聞く。神が十戒で「殺すなかれ」と仰っておられるなら、この矛盾をどう越えるのだろう。もし、彼(か)の映画がイスラム教徒にとって非常に侮辱的で神の怒りに触れるとしたら、おそらく神は瞬時にして、その関係者を地獄送りにするのではないだろうか。実際、神の堪忍袋の緒が切れた例として、「ソドムとゴモラ」がある。アブラハムの度重なる執り成しによって幾度となく耐えていた神だが、正しいものが10人もいなかったということで、とうとう滅ぼされてしまった。逃げる途中振り返った(おそらく以前の生活に未練があったためと思われる)ロトの妻は、瞬く間に塩の柱にされてしまったという。かように神の力は絶大である。
 今回の映画にしても、その内容はイスラム教徒が知る前に既にご存じであった筈だ。しかし、関係者は未だ地獄に落ちていない。ここに何らかの神の意志があったとは考えられないのだろうか。神が過ちを犯す筈もない。しかし人は過ちを犯す。とすれば、神の僕たる人間が人の知恵によって勝手に解釈し、厳命されている十戒さえ破り、神が彼のものを地獄送りにしてはいないという神の御意思を一方的に無視し、何等関係のない大使等を殺害したことは、とんでもない冒瀆に当たらないのだろうか。

 日本人の筆者としては、「祟られないか」ととても不安になるのだが…。

posted by Serendipity at 14:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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