2012年10月31日

家電メーカの再生

LOTO6をはじめる前に読む本


ご隠居はんと留はんの「量子力学」珍問答
======================
 デフレが解消しない折、家電メーカは価格破壊によって大打撃を受けている。高品質が売り物の日本家電だが、その微妙な差がコストパフォーマンスとバランスが取れず、結局安い韓国、中国の商品に流れてしまうということなのだろう。
 例えば、慥かに日本のHD液晶テレビは表現能力は優れていると思う。しかし、その差も価格差に見合っているとはなかなか判断されない。だいたいテレビにそれだけの高画質を望むユーザはそう多くはない。お笑い番組やニュースなどHDである必要すらないし、ドラマも内容がまず重要視されるのであり、そうでないものをHDする価値は殆ど見当たらない(私的判断だが)。米国ドラマの「Law & Order」など、初期の作品はSDであるが、それでも見る価値はあると思う。やはりコンテンツが主体でテレビはそれを生かす手段でしかない。
 表現装置に良いものができれば、コンテンツもそれに着いてくると言うのは、従来表現できなかったものが表現できるというメリットもあるから、本末転倒とは言わないが、それに近いものはあると思う。
 例えば、PlayStation3(PS3)という非常に優れたゲーム機がある。この装置の表現能力は非常に高い、グラフィックコンピュータといってもいい。しかしだからといって、ゲームそのものが面白いかどうかは、全く別物だ。むしろゲーム会社は、その表現能力を生かそうと躍起になってしまい、ゲームそのもののエンターテインメント性を失わせてしまっているのではないか。
 事実2世代も前のPlayStation(PS)での「バイオハザード」などのゲームは、あのハード仕様でよくぞ表現したものだと感嘆され大ヒットした。その後Wiiによってリメイクされた際、本来このゲームが意図していた表現ができたのであるから、優れた装置は必要なのだが、やはりその順番はコンテンツ優先であることには違いない。
 PSはその後PS2と進化し、このゲーム機でゲーム市場はかなりの隆盛をみた。ゲーム機の性能とコンテンツのバランスがほどよくマッチしたのではないかと思う。今でも性能的にはPS2で充分だろう。今でも表現力とソフト開発容易性では高バランスを保っているとと思う。
 メーカとしては、いつまでもPS2に留まっている訳にはいかないというのはその通り。しかし、高性能になればそれだけ扱うデータ量、プログラミングの量も増えるから、体力のないソフトハウスは大変なはずだ。
 HD液晶テレビが、4K〜16K(現行HVテレビの4倍から16倍の解像度)を目指している。技術としては当然の流れだろう。記録メディアも現行のBlu-rayの容量が25GB〜50GB、BD-R XLでも100〜128GBだからBlu-rayに変わる新しいメディアが必要になるだろう。ユーザとしては、またかぁ、という気持ちにもなる。
 ビデオレンタル店をみれば分かるように未だDVDが主流だ。Blu-rayは思ったようには主流にはなり得ていない。それにあまり普及させようという気もないようだ。というのも、一時DVDとBlu-rayどちらでも読めるメディアがあったのだが、今では見ない。DVD,Blu-rayどちらでも再生できるのだから、面白いメディアを作ったものだと感心したのだが、あっという間に消えてしまった。コストの問題があったのかもしれない。しかしこれはチャンスではなかっただろうか。
 しかも、(Blu-rayというよりは、ビデオ規格の問題だが)SONY陣営とPANASONIC陣営の意地の張り合いがあって、PANASONICは、Blu-rayにHDで記録できるだけではなく、従来のDVDにも記録できるというAVCRECという規格を持っているが、Blu-rayに拘り続けているSONYは、これができない。記録規格の混乱によって、ビデオテープレコーダーで混乱させた以前のVHS、β戦争を彷彿とさせ、ユーザとしてはうんざりだ。この点で問題があるのはSONYの方ではないかと思う。技術中心主義でユーザの都合などお構いなしに上から目線で規格を押しつけてくる。
 VHS、βは、そもそも物理的に形状が違うから、使える、使えないははっきり分かるが、Blu-ray(或いはDVD)ディスクでは見た目で区別できない。ユーザからすれば同じBlu-rayディスク(或いはDVD)でも機種によって再生できないなどというのは言語道断だ。
 また販売用のBlu-rayソフト(映画)の読み込み時間が異常に長いのも問題だ。映画を見たいだけなのに延々と待たされるのでは堪らない。冗談抜きで壊れたのかと思った。
 問題はまだある。入力にディジタル端子が存在しないのである。いや、正確に言おう。iLinkやLANなどでディジタルデータを入力することはできる。しかし、VTR時代には明示的にあった入力端子が、現行のディジタルレコーダには、ディジタル入力端子(例えば、HDMI)がないのである!スマホのHDMI端子からレコーダに繋げないのである。
これは普通、半製品と呼ばれるものではないのか?
メーカがこんなユーザを馬鹿にしたような製品を作るからそれはブーメランとなってメーカ自身に返るのだ。
これがレコーダ普及の足枷の一因だろう。
 上記に挙げたiLinkには、困った経験がある。A社とB社の製品をiLinkで繋げたのだが、繋がらない。そこでA社に尋ねると、開口一番「当社の製品同士ですか」と逆に訊いてくる。そうではないというと、「他社製品との接続に関しては当社では分かりかねます」と答えるではないか。iLinkというのは接続の規格であろう。にも拘わらず、「接続」ができないから尋ねているのである。繋がらないとは、メーカとして技術者として恥とは考えないのだろうか。こういう姿勢では、規格化などに拘わって欲しくない。機能しない規格なんて意味がない。

 ユーザから見れば、混乱しているのはメーカ自身だ。それで「売れない、売れない」と嘆いても、ユーザは買いたくても買えないということを理解していない。それぞれのメーカの創業者の信念はどこへ行ったのだろうか。ユーザを置いてきぼりにしてメーカの繁栄などあり得ない。
 良い例がある。海外で洗濯機を、なんとイモを洗うのに使っていた。日本のメーカは馬鹿にして見向きもしなかったが、サムスンは、なるほどこういう使い方もあるのかと、早速イモ洗い専用の「洗濯機」を作って販売したところ大人気となったという。
 もちろん成功例もある。こういった経験を積んでか、インドでは、セパレート型のエアコンを導入して成功を収めているらしい。とにかく冷やしてくれ、というのがインド人の要望だった。しかしセパレート型は多機能で、窓に設置するタイプのものに比べて高価格であった。そこで冷やすことだけに重点を置き、窓設置タイプと同価格程度までにしたら売れたという。分離した方が、室内機は小型化できるし、騒音も少ない。しかも窓の機能を損なうこともない。だから売れないわけがない、ということだ。
 同じインドで、テレビもインド人の感性に訴え、売れているという。インド人は、鮮明な赤、鮮やかな青が好きらしい。そこでこれを強調した色彩に変更したところ売れ行きが上がっているという。少々高くなっても選んで貰えたら、それこそ技術の勝利ではないか(画像を破綻させずに強調するのはかなり経験と技術が要るらしく、一朝一夕に後進メーカが追いつけるものではないとのことだ)。ディジタル化で商品の差異化が難しくなっている折、こういったところに技術力を発揮できる部分があることは一筋の光明だろう。

 良いものが売れるのではない、必要なものが売れるのだ、という当たり前のことが、技術中心主義の日本メーカにはよく理解できなかったのだろう。ユーザの要求に答えるのが、まず第一義である。技術は裏で磨くべきものだ。決して押しつけてはいけない。さらりと差異を示すのがかっこいいではないか。

日本メーカには、また花を咲かせて貰いたい。
LOTO6をはじめる前に読む本


ご隠居はんと留はんの「量子力学」珍問答
posted by Serendipity at 20:46| Comment(3) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年10月23日

無実なのにどうして自白したのか?

コンピュータウィルスによって誤認逮捕された問題については、以前述べたが、どうも焦点がぶれているようでならならない。
問題の核心は、誤認逮捕ではなく、無垢でありながら自白していることである。誤解を恐れずに言ってしまえば、その他のことなどドーでも良い。こういった知的犯行はこれから増えることは間違いないから、FBIのようなエリート集団を作らない限り解決はできない。逆を言えば解決策はあるからだ。
 しかし、自白を誘導、捏造することは、それ以上に早急に対策を講じないことは、冤罪を捜査機関が暗黙的に助長していると言わざるを得ない。
 捜査員が特定の人物を「犯人」だと思い込むと、犯人であることを補強するような証拠探しばかり行い、「被疑者」の言い分をまず聞かない、という傾向が顕著になる。捜査官の心の内では、「『犯人』の言うことなどウソに決まっている」となるのだろう。こういった「潜入捜査」ならぬ「先入観捜査」が問題なのだ。社会的に大きな問題にならないのが不思議なのだが、痴漢事件などその最たるものだろう。被害者と被疑者の言い分が違い、かつ被害者も確実に被疑者を特定できない事件であっても、一度疑いをかけられたら、もう逃れる手はずがないという。弁護士でさえ、「その場から逃げられるものであればすぐに逃げて下さい。捕まっても潔白であるから問題はないと決して思ってはいけません」とアドバイスするくらいだ。
これを恐ろしいと思わないか?
電車に乗る時には、絶対に女性(老若の区別はない)のそばは避けるべきだ。これは鉄則だと考えておくべきだ。
 一度「犯人」という心証を得られると、もうなすすべがなくなり、事実上、後の人生は悪夢になることだろう。仕事はなくなるし、家族離散もあり得る。
 冤罪ほど人の心身を殺す「犯罪」はない。しかも官製であるから始末が悪い。

 袴田事件というのがあった。先日TVで放映されたが、その中で一度も裁判に出てこなかった証拠に「自白テープ」というものが紹介されていた。一聴するに、自らの犯行を淡々と語っているかのように聞こえるが、実際には、それ以後に発見された証拠と異なる供述を語っていた。その部分は割愛するが、明らかに供述が誘導されていることが分かる内容であった。
 一日中密室で13,4時間も何人もの捜査官に問い詰められれば、どんな人間だって精神的に破壊されてしまうだろう。だからこそ先進諸国では、供述に関しては厳しい見方をしているのだ。ひとり日本だけが、江戸時代から続く「自白」に頼りすぎ、物証などの確たる証拠を軽視しているとみえる(そんなことないだろうって? だが報道によると、大阪府警の警部がタバコの吸い殻の証拠捏造したのはどういうわけか。彼個人の資質の問題か? これは氷山の一角だろう)。
 日本は「空気(pneuma)」に支配されている国家である。この空気によって物事が決まる。捜査官の被疑者に対する態度もそうであり、「推定無罪の原則」など端からない。
 国民だって犯人の逮捕はして貰わなければと思っている。しかし、無垢の民を逮捕して良いとは誰一人として思ってはいない。
 そうでないと、2つの大きな罪を犯すことになる。
一つは、「冤罪」もう一つは、「真犯人の野放し」だ。

 そして、無関心でいれば、あなたもいつかは巻き込まれる。

最新刊
LOTO6をはじめる前に読む本
ご隠居はんと留はんの「量子力学」珍問答
posted by Serendipity at 22:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年10月12日

WiLL「原発ゼロ」でいいのか!を見て

 WiLLという雑誌はわりと好きでほぼ毎月号買って読んでいるが、今回の緊急増刊11月号の「『原発ゼロ』でいいのか!」については、少々がっかりした。その中で小出裕章氏と澤田哲生氏の対談が載っていたのだが、まず澤田氏の勇気は評価したい。逆境の中で小出氏と対談をしようという人はそうはいないだろう。
それはさておき。
 まず原発が経済に与える問題については、小出氏もかなり過激で、
「国土面積で世界の数%しかない国が、なぜ世界第三位の経済大国である必要があるのですか。それ自体がおかしいということに気づくべきです」
と述べているが、この意見には与しかねる。日本は、さまざまな資源が不足している。食料にしても燃料(これは明るい話もある)にしてもそうだ。特に食料の輸入が断たれると現在の人口を維持することはできない。かなりの確率で飢えてしまうことになるだろう。極端な話、江戸時代のように鎖国をして自給自足でまかなえる人口は、2千万人位に過ぎないのではないか。やはりそれでは困る。貿易によって立国せざるを得ないのである。問題は、食料ばかりではない。人間として何か創造したくても、資源がなければそれもできない。延いては生きる意欲も失われることになりはしないか。戦後の昔(わずか67年前)の生活を知っている人なら、もしかしたらかなり耐えられるかもしれないが、食料に何等不足を感じていない現代人では、意識を変えることなどまずできないと思う。ただ生きることが生きることではないはずだ。人はパンのみで生きていくことはできないし、そうすべきでもないと思う。戦後を生きてきた人々も明日は良くなると信じていたから復興ができたのではないだろうか。
小出氏の意見は少し極端に過ぎるだろう。
とはいえ、原発をゼロにしろという意見には賛成である。
何故なら、何度も繰り返すが、高レベル放射性廃棄物の処理ができないからである。これに関しては、両氏は、

 小出 日本では、まずは三百年間、監視するといっています。しかし、三百年安全だったからといって、百万年安全だとは言えません。」
 澤田 安全か安全でないかということに関連して申し上げると、先日福島第一原発を視察した際に、ドライキャスクが何台か置いてある建物を見ました。その建物は津波の襲来を受け、周囲のいたるところに車が突き刺さっている状況だったのですが、ドライキャスクそのものは全くびくともしていないんです。それを見たとき、ドライキャスクの安全性を実感しましたね。

 ドライキャスクの安全性がどの程度であるかは、これからの話であって、現時点で物理的に堅牢であったとしても、放射能が安全なレベルまでになるまで持つはずはないだろうし、リトリーバル(回収可能)にして容器を変えるにしても、超長期間管理することが可能であるかどうか、人類がそれを完遂できるかどうかは、全くの未知数である。放射能が安全なレベルになるには、10万年単位の監視が必要だからだ。ホモサピエンスが生まれて20万年程度に過ぎない。10万年先に人類がいるかどうかすら分からず、地球がどのような状態に陥るかどうかもまた不明であるのに、簡単に10万年という時間を口にするのはあまりにも無責任ではないか。
 それに、原発を再稼働させるということはこの高レベル放射性廃棄物を更に生み出すことを意味する。現時点でさえ、原発に保管される高レベル放射性廃棄物は、ほぼ満杯状態だ。六ヶ所村の中間貯蔵施設でもその深刻さは無視できない。ならばと、政府は、深地層埋設処分を考えたいのだろうが、これとて日本学術会議によって、日本では無理だと釘を刺されている。
 では、ドライキャスクを多量に作って、原発周辺にリトリーバル可能な貯蔵施設を作って管理するか、電力消費量の割合によって強制的に、自治体に管理させるという法律でも作らない限り、この問題は解決できないだろう。そうなった場合、溜まる一方のドライキャスクの管理は、単に放射能管理ばかりではなく、テロ対策なども行わなければならなくなる(もちろん現時点でもそうしなければならないのだが、更に強化しなければならなくなる)。貯蔵施設も増える一方だ。尾籠な話をすれば、ある災害によって、マンションのトイレが一斉に使えなくなったとする。どこにも排泄物を置く場所がない。しかし排泄を止めることはできない。いきおい、ビニール袋などに入れて部屋にでも置いておくしかなくなるが、いずれ破綻する。これは空想ではない。実際の災害では、この排泄物の問題は一番速く発生する。しかもこの汚染によって、病気の蔓延が大問題になるのだ。このアナロジーと一体何が違うというのであろうか。
 原発はコストが安いと言うが、この管理費用を加味した時、本当にそれが言えるのかどうか、冷静に考えれば分かるだろう。
 「ランニングコストは安いから現時点では使うべきだ」という意見もあるが、いま語っていることを考えれば、ランニングコストも安いとは言えないだろう。ランニングするにしても、再稼働には、保険をかけるなどの措置も不可欠になるだろうから、そのコストはもう負担しきれないに違いない。九州大学副学長・吉岡斉氏によれば、政府の保護がない限り電力会社は、そのコスト高から、原発は選択しないだろうということである。
 残念ながら、後始末ができないという問題で、原子力は未熟な技術である。解決できるかどうかも未知数である。ならば、原発が止まっている(大飯原発は動いているが)いまこそ、真剣にこの問題に取り組むべきなのではないだろうか。
 原発推進派は、原発廃止派に対してすぐに「ヒステリー」だと決めつける。WiLLの表紙にも「マス・ヒステリー」だと書いてあった。慥かに、原子力技術に疎い一般国民の行動は、時にそのように見えるのかもしれない。しかし、それは彼らの責ではない。こういった問題を国民にきちんと説明したか。少なくとも原発の功罪を詳細に述べたか。ただ安全だ安全だと吹聴してきたのではないか。
 いままで騙しに騙してきたのだから、少々の焦点のズレは寛容すべきだ。「このヒステリーのバカ共が」と高見に立って非難するほど専門家は賢かったのか? 問題を知りながら放置してきたのではないか。だとすれば、そのような傲慢な態度こそ国を危うくするではないか。猛省(もうせい)すべきは、果たしてどちらなのか。

覚悟して答えよ!

 今火力発電によって、燃料費が掛かり、そのコストは7兆円に登るという。その数字が正しいかどうかはさておいて、コストが懸かるというのは理解できる。

いいだろう。

 では、先に述べた、原発の後処理に懸かる費用は、一体どれだけこれから掛かるのか。きちんと計算して述べよ。火力発電に掛かる、いままさに目に見えるだけのコストを提示しておいて、これからいくら掛かるかも分からない原発後処理の隠れたコストを無視しているのは公正ではない。火力発電に掛かるコストを遙かに超えるかもしれないではないか。
 それに火力発電に掛かるコストは、まさに目に見えている点で逆に問題解決の予想が立てやすい。まるで先が見えない原発の後処理とは異なる。政府が本気で燃料の問題に取り組めば、メタンハイドレイト(日本海側の浅海底)などの燃料は既存の技術で対応できるのではないか。オーランチオキトリウムなど新燃料開発も、いままで原発に振り分けていた予算を集中的に与えれば、相当見込みがあるのではないか。太陽発電などの再生可能エネルギーは、即座に移行することはまだまだ問題があるが、見通しも立とうというものである。
 やるべき事はいろいろとある。やる気があるかどうかだけだ。そして多くの国民は、原発がある不安な環境を望んではいない。
 「後生に負債を負わせることはできない」と増税はするくせに、高レベル放射性廃棄物に関しては、「後生になんとか解決して欲しい」とでも言わんばかりである。

原発推進派よ、お願いだから、この問題に対して明確な回答を示して欲しい。

さもなくば、黙れ!

ご隠居はんと留はんの「量子力学」珍問答
posted by Serendipity at 02:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年10月08日

恐ろしい話

 10/8/2012付産経新聞のp3「水平垂直」の記事を挙げる。
「大阪市のホームページに7月、無差別殺人を予告する書き込みをしたとして偽計業務妨害罪でアニメ演出家の北村真咲被告(42)が起訴された事件で…(中略)…北村さんは事件と無関係の可能性があり、大阪地検は勾留取り消し請求、9月21に釈放した。」
 どうやら、PCを乗っ取られ、知らぬ間になりすまされ操作されたという顚末らしい。
「恐ろしい話」というのは、こういったウィルスによって罪をなすり付けられたことではなく(これはこれで十分に恐ろしいのだが)、記事の「ある検察関係者は『大人数を動員して大騒ぎになったので、立件するしかないという空気になっていた』と振り返った」という一文にある。

 はぁ「空気」!?だと。

 検察は、人を「空気」のいかんで起訴、不起訴を決めるのか!
 これじゃ、「私たちは全くの無能です」と堂々と宣言しているのに等しいじゃないか。
 なるほど最近の一連の検察不祥事は、これが原因だったのか。
 故・小室直樹はこれを「空気(ニューマ)」と呼んだ。井沢元彦は「言霊」だという。呼び名は違うがほぼ同じものだろう。
 確固とした証拠によって起訴しなければならない検察が「空気」で起訴するというのは何という体たらくか。
 日本という国が、こういった「空気」によって支配されているのはよく知られている。その一例としてKY(空気読めない、読まない)という言い回しがその最たるものがある。
これから脱却することはできないだろうから、この影響を受けては困る事柄に関しては、構造的に変える必要があるだろう。検察、警察、国の「なんとか」委員会しかり。
 検察に関しては、この暴走を防ぐにはアメリカで行われている大陪審という、陪審員を集めて、検察側が主張する起訴が適当かどうかを判断をする機構が、もうそろそろ必要かもしれない。裁判員制度を導入し、裁判ではかなり民意が反映されるようになってきているのだから、こんどは入り口の部分を監視しなければならないだろう。最終的には、DA(地方検事)も選挙で選ぶのがよいかもしれない。中央の言いなりで、地方に根ざさないヒラメみたいな検察官なんかいらない。
 国の「なんとか」委員会は、役人に人選させるのではなく、委員会を基本的に公聴会にすべきだろう。何も隠すことなどないのだから、国民に知らせるのは「義務」だ。茶坊主委員を集め、出来レースの委員会など百害あって一利なしだ。賛否両論あってしかるべきで、侃々諤々と論争すればよい。そこから、少なくとも双方否定できないコンセンサスが現れてくるはずだ。
 例えば、原発。賛否両論あるだろう。しかし、「高レベル核廃棄物」の処理問題については、解決しない限り、再稼働など考えられないという点では、一致するはずだ。そうすれば自ずから結論が出るだろう。

 しかし、「空気の支配」、「過剰な忖度」というのは日本人の宿痾である。
恐ろしい話だ。
科学的事実であっても、その場の「空気」にそぐわなければ、発言さえできない、のだから。
よくぞこれで科学技術立国となり得たものだ。
新・世界の七不思議の一つかもしれない。
posted by Serendipity at 16:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。