2012年10月12日

WiLL「原発ゼロ」でいいのか!を見て

 WiLLという雑誌はわりと好きでほぼ毎月号買って読んでいるが、今回の緊急増刊11月号の「『原発ゼロ』でいいのか!」については、少々がっかりした。その中で小出裕章氏と澤田哲生氏の対談が載っていたのだが、まず澤田氏の勇気は評価したい。逆境の中で小出氏と対談をしようという人はそうはいないだろう。
それはさておき。
 まず原発が経済に与える問題については、小出氏もかなり過激で、
「国土面積で世界の数%しかない国が、なぜ世界第三位の経済大国である必要があるのですか。それ自体がおかしいということに気づくべきです」
と述べているが、この意見には与しかねる。日本は、さまざまな資源が不足している。食料にしても燃料(これは明るい話もある)にしてもそうだ。特に食料の輸入が断たれると現在の人口を維持することはできない。かなりの確率で飢えてしまうことになるだろう。極端な話、江戸時代のように鎖国をして自給自足でまかなえる人口は、2千万人位に過ぎないのではないか。やはりそれでは困る。貿易によって立国せざるを得ないのである。問題は、食料ばかりではない。人間として何か創造したくても、資源がなければそれもできない。延いては生きる意欲も失われることになりはしないか。戦後の昔(わずか67年前)の生活を知っている人なら、もしかしたらかなり耐えられるかもしれないが、食料に何等不足を感じていない現代人では、意識を変えることなどまずできないと思う。ただ生きることが生きることではないはずだ。人はパンのみで生きていくことはできないし、そうすべきでもないと思う。戦後を生きてきた人々も明日は良くなると信じていたから復興ができたのではないだろうか。
小出氏の意見は少し極端に過ぎるだろう。
とはいえ、原発をゼロにしろという意見には賛成である。
何故なら、何度も繰り返すが、高レベル放射性廃棄物の処理ができないからである。これに関しては、両氏は、

 小出 日本では、まずは三百年間、監視するといっています。しかし、三百年安全だったからといって、百万年安全だとは言えません。」
 澤田 安全か安全でないかということに関連して申し上げると、先日福島第一原発を視察した際に、ドライキャスクが何台か置いてある建物を見ました。その建物は津波の襲来を受け、周囲のいたるところに車が突き刺さっている状況だったのですが、ドライキャスクそのものは全くびくともしていないんです。それを見たとき、ドライキャスクの安全性を実感しましたね。

 ドライキャスクの安全性がどの程度であるかは、これからの話であって、現時点で物理的に堅牢であったとしても、放射能が安全なレベルまでになるまで持つはずはないだろうし、リトリーバル(回収可能)にして容器を変えるにしても、超長期間管理することが可能であるかどうか、人類がそれを完遂できるかどうかは、全くの未知数である。放射能が安全なレベルになるには、10万年単位の監視が必要だからだ。ホモサピエンスが生まれて20万年程度に過ぎない。10万年先に人類がいるかどうかすら分からず、地球がどのような状態に陥るかどうかもまた不明であるのに、簡単に10万年という時間を口にするのはあまりにも無責任ではないか。
 それに、原発を再稼働させるということはこの高レベル放射性廃棄物を更に生み出すことを意味する。現時点でさえ、原発に保管される高レベル放射性廃棄物は、ほぼ満杯状態だ。六ヶ所村の中間貯蔵施設でもその深刻さは無視できない。ならばと、政府は、深地層埋設処分を考えたいのだろうが、これとて日本学術会議によって、日本では無理だと釘を刺されている。
 では、ドライキャスクを多量に作って、原発周辺にリトリーバル可能な貯蔵施設を作って管理するか、電力消費量の割合によって強制的に、自治体に管理させるという法律でも作らない限り、この問題は解決できないだろう。そうなった場合、溜まる一方のドライキャスクの管理は、単に放射能管理ばかりではなく、テロ対策なども行わなければならなくなる(もちろん現時点でもそうしなければならないのだが、更に強化しなければならなくなる)。貯蔵施設も増える一方だ。尾籠な話をすれば、ある災害によって、マンションのトイレが一斉に使えなくなったとする。どこにも排泄物を置く場所がない。しかし排泄を止めることはできない。いきおい、ビニール袋などに入れて部屋にでも置いておくしかなくなるが、いずれ破綻する。これは空想ではない。実際の災害では、この排泄物の問題は一番速く発生する。しかもこの汚染によって、病気の蔓延が大問題になるのだ。このアナロジーと一体何が違うというのであろうか。
 原発はコストが安いと言うが、この管理費用を加味した時、本当にそれが言えるのかどうか、冷静に考えれば分かるだろう。
 「ランニングコストは安いから現時点では使うべきだ」という意見もあるが、いま語っていることを考えれば、ランニングコストも安いとは言えないだろう。ランニングするにしても、再稼働には、保険をかけるなどの措置も不可欠になるだろうから、そのコストはもう負担しきれないに違いない。九州大学副学長・吉岡斉氏によれば、政府の保護がない限り電力会社は、そのコスト高から、原発は選択しないだろうということである。
 残念ながら、後始末ができないという問題で、原子力は未熟な技術である。解決できるかどうかも未知数である。ならば、原発が止まっている(大飯原発は動いているが)いまこそ、真剣にこの問題に取り組むべきなのではないだろうか。
 原発推進派は、原発廃止派に対してすぐに「ヒステリー」だと決めつける。WiLLの表紙にも「マス・ヒステリー」だと書いてあった。慥かに、原子力技術に疎い一般国民の行動は、時にそのように見えるのかもしれない。しかし、それは彼らの責ではない。こういった問題を国民にきちんと説明したか。少なくとも原発の功罪を詳細に述べたか。ただ安全だ安全だと吹聴してきたのではないか。
 いままで騙しに騙してきたのだから、少々の焦点のズレは寛容すべきだ。「このヒステリーのバカ共が」と高見に立って非難するほど専門家は賢かったのか? 問題を知りながら放置してきたのではないか。だとすれば、そのような傲慢な態度こそ国を危うくするではないか。猛省(もうせい)すべきは、果たしてどちらなのか。

覚悟して答えよ!

 今火力発電によって、燃料費が掛かり、そのコストは7兆円に登るという。その数字が正しいかどうかはさておいて、コストが懸かるというのは理解できる。

いいだろう。

 では、先に述べた、原発の後処理に懸かる費用は、一体どれだけこれから掛かるのか。きちんと計算して述べよ。火力発電に掛かる、いままさに目に見えるだけのコストを提示しておいて、これからいくら掛かるかも分からない原発後処理の隠れたコストを無視しているのは公正ではない。火力発電に掛かるコストを遙かに超えるかもしれないではないか。
 それに火力発電に掛かるコストは、まさに目に見えている点で逆に問題解決の予想が立てやすい。まるで先が見えない原発の後処理とは異なる。政府が本気で燃料の問題に取り組めば、メタンハイドレイト(日本海側の浅海底)などの燃料は既存の技術で対応できるのではないか。オーランチオキトリウムなど新燃料開発も、いままで原発に振り分けていた予算を集中的に与えれば、相当見込みがあるのではないか。太陽発電などの再生可能エネルギーは、即座に移行することはまだまだ問題があるが、見通しも立とうというものである。
 やるべき事はいろいろとある。やる気があるかどうかだけだ。そして多くの国民は、原発がある不安な環境を望んではいない。
 「後生に負債を負わせることはできない」と増税はするくせに、高レベル放射性廃棄物に関しては、「後生になんとか解決して欲しい」とでも言わんばかりである。

原発推進派よ、お願いだから、この問題に対して明確な回答を示して欲しい。

さもなくば、黙れ!

ご隠居はんと留はんの「量子力学」珍問答
posted by Serendipity at 02:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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