2016年11月28日

●火星移住詐欺?

 火星移住計画が動いているらしい。壮大な計画で実行者はかなりまじめに取り組んでいるという。
でもこれ、詐欺じゃないのかな。
 えっ、身も蓋もないって?
 たしかに人類の進歩は危険を顧みない何人もの冒険者、先駆者達によってなされてきた。
 地球が平らだと思われていた時代には、海の果てまで行ってみたいという者達は、「海の端に行ったら奈落の底に落ちてしまうぞ」と周りの者に嗤われたし、鳥のように空を飛びたいと思った者は、気が狂っていると馬鹿にされた。しかし歴史は、彼等のお陰で、多くの知見を得てきたことを示している。まさか地球の空をジェット機が自由自在に飛び交っているなど、ライト兄弟でさえ思いもよらなかったかも知れないが…。
 このように人類の進歩は、危険を顧みない冒険者、先駆者によってなされてきたことは間違いない。
 移住も同じことだったのかもしれない。欧米人、特にアメリカ人はヨーロッパ大陸から北米大陸に移住して大成功を収めた。彼等の体にはこのような成功体験が染みているに違いない。もちろん、アメリカ人にとっては、「開拓、移住」だったかもしれないが、原アメリカ人にとっては「侵略」の何ものでもないことも忘れてはならない。
 冒険者はリスクを恐れない。しかし蛮勇の持ち主ではない。考えられるリスクすべて考慮して行動する。誤解を恐れずに言えば「臆病」のはずだ。しかしこれは彼等の名誉を毀損することにはならない。むしろ賞賛すべき性質だろう。想定されるリスクは考え抜き対策を考える。しかしそれを超えるリスクは存在する。彼等はそのリスクを引き受けて冒険に挑む。だからこそ成果を得られる可能性が高くなるのだ。もちろん自らの命を省みず臨まなければならない場合もあるだろうが、それは最終手段だろう。
 では今回の火星移住計画はどうだろうか。リスクは許容(コントロール)できる範囲にあるのだろうか。どうみても無謀で時期尚早にみえる。技術的にも人間の性向からも移住を考える前に実験しておかなければならないことは山ほどあるのだ。
 たとえば閉鎖空間で数人の人間がその中だけの資源で生存できるのか、という実験を行ったことがある。1991年アリゾナの砂漠に作られたバイオスフィア2(ちなみにバイオスフィア1は地球のことだそうだ)だ。男女8人が閉鎖空間の中で生活できるかどうかを実験したが、結局破綻してしまった。その要因は、不十分な生存環境制御、食糧不足、そして心理学的要素であったという。どれも重要な課題だが、最後の心理的要素というのはかなり重い。これは「バイオスフィア実験生活―史上最大の人工閉鎖生態系での2年間 」(ブルーバックス、講談社)という本の中で、「…言葉どおり個人的ないさかいも起きました。それどころか一種の権力闘争、派閥抗争のために、すんでのところですべてが台無しになりそうな事態さえありました。バイオスフィア2に入る時、私たちは互いに、これからこの人たちとすばらしい友情をはぐくむのだと大いに期待していました。が、二年経って出てきた時には、もうほとんど口もきかないほど関係が悪くなっていた人たちもいました。」(p8)と記述されている通りだ。今回の火星移住計画で何人になるのかは分からないが、わずか8人でさえ簡単に諍いが起きてしまう事実をみると、仮に技術的な問題が解決されたとしてもこういった人間の性向を解決することは相当困難だ、できないと考えた方が良い。
 火星移住計画の推進者の一人であるイーロン・マスク氏は「人口増加や環境破壊、戦争などによる滅亡の危機に備え、人類の未来をつなぐには火星移住が必要だ」と公言しているが、この言葉こそ身勝手な人類の思想そのものではない
か。人類自ら招いてしまった結果から逃げようとしているからだ。この地球で問題が解決できなければ、どんな星に移住しようが上手くいくはずがない。地球で解決できなければ、それは人類の滅亡を意味する。解決できなければ、人類はその事実を甘受するしかない。このような考え方を持った者達が火星に移住してもおそらく数年と持たない。自壊してしまうのは火を見るより明らかだ。それがたとえ人類が生存する環境を得たとしてもだ。
 考えてみれば何のことはない、映画「インデペンデンス・デイ」で描かれたエイリアンは、人類そのものだったのだ。この映画の制作者は、意図してか無意識かは分からないが、ある意味人類の事実を描き出してしまったようにみえる。

 筆者は、文頭で「詐欺じゃないのか」と述べたが、実は「騙す側」も「騙される側」も実はいないと思う(陰謀論者なら「いや黒幕はいる。これで稼ごうという人間が」と言うかも知れないが…)。だから本当は「詐欺」ではないだろう。移住希望者の多くは自らが助かろうとして移住しようと考えているのではないだろう。むしろ次世代の礎になろうと純粋な気持ちから自らを犠牲にしようとしているに違いない。ナイーヴだとは思うがそういう志は尊い。だが思索が深いとは言えない。もしそういう志を持っているのであれば、なおさら事を急ぐべきではないだろう。本当に実現させたいのなら設定されている時間が短すぎる。たしかに何らかのプロジェクトを成功させるためには期限設定は必要だ。「いつかは実現できる」というのは「決して実現しない」のと同じ事だからだ(脚注)。しかし今回の期限設定は短すぎやしないか。50〜100年程度の時間は必要だろう。
 最後にMIT(マサチューセッツ工科大学)の研究者は以下のように警告しているという。
「現在の科学技術では火星到着から68日しか生きられない」と。

(脚注)
 余談だが、日本のFBR(高速増殖炉)が成功しないのも技術的に難しいことは承知してもそれ以上に明確に期限を設定しないからだと思う。期限のない計画は、職員の士気も上がらず、だらだらと時間だけを浪費してしまうだけだ。このFBRに頼って日本の原子力政策を策定するのでは不安に思う国民が多くいてもおかしくはない。期限を設定して、実現すれば、A案を、実現しなければB案を実行するというオルタナティヴがなければ、原子力政策は「トイレのないマンション」と揶揄されても仕方あるまい。実際使用済み燃料の処理はできていないのが現実であり、その処理は焦眉の急である。
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2016年11月27日

●フード・ファディズムには気をつけた方が良いと思う

 最近やたらとこれ食べたらダメ、あれ食べたら病気の元になると喧(かまびす)しい。例えば、牛乳、穀物(グルテン)、糖質など。でもこれってどれだけ科学的エヴィデンスがあるのだろうか。もちろん論文になるくらいだからそれなりの根拠があるとは思うが、医学系情報は過去の事例を考えると簡単に鵜呑みにはできない。
 少し前、焼き魚がガンの原因物質を含んでいるということで大騒ぎ(?)になったことがある。タンパク質の一つであるトリプトファンが熱せられてできるトリプP1に強烈な発ガン性があることが報告されたからだ。しかしこのトリプP1が危険だといっても、毎日継続的に2万尾にも及ぶ焼き魚を食べない限りガンの発症はないということが分かり、騒ぎは収まった。
 研究者は、こういう物質がどのようにできて、どのような作用をするのかを調べその結果を公表したのだろうが、常にセンセショーナルな情報を欲している報道機関によって、虚偽ではないにせよ針小棒大に伝えたことが事の発端だろう。そして「科学的なんたら」にすぐに飛びつく頭の良い「非科学的思考」の持ち主の人々の間で広まったのではないか?
 穀物、糖質(果実など)などは人類が誕生してから常に身近にあった食物であり、牛乳との接触はそれらより新しいかも知れないが、やはり食物として長い間人類と共にあったことは間違いない。大きな問題が発生すれば、今頃人類はとっくにそれらの摂取を止めただろう。害の方が大きければ人は生きていけないからだ。
 害の方が大きければ、人は麦や稲など栽培するはずもない。現実は、なんとか安定的に栽培できるように品種改良まで行い、栽培面積を広げている。
 穀物はなんと言われようが、長く人類の食生活の中心となっていた。パンやパスタ、日本ではもちろんお米、それにうどんなどに代表される麦は、人の命を支えてくれた重要な植物だ。それがいまや目の敵みたいにされているのはどうだろう。
 原因の一つに飽食があるのではないか。
 人類の歴史は餓えとの戦いだった(人類ばかりか従属栄養の生物はほとんどがそうだろう)。人類は飢えていた時代の方が長い。逆に自由にどんなものでも食べられるようになって、食生活がおかしくなってきたのではなかろうか。
 どんなものであれ、必要以上に摂取すれば、体も不調を来すだろうし病気にもなるだろう。ましてや飢えていた方が長かった人類ならなおさらだ。そう簡単に余分な摂取に対応できるような体に進化するはずもないのだ。
 たしかに、穀物に含まれるグルテンによってセリアック病(自己免疫疾患の一つ)が引き起こされる場合もあるだろう。古代ギリシャでこの疾患が記述されていることから、古くからあったことも分かる。逆に言えば、そういう問題がありながらも人類は穀物の摂取を止めなかった、という事実は重要だ。利が害を超えていたということだ。しかもセリア
ック病は、遺伝的要因が大きいとされる疾病(強いストレスなどでも起こる場合があるらしい)だから、体質的に受け付けない人はこれを避けさえすれば良いことのはずだ。それは牛乳の消化が困難な人と同じことだ。

 次に牛乳はどうだろう。これが体に良くないというのはかなり衝撃的だ。なにせ筆者の子供の頃は、多くの家庭で牛乳を取っていたからだ。玄関の所に配達された牛乳を入れておく箱があったことを覚えている方も多いだろう。それくらい栄養価が高い食品だと認識していた。牛乳の乳糖を消化できずお腹が緩くなる体質の人もいたが栄養価が高いという点には疑いはなかったように思う。
 それに世界を見てみると、例えばマサイ族は、牛乳と牛の血、そして特別な日に取る肉(飼っている牛)で暮らしている。ライオンを狩るということで狩猟民族のように勘違いされているが、彼等は野生動物の肉は食べない。ライオンを狩るのは通過儀礼のためで肉を取ることではないのだ(ライオンにとってはとても迷惑な民族だが…)。こういう事実をみてみると、牛乳が悪役にされるのは忍びない。もちろんマサイ族の牛のように自然の草を食べさせて育った牛と本来牛があまり食べない穀物など与え(グレイン・フェッド)肥育を促す様々な化学物質(成長ホルモンなど)を使って得た牛乳とでは違うだろうことは分かるが、そうであれば、そのようにして得られた牛乳を問題にすれば良いのであって、牛乳そのものを否定することにはならないのではないか、と思う。
 それとももっと本質的に問題があるのだろうか。乳ガンを引き起こす原因の一つとも目されているようだが、どのようなエヴィデンスがあるのか、少々疑問だ。
 先ほどのマサイ族はしっかり生き抜いてきている。まさか牛乳食に適するように「進化」したなどとは言わないだろうね。マサイ族がいつ出現したかは分からないが、それでも数千年(数万年でも良いが)程度で食生活が変わる程の進化などできないからだ(現在の知見に依れば、の話しだが)。

 最後に糖はどうだろう。これはたしかに問題があると思う。糖自体と言うより、これこそ「摂取過剰」が問題になるのではないか。最近の食品は、その多くに糖が多く含まれている。飽食に明け暮れたローマ時代の貴族以上に、多分糖は取り過ぎている。ご多分に漏れず、糖尿病の罹患率も上がる。清涼飲料水など糖の塊といっても良いくらいだ(アメリカでは、「リキッド・キャンディ」などと呼ばれている)。どこにでもあるから、特に甘味を欲しがる子供には注意しなければならない。

 個々の食品には様々な生理的作用があることは分かる。不都合な作用もあるだろう。しかし、それは長いスパンで見なければならないのではないか。今挙げてきたような食物が敵視(疑問視)されたのは最近のことだ。分析技術や研究が進んで、不都合な生理作用が分かったからに違いないが、歴史的に見れば、そういった不都合な部分をも含めて、益の方が大きかったからこそ、食品として定着してきたのではないだろうか。どんな食品にでも不都合な側面はあるだろう。しかし逆に言えば、不都合な側面を持たない「完全な食品」などあるのだろうか?科学的にピュアに選別してそういった食品(というよりは化学物質)を作って摂取すれば良いのだろうか。むしろこちらの方が背筋がぞっとする話のように思える。

 結局、様々な食を選択できる今こそバランスが取れた食物を適度に取ることが一番健康に良いのではないかと思う。
当たり前の事なんだけどね。

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参考(Wikipediaより)
フード・ファディズム (food faddism)

1. 食べもの(食べ物)や栄養が健康と病気に与える影響を、熱狂的、あるいは過大に信じること。
2. 科学が立証したこと以上にその影響を信じ固執していることであり、科学が立証したことに関係なく食べものや栄養が与える影響を過大に評価すること。
3.マスコミで流されたり書籍・雑誌に書かれている「この食品を摂取すると健康になる」「この食品を口にすると病気になる」「あの種の食品は体に悪い」などというような情報を信じて、バランスを欠いた偏執的で異常な食行動をとること。
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posted by Serendipity at 13:26| Comment(0) | TrackBack(0) | コラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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