2012年09月08日

9/7/2012付産経新聞「賢者に学ぶ」適菜収「他にも守るべきものがある」を読んで

 このコラムで、三島由紀夫の言葉として、「…しかし、国土というのは単なる地面にあって、これは日本がたとえ共産政権になったとしても、何んの変わりもない」(栄誉の絆でつなげ菊と刀)を挙げている。
 そうだろうか。
国土は単なる地面に過ぎないのだろうか。筆者はそうは思えない。国土というのは自然そのものであり、文化や文明というのは、その自然の中で育まれてきたものではないか。例えば極端な話、将来火星がテラフォーミングされて人が住めるような環境になったとき、そこに日本人が移住したとして、果たして今のような日本人の文化を維持しているだろうか。最初は象(かたち)だけでも継承されるかもしれない。しかし、全く違う環境で、環境に依存した文化を維持できるものとは思えない。
 火星は極端にしても、日本人がユダヤ人のようにディアスポラを経験したら、ユダヤ人のように同一性を保つことができるだろうか。周囲と上手く折り合うことを何よりの信条とする日本人は、その地に溶け込んでしまうのではないかと思う。中華街のようなものができるかどうか、はなはだ疑問だ(慥かに日本人街というのもLAやSFにあるにはあるのだが、中華街ほど強烈な存在ではない)。ユダヤ人には強烈なユダヤ教がありこれらが彼らを纏めたと思う。日本人にはそういう縛りはない。日本という国土の中で、絶妙なバランスの上に成立した、脆い花のようだ。離散すれば日本人は、それぞれ散った地の人となるだろう。世代が下ればいずれ消えてなくなると思う。融通無碍、これが日本人の特質の一つであるからだ。
 三島は続ける。「日本というものの特質で、それを失えば、日本が日本でなくなるというもの」という、それは適菜収氏の弁によれば、「『日本精神』などといった抽象的なものではない。あくまでも現実世界に存在するものだ」ということである。その通りで、これなら分かる。では「現実世界に存在するもの」とは何か。それはまさしく日本にある自然(そしてそれを母体とする文化)のことではないだろうか。日本は、世界でも稀なはっきりとした四季を持ち、山紫水明がふさわしい国だ。そして日本語。こういった環境があってこそ日本人は形成される。どれが欠けてもおそらく日本人たりえないだろう。
 だから、これほど日本を理解している三島が「国土というのは単なる地面」と言い切ることに不自然さを感じる。
 3.11の大震災で、福島は放射能で汚染されてしまった。この地は拡散した放射性物質を集積し、立ち入り禁止区域とするのが、理性的であろう。だがそうはならない。もしこれがアメリカで起こったなら、補償金をどっさり貰って、さっさとその地を捨てて別の土地で暮らすことだろう(良い悪い言っているのではない)。しかし日本人にはそれはできない。なぜなら、日本人にとって、身土不二、つまり、土地は人、人は土地そのものであるからだ。それも「故郷」が大きな存在であることが大きな特徴だ。同じ日本だからといって、他の県に移住すればよいとはならない。生活が、完全にその地の自然と一体化することで成り立っているからである。良くも悪くも古代の生活を現代にしているようなものだ。豊かな自然によって、生活様式を過激に変える必要性がなかったのだろう。
 福島はこれから大変だ。今までであったことのない「土地の穢れ」と対峙しなければならないからだ。それも自然が仕掛けたものではない。地震、津波などの災害だけであれば、自然に対する畏怖を持ちながら立ち上がることはできるだろう。しかし今回は、人間が仕掛けてしまった。未熟な技術を背景にした安全神話に踊らされ、天に唾する行為をしてしまった。この負い目から立ち上がることは精神的にも物理的にも容易ではない。簡単に言えば、「ご先祖様に合わす顔がない」という思いだ。日本人は、「穢れ」を嫌う。それは身土不二であるからだ。

 日本全国に点在する原発は、日本人を抹殺してしまうかもしれない。土地が穢されれば、日本人は生きられない。事故だけの話をしているのではない。假に安全に運転されていても、日々排出される放射性廃棄物の対処法はない。假に原発を全ては廃炉にし解体しても、想像を絶する廃棄物が残される。再処理してさらに原発で燃やす?もともと今の原発はそういう構造になっていない。セイフティ・マージンが一気になくなる。しかも根本的な解決策にならない。再処理施設の六ヶ所村では、もう貯蔵は満杯だ。直接地下処分も念頭に置かなければならないという。しかし、あの広大なアメリカでもそれはできなくなっている。国土が狭い上に地震などの災害が多いこの国のどこに埋設するというのだ。そうでなくても管理は数万年、10万年単位だ。これを自殺行為でなくてなんと呼ぶ。

 原発を維持したい勢力は、「電力がなくなれば国は衰退する」、「電気料が上がればメーカーは海外に出て行くしかない」などと必死に危機を煽る。しかし、膨大な核廃棄物をどうするのだ、という切実な問いに一切答えようとはしない。無責任で破滅的だ。結局、負の遺産を後世に残すと明言しているに過ぎない。しかも、原発による電力はは安いとまだ信じている。補助金やら補償金、廃棄物の処理、燃料の海外依存などの問題を考慮すれば、高い高いといわれる火力より高くなるのは間違いない。火力用燃料なら、シェールガスやメタンハイドレイト、石炭(昔とは違って汚染物質の排出は少ない)など使えるものは多くある。その間に太陽光、風力、潮力、地熱などの本格稼働まで時間を稼げる。原発にはその見込みがない。高速増殖炉は実現できず、核融合炉は実現できない。そんな不安定な技術に未来を託することができるのか。

 東海地震の犠牲者は36万人を超すだろうという予想が発表された。しかし、浜岡原発崩壊による犠牲はこれに含まれないという。誰も怖くて発表できないのであろう。欺瞞だ。

 原発は即刻廃止し、放射性廃棄物の処理をどのようにするか、早急に研究しなければならない。加えて、原発にかかっていた予算は、新エネルギーの開発に重点的に向けるべきだろう。

 日本版アルマゲドンなど誰も見たくはない。
posted by Serendipity at 15:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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