2012年12月06日

「最高裁判所裁判官国民審査」の問題点

ご隠居はんと留はんの「量子力学」珍問答

LOTO6をはじめる前に読む本

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 衆議院総選挙で完全に影に隠れてしまっているが、議員選挙だけではなく国民にはもう一つ重要な権利を公使する機会が与えられる。
「最高裁判所裁判官国民審査」だ。
既に選挙を経験されている方はご存じだろうが、この投票には大きな問題がある。
「信任しない裁判官には×をつけ、信任の場合には白紙で投票すること」となっている。
信任するもしないも、裁判官がどのような案件に拘わっていたのかの情報が公示されず、単に写真と経歴が書いてあるだけである。これで一体何が分かるというのだろうか。
さらに、何も知らない人に×を付けることは心理的に負担であり、よほど当該の裁判官について調べた人か、つむじまがり(?)でないと、結局白紙のまま投票することになる。
こんな投票恐ろしくないだろうか?
まるで独裁体制下の選挙のようである。
事実、この投票によって不信任された裁判官はいない。
では、投票で「信任する裁判官には○を信任しない場合には白紙のまま投票すること」に変えたとしたらどうだろう。
おそらく、裁判官は全員不信任となるだろう。
これから分かるように、投票自体が完全に操作されている。こんなことが民主国家にあっては絶対にならない。
地区を分けて、一つは、従来通りの投票で、もう一つは、今述べた方法で検証すれば、その欺瞞さは分かるが、政府は一向に改革には乗り出さない。
では、国民はどうしたらよいのだろうか。
意識的に全ての裁判官に×を付けて投票するのだ。
こんなことを言うと、「一所懸命頑張っている裁判官が気の毒だ」、「良い判決を出した裁判官もいる」という批判が吹き上がるだろう(政府はそういった国民の「優しい」心理も利用しているのだが…)
それは分かっている。しかし、そう述べる人々も今のままで良いとは、決して思わないだろう。
 古代ギリシャに陶片追放(オストラキスモス)という制度があった。これは、追放したいものの名前を陶片(オストラコン)に書き、一定以上の数を超えた時、その者は追放されるという制度であった。中には良制を為した者の名前もあったという。
なぜこんなことをしたのだろうか。
それは権力闘争を起こしそうな人物を排除したり、良制であっても長期にわたると政治は腐敗してゆくことを、古代ギリシャ市民は気づいていたからだという。彼らは人間の弱さを熟知していたのだ。
陶片追放は、その後廃れはしたが、一定程度の効果はあったと評価されている。
追放される側としては、理不尽だと思うだろうが、社会を安定されるためには必要だったのだ。
そこで、現代日本でこの陶片追放をしよう。
裁判官に罪はない。彼らには、民主主義の礎の犠牲となっていただく。犠牲と云っても独裁政権ではないのだから、命を取られるわけではない、それどころか職も生活も与えられ、路頭に迷う国民はいても、彼らが路頭に迷うことは絶対にない、という程度の「犠牲」だ。
さあ、皆さん、×を付けることに抵抗は持たないで頂きたい。むしろ改革のために×を与えましょう。
そうすれば、政府は考える、考えざるを得なくなる。
どのようにしたら最高裁判所が国民に目をむけるかを。
そして、改革はいずれ高裁、地裁に及び国民の信頼できる機関になることだろう。
posted by Serendipity at 19:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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