2013年01月18日

オリンピックの話

ご隠居はんと留はんの「量子力学」珍問答

LOTO6をはじめる前に読む本
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 1984年ロサンジェルス・オリンピックの柔道でのこと、2回戦で軸足の右ふくらはぎに肉離れの怪我した山下泰裕選手にモハメド・ラシュワン選手は「主義に反する」として右足を攻めることはしなかった。双方ともコーチからは有利になるような指示を与えられていたが、彼らはそれには従わなかった。
あっぱれである。
 まさしく柔道の精神を体現した二人であった。欲を言い、さらに酷なことを敢えて言えば、右足を攻められない、拘束された状態にラシュワン選手を追い込んでしまった山下選手は、本来なら棄権した方が更に柔道の精神を体現したと思う。もちろんそれを責めているわけではない。柔道では負けるわけにはいかないという重圧が彼の両肩にのしかかっていたからだ。それにそんな思惑も消し飛んでしまうほど立派な試合であったことは覚えている。
 そこでロンドン・オリンピックである。日本選手に卑怯にも右肩をわざと故障させ、反則負けを喰らった韓国選手が、それでも礼だけは尽くそうとする日本選手の握手にも手を引いた、あの醜さは、時代の隔絶さ、というより、韓国選手の非礼をまざまざと見せつけた。彼(等)に柔道をする資格は全くない。柔道が韓国起源などとよくうつけが言えたものだ。柔道は「礼に始まって礼に終わる」という基本的理念だ、礼のない国に「道」が存在するわけがない。柔道とは縁もゆかりもない「ユド」とやらに専念したらよかろう。
 東京オリンピックで採用された柔道であったが、本来オリンピックのようなスポーツには馴染まない。だいたい柔道はスポーツではない。
 違反ではないが、襟を取らせず逃げ回る姿は、非常に見苦しい。まるでレスリングではないかと見紛う。もともと勝敗に大きな意味を持たせない柔道だから、「勝てばよい」と何にでも優劣を付けたがる西欧の理念とは相容れない。日本で假に勝敗を決めることがあっても、違反しないにしても卑劣な手口で勝ったなら、「はいはい、偉いね」と勝者は蔑まれるだろう。それが日本人の感性だ。
 おそらく剣道は、オリンピックには採用されないと思う。フェンシングとは似ても似つかないからだ。だいたい勝った者が相手を思いやらずガッツポーズを少し取っただけで負ける世界だ。こういった感覚を外国人が身につけるのは非常に難しいことだと思う(ラシュワン選手の方が稀なのだ)。
 剣道がオリンピックに採用されないことを切に願う。

(ちなみに、剣道も韓国では「コムド」が起源だと戯事を言っている。剣道はもともと剣術を総合したものだ。もとは真剣を扱う。真剣の扱いを模倣している。真剣とは、すなわち「刀」(よく日本刀というが、日本の二文字は入らない。刀は日本しかない)である。韓国で「刀」ができるか(韓国ばかりではない、刀は日本でしかできない、それも玉鋼があって、刀鍛冶、研ぎ師がいてのことだ)。韓国では、両刃の剣、直刀しかできないではないか。当然片刃の反りのある刀とは、刃先の動かし方が全く異なる。
 いちいち反論するのも馬鹿らしいが、国際社会では、知らないものも多く、「嘘も百回言えば真実となる」という格言もあるから、注意は必要だ。
 それにしても「恥」を知らない国だこと。
posted by Serendipity at 17:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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