2013年04月23日

亀岡暴走事故、再考

ご隠居はんと留はんの「量子力学」珍問答

LOTO6をはじめる前に読む本
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亀岡暴走事故、今日で一年が過ぎた。改めて振り返ってみると、やはりおかしい。
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産経新聞(4/23/2013))
遺族が被害者団体設立

(前略)
…しかし、亀岡の事故では運転少年が過去に無免許運転を繰り返していたことで運転技術があったとされ、同罪の構成要件である「未熟な運転」にあてはまらないと判断された。
(後略)
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無免許運転という「違法行為」が加害者の「利益」になってしまっている。
前にも述べたから繰り返さないが、こんな馬鹿なことはない。無免許運転を繰り返すという、虞犯傾向のある少年を有利にするなどという「解釈」は、実におかしいのだ。だいたい無免許運転を繰り返して捕まえた時点で、既に裁かれていなければならない。そうしなかったのであれば、検察に送らず放置した警察の怠慢は責められてしかるべきだろう。実際このような事故が起こってしまっている。

言うに事欠いて、「自動車運転免許証を所持していてもペーパードライバーであって、運転技術が未熟であれば、危険運転致死傷罪に問う可能性がある」、というのである。言いたいことは分かるが、これを言ってしまえば、「じゃ、自動車の運転を許可するというお墨付きを与える、自動車免許証って一体なんなのさ」と問われることになる。自動車運転免許証自体が不整備であることを自ら述べているのである。
もし「未熟な運転」に当てはまらないというのであれば、逮捕した時点でその少年が、自動車運転免許が取得できるかどうか、試験すればよい。これに合格したらまだ納得はいく(これで良いとは言わないが…)。そうでなければ、「未熟な運転とは言えない」などと軽々しく判断するべきではないし、不合格であれば、「未熟な運転」と看做せばよい、擬制(リーガルフィクション)させればよい。「試験の時体調が悪かった」、「緊張して実力が発揮できなかった」などの抗弁はさせてはいけない。

少年事件の場合、よく「可塑性があるから重い罪は適さない」などと言う人も居るが、それも限度がある。少なくとも人の生き死にに関することは、成人と同等に扱っても良いのではないか。

被害者にとっては、成人であろうが少年であろうが、命を奪われたことには違いないのだから。

少なくとも、菊池寛「恩讐の彼方に」の了海のように主殺しの負い目を一生背負って、敵と狙う実之介の心まで動かすことができるほどの後悔の念を持たせるべきであろう。そうでなければ、「女子高生コンクリート殺人」で罰を受けながらも反省せず、むしろそれを誇らしげに語り、再犯を犯した元少年を想起しても不思議はない。
posted by Serendipity at 22:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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