2013年06月14日

共通性こそ人と人とを結ぶ鍵

ご隠居はんと留はんの「量子力学」珍問答

LOTO6をはじめる前に読む本
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 「個性」を大事にしなさい、伸ばしなさい。多くの学校で金科玉条のように教える。
 個性ねぇ、大事だろうけどそんなに強調しなくたって、と思う。というのは、個性なんてものは、抛っておいても自然に出てくるし隠しようもないものだからだ。逆に親や先生が個性を押さえつけようとしても無理。それほど強い。
 だから、個性よりも共通性を植え付けた方が良い。
 「俺はお前と違うんだ!」なんて言葉が言えるのは、共通性がしっかりあってこそ言えるのだ。全く違う者同士なら最初からこんなことは言わない。

 共通性こそ人と人とを結ぶ鍵。
 だから文化が、慣習が大事なのだ。


 「他の人と仲良くしなさい」、幼少の頃から散々に聞かされていただろう。おそらく誰も反対できない正論だ。だが条件がある。少なくとも「最低限の価値観が同じ」である場合だけだ。
 例えば、地球のどこかの僻地で、ある部族と接触を試みたとする。ところが突然襲われそうになった。こうなれば「話せば分かる」などと悠長なことは言ってられない。ただひたすら逃げるか、立ち向かうしかない。仲良くするも何も、彼らはあなたを食料としたいのか、テリトリーを犯した者として殺害しようとしているからだ。
 極端な例ではある。しかし、似たような遺伝子を持ち「人」のように見えても、育った環境で人は全く異なった「人」になる。
 実際、一切の文明を拒否し孤立することを望んでいる部族は実際にある。慥かに彼らは「人」かもしれないが、現代人の価値観を共有する「人間」ではない。また彼らが望まない以上、過干渉は避けるべきでもある。

 さてここに、

・いとこが田畑を買えば腹が痛い。
・女は三日殴らないと狐になる。
・他人の牛が逃げ回るのは見ものだ。
・他人の家の火事見物をしない君子はいない。
・弟の死は肥やし。
・倭将は病気にかかるほどよい。
・盗みも一人でやれ。
・梨の腐ったのは娘にやり、栗の腐ったのは嫁にやる。
・母親を売って友達を買う。
・梨を食べて歯を磨く。(一挙両得)
・女房を殴った日に女房の母親がくる。
・隠れてみたら捕盗庁の建物だ。
・三日も飢えて塀を越えない者はない。
・音の出ない銃があれば撃ってやる。
・俺の物は俺の物、お前の物も俺の物。
・人が自分にそむくなら、むしろ自分が先にそむいてやる。
・死ぬ女が陰部を隠すものか。
・死んだ息子のちんこに触ってみる。
・銭は汚く儲けても、きれいに使えばよい。
・川に落ちた犬は、棒で叩け。
・営門で頬を打たれ、家に帰って女房を殴る。
・姑への腹立ち紛れに犬の腹をける。
・あんな奴は生まずにカボチャでも生んでおけば、煮て食べられたものを。
・ただの物は苦くても甘い。
・ひとつ釜の飯を食べて訴訟を起こす。
・らい病患者の鼻の穴に差し込まれたにんにくの種もほじくって食べる。
・一緒に井戸を掘り、一人で飲む。
・泣く子は餅を一つ余計もらえる。
・便所の蛙に陰門をかまれた。
・屁が癖になるや、麦の食糧も底をつく。
・大便かカボチャ汁か。
・白い粥に鼻水。
・屁が度重なれば大便がしやすい。
・手も当てずに鼻をかむ。
・臭くない便所があるものか。
・自分の陰部をさらけ出して人に見せる。
・野生のまくわ瓜は、最初に独り占めした物が持ち主だ。
・家と女房は手入れ次第。
・自分の食えない飯なら灰でも入れてやる。
・嘘も百回言えば、真実になる。

と考える部族(国)がいるとする。果たして付き合う自信がおありだろうか。精神の深奥の部分でこのような考え方を持っている「人」と付き合えるだろうか。
 形が似ているだけが共通部分で、それ以外ことごとく異なる場合、どうやって付き合えばよいか、分かるものなら教えて頂きたい。但し、綺麗事は結構。

 挙げた項目を見れば分かるように、こういった思想を持つ部族(国)は、先進国から見ればかなり特異な精神構造だといえる。生物の基本戦略の弱肉強食を地のままに生きているのだろう。
 大東亜戦争後70年近く経ってもその精神性が変わらないなら、この先一体どれだけの時間を掛ければ近代化できるのか。それともできないのか。この部族(国)自身が自らを変える意思がなければ、外的な要因では変わらないだろう。先進国はそれに気付くまで待てばよい。経済どうのこうのとスケベ心を持って接触すべきではない。それでは進化しつつある国際社会に混乱を齎(もたら)すだけだ。

 日本人は、「人」の形をしていれば、何故か「話せば分かる」と思ってしまう。しかし、人の形をしていても、その精神性が全く異なるということを理解していない。これは何度も述べた。例えば、惻隠を示せば、少なくとも関係が悪くなることはないだろうと思いがちだ。多くの日本人はにわかには信じないだろうが、情を掛けたことが「必ず」関係悪化になる民族(国)もあるのだ(「弱い者に情を掛けるのは、何か後ろ暗いところがあるのだ。だからどんどん要求すればよい」、「相手が情を掛けるというのは、我々にそれだけの価値があるということだ。だからさらに要求すればよい」)。
 見た目に騙されるが、部族(国)間の違いは、ネコとイヌ程に違う場合だってある。同じコンピュータでも搭載されているソフトウェアによって全く違う動作をすることに似ているかも知れない。

 個人だって友人は選べる。あまりに価値観が違えば、付き合うのは難しい。適当な距離を保つのが良い。国とておなじことだ。隣にあるから、全く付き合わないことは無理だが、火事と葬式で済ませば良いのだ。間違っても友好国ではない。
posted by Serendipity at 23:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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