2015年06月26日

移民問題





 イタリアは今、ボートピープルに頭を悩ませているらしい。粗末な船で、しかも定員をかなりオーバーして漂流しているから助けない訳にはいかない。助けたら今度は、保護しなければならないというのが、EUの規約だという。しかしイタリアとて野放図に難民を受け入れらる筈もない。そこでEU全体で難民を受け入れるべきだと主張した。EUの意思決定機関は、各国のGDPによって案分して受け入れるよう勧告をしたようだが、結果は2分され、賛成派と反対派に別れているという。
 難民達はどうなるかというと、まずは身元をチェックされ収容施設に一次置かれる。その後難民指定されれば一定の住居と生活費などを支給されるという。しかし、そこで大人しくしている者ばかりではなく、イタリアを離れようとする者もいる。フランスは受け入れに消極的で、イタリアとの国境で彼らの入国を阻止した。だが驚くべき事に、ここで大人しく返る者達ではない。早速権利を主張し始めた。「通せ!」と。国境に居座り圧力を掛けているのだ。自国が荒れて食うや食わずで棄国をした彼らが、感謝ではなく権利を主張し始めた。慥かに気の毒な面はある。しかし、酷なことを言うようだが、自国に残って自由を実現させようとすらしなかったことも事実だ。
 近代社会では「人権」を盾にされると、殆ど何もできなるなる。できなくなるどころか、それに少しでも違う言論でさえ、抹殺される。議員であれば、辞職せざるを得なくなるほど追い詰められる。中世とは違った言論封鎖がまた始まっているのだ。
 ある民族が侵入することを「侵略」の一つの定義とすれば、これは「ソフトな侵略」ではないだろうか。武力を行使しようが、騙そうが、相手の親切心を利用しようが、結局は中に入り込むことに変わりはないからだ。そして後から来た者は、未来永劫大人しくしていることはない。

 細菌の話しをしよう(移民者を細菌と言って貶めているのではないから間違えないように)。細菌は、取り憑いた生物の免疫が強ければ、排除されるか、大人しくしているが、一度免疫が落ちれば、あっという間に宿主を乗っ取ってしまう。だがこれは細菌だけの話しではない。細菌に拘わらず、生物はそのようにして自らの勢力を拡大していくものではないのか。ここに善悪などはない。端から生物はそのように仕組まれている存在ではないのか。
 それが分かっているから、人類は自らの文化、慣習を守るために国を作って守ろうとしてきたのではないのか? だから自国の文化、慣習を守りたいなら、移民を安易に考えないことだ。国があってこそ人類の多様化を保持しているのではないか。それでいいではないか。別に国と国との交流をしないという訳ではないのだから。
 「人は他の生物と違う。互いの文化から学び昇華させることができる」などという者もいるが、どうやら歴史はそうでないことを示している。アメリカンネイティブ、オボリジニ、インカ帝国、等々、一方的に滅ぼされてしまった。もう彼らの文化、慣習は失われてしまった。記録としてしか残っていない。インカなど記録さえ危うい。
 別に彼らが劣っていた訳ではなかろう。ただ「侵略」に抗する力がなかっただけだ。それを劣っているというなら非情だが、そうかもしれないが。

移民に関しては、国民レベルで考える問題だと考えるべきだ。
ただ政府だけに任せてはダメなのだ。
posted by Serendipity at 03:03| Comment(1) | TrackBack(0) | コラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
ベイズの入門書が出るというので楽しみにしていたのですが…。
思いがけないものを読みました。
難民については、たとえば政府が国民を武力攻撃しているようなシリアのような国で、自由を実現するために戦えるかというと、自分には無理そうです。ひたすら逃げると思いました。
Posted by k at 2016年02月06日 14:59
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