2016年12月14日

kindle本、電子書籍分野で席巻か?!

 「対話形式の本は売れない」という編集者の一言からお蔵入りになっていた原稿が日の目を見ることになった。ご存じかもしれないがamazonのKDP(kindle本)というシステムのお陰だ。いわゆる電子本だ。
 電子本といえば、kindle以前にもたしかにあったがどれも規模が小さく知名度も出版フォーマットもばらばらで、成功した例はなかった。ところが、天下のamazonがこの世界に乗り出し様相は一気に変わった。amazonが全面的に著者を支援しマーケットの広さを武器に一気に攻勢を掛けてきたのだ。なんと著者自身が出版社と同じ立場に立ったのだ。原稿さえあればわずか48時間で発行でき、しかも30%,70%という印税が用意されている。さらに市場はまさに世界的だ。世界同時発売なんて従来では想像すらできなかったことだ。まさに筆者の力量によってのみ作品が評価される。これは大きな変革だ。
 しかも仕事として出版しようとするだけではなく、従来なら自己出版という道しかなかった、それでも何かを残したいと思った人々にも経済的な負担を一切掛けることなく出版が可能になったことは表現の多様性からも画期的だ。
 大手の出版社は電子本に懐疑的であると聞き及ぶが、流れは既に電子本優位に傾いている。生まれたときからインターネットが当たり前のように存在していた世代は当たり前のように端末を利用するし、スマホの普及率を見ても、端末で情報を取得するのは当然という時代だ。これは加速することはあっても後退することはない。事実、筆者もkindleの端末を利用してから、本を読む速度は上がり、しかもその数も増えた。何百という書籍が手に乗るほどのサイズの端末で読めることは普通の本ではあり得ないことだ。たしかに紙の本でなければ本ではないという考え方を持つ人も多いだろう、それは否定しないが、多種多様の本を読もうとすれば本を置く場所はなくなる。実際筆者の周りにはもう本をおくスペースは既にない。家人からは、処分してくれと泣きつかれる始末だ。
 なにからなんでも良さそうな電子本だが、問題もある。kindleの書籍フォーマットは一応決まっているものの、現時点では、数式や化学式などの規格がないということだ。文章中に数式を多用する筆者にとってはかなり問題で現在では画像として扱わなければならないので難儀する。これには早く対応して頂きたい。
 マイクロソフトのDOC形式がそのまま完全に利用できれば、数式でも化学式でも対応できるのだから、時間の問題だと思うのだが。
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 ということで、今回発行した書籍は、「ご隠居さんと留さんの『量子力学』珍問答」というもの。落語形式(?)で量子力学の誕生までを描いたものだ。桂枝雀師匠のファンであるところから思いついたのだが、ユーモアも「数式」も取り入れたという、かなり実験的な本になった。筆者は割と気に入っている。どう受け止められるかは分からないが、でもそれはそれで良いと思う。選択肢は多い方がいいからだ。

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2016年11月28日

●火星移住詐欺?

 火星移住計画が動いているらしい。壮大な計画で実行者はかなりまじめに取り組んでいるという。
でもこれ、詐欺じゃないのかな。
 えっ、身も蓋もないって?
 たしかに人類の進歩は危険を顧みない何人もの冒険者、先駆者達によってなされてきた。
 地球が平らだと思われていた時代には、海の果てまで行ってみたいという者達は、「海の端に行ったら奈落の底に落ちてしまうぞ」と周りの者に嗤われたし、鳥のように空を飛びたいと思った者は、気が狂っていると馬鹿にされた。しかし歴史は、彼等のお陰で、多くの知見を得てきたことを示している。まさか地球の空をジェット機が自由自在に飛び交っているなど、ライト兄弟でさえ思いもよらなかったかも知れないが…。
 このように人類の進歩は、危険を顧みない冒険者、先駆者によってなされてきたことは間違いない。
 移住も同じことだったのかもしれない。欧米人、特にアメリカ人はヨーロッパ大陸から北米大陸に移住して大成功を収めた。彼等の体にはこのような成功体験が染みているに違いない。もちろん、アメリカ人にとっては、「開拓、移住」だったかもしれないが、原アメリカ人にとっては「侵略」の何ものでもないことも忘れてはならない。
 冒険者はリスクを恐れない。しかし蛮勇の持ち主ではない。考えられるリスクすべて考慮して行動する。誤解を恐れずに言えば「臆病」のはずだ。しかしこれは彼等の名誉を毀損することにはならない。むしろ賞賛すべき性質だろう。想定されるリスクは考え抜き対策を考える。しかしそれを超えるリスクは存在する。彼等はそのリスクを引き受けて冒険に挑む。だからこそ成果を得られる可能性が高くなるのだ。もちろん自らの命を省みず臨まなければならない場合もあるだろうが、それは最終手段だろう。
 では今回の火星移住計画はどうだろうか。リスクは許容(コントロール)できる範囲にあるのだろうか。どうみても無謀で時期尚早にみえる。技術的にも人間の性向からも移住を考える前に実験しておかなければならないことは山ほどあるのだ。
 たとえば閉鎖空間で数人の人間がその中だけの資源で生存できるのか、という実験を行ったことがある。1991年アリゾナの砂漠に作られたバイオスフィア2(ちなみにバイオスフィア1は地球のことだそうだ)だ。男女8人が閉鎖空間の中で生活できるかどうかを実験したが、結局破綻してしまった。その要因は、不十分な生存環境制御、食糧不足、そして心理学的要素であったという。どれも重要な課題だが、最後の心理的要素というのはかなり重い。これは「バイオスフィア実験生活―史上最大の人工閉鎖生態系での2年間 」(ブルーバックス、講談社)という本の中で、「…言葉どおり個人的ないさかいも起きました。それどころか一種の権力闘争、派閥抗争のために、すんでのところですべてが台無しになりそうな事態さえありました。バイオスフィア2に入る時、私たちは互いに、これからこの人たちとすばらしい友情をはぐくむのだと大いに期待していました。が、二年経って出てきた時には、もうほとんど口もきかないほど関係が悪くなっていた人たちもいました。」(p8)と記述されている通りだ。今回の火星移住計画で何人になるのかは分からないが、わずか8人でさえ簡単に諍いが起きてしまう事実をみると、仮に技術的な問題が解決されたとしてもこういった人間の性向を解決することは相当困難だ、できないと考えた方が良い。
 火星移住計画の推進者の一人であるイーロン・マスク氏は「人口増加や環境破壊、戦争などによる滅亡の危機に備え、人類の未来をつなぐには火星移住が必要だ」と公言しているが、この言葉こそ身勝手な人類の思想そのものではない
か。人類自ら招いてしまった結果から逃げようとしているからだ。この地球で問題が解決できなければ、どんな星に移住しようが上手くいくはずがない。地球で解決できなければ、それは人類の滅亡を意味する。解決できなければ、人類はその事実を甘受するしかない。このような考え方を持った者達が火星に移住してもおそらく数年と持たない。自壊してしまうのは火を見るより明らかだ。それがたとえ人類が生存する環境を得たとしてもだ。
 考えてみれば何のことはない、映画「インデペンデンス・デイ」で描かれたエイリアンは、人類そのものだったのだ。この映画の制作者は、意図してか無意識かは分からないが、ある意味人類の事実を描き出してしまったようにみえる。

 筆者は、文頭で「詐欺じゃないのか」と述べたが、実は「騙す側」も「騙される側」も実はいないと思う(陰謀論者なら「いや黒幕はいる。これで稼ごうという人間が」と言うかも知れないが…)。だから本当は「詐欺」ではないだろう。移住希望者の多くは自らが助かろうとして移住しようと考えているのではないだろう。むしろ次世代の礎になろうと純粋な気持ちから自らを犠牲にしようとしているに違いない。ナイーヴだとは思うがそういう志は尊い。だが思索が深いとは言えない。もしそういう志を持っているのであれば、なおさら事を急ぐべきではないだろう。本当に実現させたいのなら設定されている時間が短すぎる。たしかに何らかのプロジェクトを成功させるためには期限設定は必要だ。「いつかは実現できる」というのは「決して実現しない」のと同じ事だからだ(脚注)。しかし今回の期限設定は短すぎやしないか。50〜100年程度の時間は必要だろう。
 最後にMIT(マサチューセッツ工科大学)の研究者は以下のように警告しているという。
「現在の科学技術では火星到着から68日しか生きられない」と。

(脚注)
 余談だが、日本のFBR(高速増殖炉)が成功しないのも技術的に難しいことは承知してもそれ以上に明確に期限を設定しないからだと思う。期限のない計画は、職員の士気も上がらず、だらだらと時間だけを浪費してしまうだけだ。このFBRに頼って日本の原子力政策を策定するのでは不安に思う国民が多くいてもおかしくはない。期限を設定して、実現すれば、A案を、実現しなければB案を実行するというオルタナティヴがなければ、原子力政策は「トイレのないマンション」と揶揄されても仕方あるまい。実際使用済み燃料の処理はできていないのが現実であり、その処理は焦眉の急である。
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2015年07月07日

世界遺産登録問題





 軍艦島を始めとする数点が世界遺産登録となった。しかし、これは喜ぶべき事なのだろうか?
 果たしてこれで良かったと言えるのだろうか?
 歴史的に事実ではない「朝鮮人の強制労働があった場所」としても認定されてしまったからだ。

 実は、これが日本の弱点だと思う。一度「世界遺産登録必至」という組織が出来上がってしまうと、当初の目的(歴史的に価値ある遺産として残す)から逸脱し、それが誤った方向に進もうとも途中でそれを押しとどめることができない。おかしいと気付いた者が、異論を唱えれば排除される。まさに、小室直樹氏が喝破したpneuma(空気)の造成によって、正論は排除されてしまうのだ。それは畢竟、破滅に至る。それはまるでレミングの「死の行進」のように。

 歴史的価値があるものなら、たとい世界遺産登録に時間が掛かっても(或いは、ならずとも)、その意義を失わせてはならない。登録如何に拘わらず、国が保存すれば良いことの筈だ。今回の登録に当たっては、決して認めてはいけない、事実とはことなる「強制労働」という項目を受け入れてしまった。歴史的意味を歪曲し、それが世界遺産に登録されて一体何の価値があるのだ?
むしろ負の遺産として世界中に認識されるだけではないか。

 地元の経済効果は少ないだろうが、何でもかんでも経済優先では、国が危うくなりはしないか。
 それは触るものすべてを金に変えることを神に願い、そして叶ったミダス王の愚行のようだ。
 今はそれを思い出すときではないのか?
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2015年06月15日

不思議な縁





 普段なら逃げてしまう三毛猫が、どういう訳か、ニャーと鳴きながら、こちらへ来てくれと云っているようだった。
付いていくと、そこには瀕死の子猫がいた。
おそらくだが、母親は育てられないと、助けを求めに来たのだろう。
実際、鼻には既に蛆が顔を出していた。
子猫も逃げるそぶりも見せない。もう動けないのだろう。
「こりゃダメかな」と思いつつもタオルで包みピンセットで取りあえず除去し、猫用ミルクを与えてみた。
下痢はするし吐くし、やはりダメかと思ったが…。

今ではソファーを占拠して我が物顔で寝そべっている。
右目が青で、左目が金色のオッドアイの白猫だ。
奴は今年で16歳(推定)になった。
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2015年06月08日

WEBサーフィンしていたらこんなのがあった





ネットサーフィンをしていたら、こんな映像見つけました。
何の問題.jpg

何かのクイズ番組のようですが、何だか奇を衒ったような問題ですね。
log416
log636
log981
なんて、2ですし、微分してしまえば、-7など意味がありません。
問題は、eで、これは単なる定数なのか、それとも「ネイピアの数」(自然対数の底)なのか、これでは分かりません。
何の問題1.jpg
となるのでしょうが、あまり良い問題ではありませんね。
単に、指数や微分を知っているか、というだけです。
ちょっと見のインパクトで視聴者を驚かせるのはどうでしょうか。
クイズとは云え、もっと良い問題があるはずです。
前に挙げた、「コロンボ刑事」の例のように。
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2014年09月08日

拝啓 中京テレビ様

拝啓 中京テレビ様

中京テレビ宛て
お世話様です。
早速ですが、「NNNドキュメント’96 IANFU インドネシアの場合には」(放送ライブラリー、番組ID007986、放送日:1986.03.30)についてご回答をお願い致します。
過日、ネットにて
「日本語字幕が
『戦争が終わると日本人は誰も居なくなっていたんです。私たちは無一文で置き去りにされたんです』

はインドネシア語の実際の発話は、

『あの朝鮮人は誰だったんだろう。全員がいなくなってしまったんです。私たちは無一文で置き去りにされたんです』

と話している」との情報を得ました。

これについてご回答をお願いいたします。
1.これは事実であるか
2.事実であるならば、「日本人」と「朝鮮人」とでは、明らかに違う発音、JepangとKoreaになると思われるが、どうしてこのような字幕になったのか。その経緯は?
3.放送後、字幕が違うなどの指摘はあったかなかったか?あるいは、自発的には気がつかなかったのか?
4.気づいたのであれば、その時点で訂正などの広報は行ったのか?
5.行っていないのであれば、今後訂正広報する予定はあるか?

以上ご回答よろしくお願いします
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単なる事実確認なのだが、今のところ全く連絡はない。
マスコミの一番問題な点は、事実であるかどうかさえ自らが不利になるかもしれないと判断すると、「個別の事案に対しては、ご回答を控えさせて頂きます」などと、その公開を拒絶することである。
番組は公開されており、放送ライブラリでは現時点でも見ることができるのにも拘わらずにだ。
マスコミの多くは「情報公開法」に難癖を付けていたが、それを言う自分たちがこのていたらくだ。一体どの口が論評できるのか。
公開されたものはねじ曲げられない、だから沈黙するでは、ジャーナリズムに携わる資格など一片もないのではないか。
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2014年08月10日

電子ブックの可用性を高めるEpubor Ultimate

電子ブックが本格化して久しい。
特に表示端末の能力が上がり、価格もこなれて。
また紙より多少安い(電子版はもう少し安くできるはずだ)し、無料版もある。紙という資源の無駄遣い(?)も防げるだろう。
紙の本を数十冊も持って歩けはしないが、軽量な端末なら数百冊でもOKだ。
いいことづくしの電子ブックに思えるが、まだ熟していない部分もある。
DRM(Digital Right Management)の問題だ。
慥かに、出版社としてはプロテクトを掛けずして販売などできない。
出版社とユーザには紳士協定は事実上通用しないから、発売と同時に商品は商品ではなくなってしまうだろう。
良き時代のUNIXの世界であれば、使用者は限られており、それなりにプログラムもデータも自由に使えたが、一般にPCが普及した今はどうだろう。悪意を持ったウィルスや犯罪など、現実世界と全く同じ人間の悪癖が蔓延してしまった。セキュリティプログラムは手放すことはできない、という有様だ。
だからデータを提供する側がDRMを掛けるということは理に適っている。

しかし、しかしである。この問題はそう簡単ではない。今度はユーザの立場に立ってみると、規制がきつすぎて(例えば、制限された部分コピーでさえできない、印刷もダメ)使いにくいばかりではなく、データがいつなくなるかという、杞憂ではなさそうな問題もある。実際、配給会社がつぶれてしまえば、データが保証されるかどうかは分からないのだ。

双方の主張は、どちらも当を得ている。ではどうしたら良いのか。
将来的には、データは自由に使える方がいいだろう。データ拡散の対策は、購入したデータの属性として、購入者が誰であるか、拡散された場合に、追跡できて、それに対して損害賠償を求めることができるような技術と法的体制を作ればいいのではないか。
慥かに、今は難しいかもしれないが、双方の要求を満たすためには、超えなければならない壁でもある。

将来的な方向性は見えてきたが、現時点ではどうしようか、ということになる。
少々(かなり?)ユーザよりになるかもしれないが…。
まずデータは買う。しかし、DRMは解除させて貰おう。
担保は取れないが、拡散はしない、という約束も守ろう。

そこで、筆者は、Epuborという会社の"Epubor Ultimate"を使ってみた。Amazon.comから購入した本(データ)に適用してみたのだ。
何の不都合もなく他のリーダーで読めた。この効果は非常に大きい。もちろん、何度も言うが、他に漏らしたりする意思は全くない。
出版社を倒産させては元も子もないし、それ以前に犯罪者にはなりたくはない。
データがフリーになることによって、他のアプリケーションと絡めること(例えばポップアップ型の辞書など)で可読性はさらに向上している。

将来、データ供給者とユーザがうまく調和できることを望んで、今はad hoc(一時的)に運用している。

こういった環境が必要でない方には意味がないが、必要であれば、この方法を試してもいいかもしれない。
但し、くれぐれも注意していただきたいのは、データを漏らさないこと、これは使用者の人格に関わる問題だから、誘惑に惑わされてはいけないことを指摘しておきたい。

To ladies and gentlemen of Epubor:

If you would make a new version of "Epubor Ultime", the version could be able to work also in Android emulator like BlueStacks.
I think it would be a very useful software.

Thank you!
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2013年09月18日

「特別永住者の国籍取得特例法案」には絶対反対!

ご隠居はんと留はんの「量子力学」珍問答

LOTO6をはじめる前に読む本
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拝啓 日本政府殿

 保守の一部が主張している「特別永住者の日本国籍取得を容易にするべき」という意見には大反対致します。加えて二重国籍などとんでもありません。
 帰化というのは形式的なものであってはなりません。国柄を根底から変えてしまう可能性があるからです。

 移民を推奨していたヨーロッパでさえ、今では内乱の原因となっています。もともと思想的、共同性、習慣、風習などその多くを共有して自然発生的に人が集まり国になったのです。そこに全く違う異分子が入ること自体が国の発生条件とは異なっています。移民の多くは、他国に来ても同化することはまずありません。自国のままの生活習慣、文化などをそのまま持ち込みます。そうなれば元からの国民との軋轢は必ず起こるものです。ヨーロッパが人口減少対策、或いは、思想的に受け入れを推進しても、結局はうまくいかなくなっているのはそのせいです。
 多くの国を見れば分かる筈です。国毎に思想、風習、慣習などが異なります。だからこそ別々の国として独立しているのではありませんか。
 新たに移民を受け入れるというのは、移民国家であるはずのアメリカでさえ、問題になりつつあります。例えば、英語を解さずスペイン語しか分からない移民が増加したため、ある地域では、逆に英語が殆ど通じなくなった地域があります。そうしてやがて、その移民を代表する代議士が生まれ、スペイン語も公用語にするように条例を変えるようにさえなってしまいました。アメリカは合衆国ですから、州毎に独立してはいます。しかし州の中までまるで独立したような地域ができてしまうと、これは果たして国(州)としてどう纏めて良いか問題になるでしょう。移民達もアメリカに忠誠を誓って帰化はしています。それに米国の市民権を取るのはそれほど簡単ではありません。犯罪を犯してないこと、思想的問題など徹底的に調べ上げられます。受け入れる国としたら、国を破壊するような移民を受け入れるわけにはいかないからです。こういった問題をクリアして晴れて帰化した者達でさえ、自国の慣習などをそのまま持ち込んでしまうのです。アメリカは先に述べた通り元々が移民で成り立っている国ですから、比較的そういうことには寛容です。それでも建国から200年余を経て、国としてのそれなりの形が出来つつある今、古くからの移民達は大きな共通点が増えてコンセンサスができつつあります。ですから、そういった事柄に対して、假に意義を唱えるような移民が入ってくれば、その寛容さは徐々に消え、軋轢となるでしょう。「寛容」というのは、大きなストレスとなるからです(実際、アメリカ社会が抗ストレス社会であることは周知の事実です)。
 本来他国に移民として入るのであれば、まずはその国の慣習、習慣などを受け入れ、溶け込むことが必要です。もちろん、移民自身の風習その他を捨てろとは言いませんし、その必要もありませんが、それを声高に主張し、押しつけるようなことはすべきではないでしょう。もし元の住民達が嫌がるのであれば、話し合って解決し、場合によっては引く覚悟も必要です。徐々に理解して貰うことはもちろん良い事ですが、押しつけがましいことは避けるべきです。

 移民の中には、まるで自国にいるかの如く振る舞うことが、民族としてのアイデンティティを保つために必要だと大きな勘違いをして軋轢を起こしても何の痛痒も感じない者もいます。これではうまくいくはずがありませんし、国益にも適わないでしょう。国益に適わなければ、当然のこと移民など認めてはなりません。国が混乱してしまいます。

 よくこのような事を述べると、差別主義者だの、進歩していない、などの頓珍漢な批判をする人が居ますが、そういう者達こそ現実を見ていない。理想は「世界は一つ、人類は皆兄弟」なのでしょうが、そんなものをユートピアにしかない。それに今述べたことは、別に差別をしているのではありません。ちなみに差別とは、「言われなき迫害」であれば問題ですが、単なる元の意味「区別」であるなら妥当です。

 国に忠誠を誓い、その言葉通りに真っ当に暮らしていこうと決意し帰化した者に対しては、どうのこうの言う気はありません。それどころか応援すらするでしょう。実際そういう者も少なくはありません。しかし、国に忠誠を誓うどころか嫌悪し、あまつさえ反日的行動をする者達を、国民にするなどということは出来ない相談です。言うに事欠いて、「帰化などしたら民族の自尊を失う。帰化など出来ない」などとほざくようでは、排斥の対象になることは理の当然でしょう。自らの生命、財産を犯されるような状況を許しておくほど人は寛容ではないのです。それに国内を乱す原因になることでしょう。

 さて、そこで「特別永住者の国籍取得特例法案」です。

 「在日であれば、申請書類の届出だけで審査すらせず帰化を可能にする」

 これに驚愕、激怒しない国民が居るとでもお思いでしょうか。在日が「強制連行された者」だから、可哀想ですか。馬鹿を言ってはいけません。かれらは自己都合、密航によって日本に渡ってきた者達であり、その子孫です。強制徴用された者など245名しかいません。それに2005年の日韓基本条約関係文書公開に伴う韓国政府に対する補償申請者は、2006年3月時点で総受理数21万件の内、在日韓国人からは39人に留まっています。ですから余はすべて先ほど述べた理由で日本に留まっている者達なのです。
 これらの者達は、今まで日本が「保護」してきたのですから、礼を言われても文句を言われる筋合いはありません。韓国も取り敢えずG20の内にいるのですから、もう帰国させても良い頃です。吉田元総理の懸案をここで解決すべきでしょう。

 なぜここまで強硬に帰国を要請するかと言えば、先に述べた移民に関する根本要件と、それとは別の問題が大きくなってしまったからです。例を挙げましょう。

 本来なら名指しするのは気が引けるのですが、相手は国会議員ですからそうもいきません。それは民主党に白眞勲議員です。議員になれるのですから彼は帰化していますが、恐ろしいことに「日本の議員」たる資格はありません。例えば、

我々韓国人は『東海』を『日本海』とは呼べない」(2003年、朝鮮日報)
我々韓国国民にとって、(石原人気は)不思議な現象にしか見えない」(2003.11.2 TBS サンデージャポン)
「在日に勇気と希望、元気を与えたい。在日も韓国系日本人も結集し、みんなの力で地方参政権を獲得しよう」(民団新聞 2004.7.14.)
「日本で外国人参政権が実現しない理由は日本の一部にある偏狭なナショナリズム」(民団国会議員アンケート)
韓国は心の中にいつもある国」(2007 聯合ニュース)
我々韓国人は『東海』を『日本海』とは呼べない」朝鮮日報(日刊新聞)、
韓国のためにこの地位を利用する」(民団講演)
我々韓国国民にとって、(石原人気は)不思議な現象にしか見えない」

こういったことを平気で公言しているのです。これが重大な案件でなくて何が重大なのでしょうか。日本國議員が、「我々韓国人は〜」、「我々韓国国民は〜」などと述べること自体が異常であることを理解できなければ、国会が愚弄されていることも理解できないでしょう。延いては、日本國民をも愚弄していることも忘れている。どんなに意見が異なろう構いませんが、国会議員や國の業務に拘わる官僚は、国益をまず第一義として守らなければ、國としての体をなさないではありませんか。

「特別永住者の国籍取得特例法案」などを通せば、このような悪徳が今以上に蔓延ることになります。 

政府は、命を賭して、こういった國を破壊するような者達を排除して行かなければなりません。これも国防なのです。

以上により、私は、「特別永住者の国籍取得特例法案」が通過することは絶対に反対致します。
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2013年09月17日

慰安婦?それより現在の売春婦が「性奴隷」ではないのか!

ご隠居はんと留はんの「量子力学」珍問答

LOTO6をはじめる前に読む本
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 戦時中の慰安婦がどういうものであったかは、アメリカ軍が1944年に実際の慰安婦を聴取した記録が、米国立公文書館の資料

UNITED STATES OFFICE OF WAR INFORMATION
Psychological Warfare Team
Attached to
U.S. Army Forces
India-Burma Theater
APO 689

にあり、この中で、

・慰安婦達の証言では、志願して雇用され高額の給料を貰っていた
・待ちへ出かけて化粧品や洋服など好きな物を買っていた
・時間の関係で全てのお客(兵士)にサービスができない事を悔やんでいた
・日本人の兵士達とスポーツをしたり、ピクニックをしたり宴会をしたり様々なイベントを一緒に仲良くやていた
・借入金がある慰安婦は、その返済が終われば希望があれば国へ帰ることも出来た
・日本の兵士と結婚する者もいた

という項目がある。
 これは先に述べた通り、1944年の米軍の調査であり、大東亜戦争中のことである。当然この報告を握り潰し、日本に対して「日本軍は性奴隷として女性を扱っている」とプロパガンダをしてもおかしくない状況であった(実際、米軍は別の形でプロパガンダをしていた)。にもかかわらず、このことについては、"SECRET"としながらも、一切利用していない。つまり、
●敵国である米軍が直接当事者を調査していること
●調査により虚偽ではないことを認めていたこと
から、この資料の確実性は高いことを示している。

 もちろん、この資料だけで、全てのケースがこうであったとは言い切れないが、これと合わせて、日本政府の調査による「軍による強制連行はなかった」という事実を合わせると、日本政府の調査の正確性が高いと判断しても良いと考えられる。よく「証拠資料など焼却、破棄したのだろう」と疑う向きもあるが、こういう資料を全て抹殺、隠蔽することは事実上不可能だ。どんなに隠蔽しようが、あれば必ず出てくる。にも拘わらず、日本政府の調査だけではなく、「慰安婦が強制されていた」と信じているグループによっても見つかってはいない。
 但し、軍に属しながら、軍人が強制売春などさせた「白馬事件」などのケースは、軍関与の犯罪ではなく個人の犯罪として断罪され処罰(死刑を含む)を受けているので、日本政府の調査とは矛盾しない。この事件と混同してはならない。

 以上のことを前提にして、これを、国連の「経済及び社会会議」による「奴隷状態の現在の形態」の「犯罪の定義」、「奴隷、性奴隷状態を含む」のNo.27〜33(要旨)に鑑みると(http://d.hatena.ne.jp/keyword/%C0%AD%C5%AA%C5%DB%CE%EC)、
(original:http://www.unhchr.ch/huridocda/huridoca.nsf/0/3d25270b5fa3ea998025665f0032f220?OpenDocument#II
その要旨は、
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第2章 犯罪の定義
 第2節 奴隷制(性的奴隷状態を含む)
   奴隷制の定義は1926年の奴隷条約において明記され、その定義は「奴隷状態とは、所有権を伴う権力の一部もしくは全部が一個人に対して行使されている状況もしくは状態である」、レイプなどの性暴力の形態による性的接触も含む。

「性的(sexual)」という用語はこの報告書では奴隷制の一形態を説明する形容詞として使われており、別個の犯罪を示すものではない。あらゆる意味で、またあらゆる状況で、性的奴隷制は奴隷制である。性的奴隷制には、女性や少女が「結婚」を強要されるケースや、最終的には拘束する側から強かんなど性行為を強要される家事労働その他の強制労働も含まれる。

奴隷制という犯罪は政府の関与または国家の行為がなくても成立し、国家の行為者によるものであろうと民間の個人によるものであろうと、国際犯罪に相当する。さらに、奴隷制とは人を所有物として扱うことを指すが、その人が金銭で売買ないしは人身取引されていないという事実をもって無効となることは決してない。

奴隷制の定義には、自己決定権、移動の自由、自己の性活動に関する事柄の決定権の制限などの概念も内在している。個人的には被害を受ける相当の危険を犯して奴隷状態から逃げることができたとしても、それだけで、奴隷制ではないと解釈してはならない。

奴隷制にはまた、すべてではないとしても大半の形態の強制売春も含まれる。「強制売春」とは一般に、他人に支配されて性的行為を強要される状態を意味する。

原則として、武力紛争下では、強制売春と呼びうる実態はたいていの場合、性的奴隷制に相当する。
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であるから、性奴隷、あるいは性奴隷状態(以後「性奴隷」と略す)とは、

1.所有物として扱われる→人身売買される
2.自己決定権がない→意思の自由がない
3.移動の自由がない→居住の自由がない
4.自己の性活動に関して主体になれない→性を強制される

となる。
1,2,4は前述の慰安婦の証言により該当しない。3の居住の自由だが、これも商行為による会社員の拘束と同じで、「借入金がある慰安婦は、その返済が終われば希望があれば国へ帰ることも出来た」とあるように、契約が終了すれば後は本人の自由であったことが分かるので除外できる。もちろん戦闘下であるからどこに居住しても良いということにはならず、軍による保護のために、一定の場所に限定されていただろう。
 以上から、慰安婦を「性奴隷」あるいは「性奴隷状態」と認識するのは誤りである。

 さて、これを現在の「売春婦の実態」から見るとどうだろうか。1の人身売買は行われていることは分かっているので、これだけで「性奴隷」とされていることが分かる。また2,3,4も現実の犯罪として報告されている。

 これから分かるように、現在の売春婦は、その多寡は別にして、このような「性奴隷」として扱われている女性が居ることが明らかになっている。もちろん「自由意思」で売春を行う女性も居るが、その意思も、貧困、無知、怠惰などの影響が多大だろうと推察される(本来女性は「売春などしたいとは思わない」というのが前提だが)ので、それが果たして「自由意思」と言えるのかどうかははなはだ疑問だ。寧ろ「広義の性奴隷」と言ってもいいのではないかと思う。

 以上のことから、これから我々が為すべき事は、自らの意思でどうしても売春をしたいという女性(例えば、ヨーロッパの特定の国で認可されているようなケース)を除いて、基本的に売春婦というもの自体が「性奴隷」だと認識し、これを解放することが急務なのではないか。
 過去は既になく、未来は、現在の我々の行動に掛かっている。とすれば、不必要に過去に固執するのではなく、現在の問題を解決しようとする意思の方が重要なのではないか。
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2013年07月16日

テキサス親父が「国立公文書館」へ慰安婦資料請求-「慰安婦」は商売!という完全な一時資料取得

ご隠居はんと留はんの「量子力学」珍問答

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 「テキサス親父(Mr. Tony Marano)」のことはご存じの方も多いと思うが、彼は親日派ではある。しかしおかしいことはおかしいとする人物であり、心強い日本の友人である。今回の慰安婦の資料請求も、ネットに流れている情報を無批判に受け入れるのではなく、自分自身で、米「国立公文書館」に一時資料を請求し確認してから、主張を述べている。この態度から信頼に足る人物であることが分かるだろう。
 この「国立公文書館」に保存されている1944年に報告された「尋問調書」の原文コピーによって、既にインターネットで流布していた情報と同一であることが再確認された。
http://texas-daddy.com/comfortwomen.html

・慰安婦達の証言では、志願して雇用され高額の給料を貰っていた → つまり純粋な商行為であった。しかも当時は合法である。
・待ちへ出かけて化粧品や洋服など好きな物を買っていた → 強制、監禁されることなく、「性奴隷」とはほど遠い存在であった。
・時間の関係で全てのお客(兵士)にサービスができない事を悔やんでいた → 現在の感覚では奇妙かも知れないが、兵士を好意的に思っていた。
・日本人の兵士達とスポーツをしたり、ピクニックをしたり宴会をしたり様々なイベントを一緒に仲良くやていた → 虐待どころか双方とも友好的であった。これをどう理解すれば、「性奴隷」とになるのだろうか。
・借入金がある慰安婦は、その返済が終われば希望があれば国へ帰ることも出来た → 借金返済の拘束以外はなかった。これはもちろん普通の商売と同等である。
・日本の兵士と結婚する者もいた → 慰安婦にそれほどの偏見がなかった。当時の日本では、政治家でさえ娼妓を嫁に取っている。そういう時代だった。

 さらにこの尋問をした米兵の主観として「慰安婦達は、日本人の基準でも、白人の基準でも綺麗な女達ではない」と書かれている。要するに慰安婦は「不細工」だったと言う事が書かれている。
http://crx7601.com/archives/30761137.html
(米兵の主観による最後の2行は少々気の毒だが…)
 
 1944年と言えば、大東亜戦争まっただ中である。アメリカとしては、日本軍を貶めるプロパガンダであれば、嘘も捏造でも構わなかったはずである。これ幸いと思ったはずなのだ。しかし彼らはできなかった。戦後事実が明らかになれば、事実余りにも食い違う嘘がばれてしまうのは国益に叶わないと思ったのだろう。心理的にも明らかに事実が分かっているのに嘘はつけなかったのだろう。ナチスでもあるまいに「嘘も100回言えば事実になる」と嘯き、結局は嘘がばれて追い詰められる韓国とは違い、長期に渡る影響を考慮できるだけの思慮はあったのだ。
 何が半万年の歴史を持つ国だ。そんな膨大な時間を過ごしながら、国益が何であるかまるで学ばない。半万年の歴史が聞いて呆れる。たかだか200年余の歴史しかない国の方が、誠実であり国益を考えて行動していたではないか。

 こういった資料が、日本ではなくアメリカにあるのだ。しかもアメリカ兵が調査して報告しているのである。当時日米は戦争中だ。報告書に、嘘は書かないにしても、少なくとも日本に有利に記述するはずはない。聞き取った事実を淡々と書いたのだ。この事実は非常に重い。

 こういった事実を、グランデール市は考慮すらしないのだろうか。ただ単に「日本が事実を隠蔽」しようとしているとでも思っているのだろうか。しかし事は名誉に掛かる問題だ。当事者の一方的な主張だけを信じて、もう一方の主張を悉く否定するというのは、はたしてグランデール市議会というのは、民主主義を貫いているのか。むしろ否定しているように日本人には見える。少なくとも中立的な立場に立って、最低限双方の意見を平等に聞くという姿勢は必要ではないか。民主主義というのは、自由と共にアメリカの「国是」だと思うが、アメリカの州の一市がそれを否定するというのか。

 だが、嘘を突き通すことはできない。事実は必ず芽を吹く。そのとき、グランデール市は、どんな釈明をするのか。それとも、直ちに過ちを認め、即座に「慰安婦像」など撤去するか。
 今度は、あなたたちの「名誉」が掛かっている。

保存資料
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http://www.youtube.com/watch?v=ggQaYD37Jm4&feature=player_embedded#at=439
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2013年07月05日

日本が「正常な国家」になるには----はぁ? 日本ではなく「韓国」だろ、妄想も甚だしい

ご隠居はんと留はんの「量子力学」珍問答

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 また、韓国の「妄想」が始まった。やれやれ、鬱陶しい国だ。

「日本が隣国の信頼を得るには三つの方法がある。」

 ご心配なく、国家もどきの特亜以外では、過分なる評価と信頼を得ていますので。だいたい「信頼」という意味を理解してますか。大きなお世話だから、こっち見るな。

「現在の日本列島の一部を戦争犯罪の代価として、過去に被害を与えた国に割譲すると宣言することだ」

 慥かに日本は「敗戦」したけどそれはドイツの「敗戦」とは違うのですよ。漢字が読めないから史実も理解できないのだろうけど、記者なんだから沢山でなくて良いから、ちょぴっとお勉強しようね。お門違いのEUなんか持ち出しても意味はないし、それ自体崩壊しそうでしょ。

「日本の首相以上の責任者が日本による虐殺の現場である韓国・堤岩里、中国・南京などを訪れ許しを請うならば、被害を受けた国の人々の『心のわだかまり』は雪が解けるように消えゆくだろう」

 支那、朝鮮が、「捏造を許し乞い願って」も1000年は無理でしょう。貴国の大統領が言っておられるのですから。だから、さっさと韓国から断交宣言しましょう。

「A級戦犯が合祀されている靖国神社に参拝しなければ、被害を受けた国の国民は日本と未来を語り合う準備ができている」

 お断りします。第一、内政干渉ですから。しかもAもBもCもそういった戦犯は日本にいません。既に名誉復帰されてますので。語り合うなら、支那、韓国でどうぞしてください。一切止めませんから。

「まさに日本は『百年河清をまつ』と表現できるだろう。」

 ほう、韓国人にしては、教養がおありで。でも使い方間違ってますから。「百年河清を俟つ」どころか、日本政府は「獅子奮迅(この言葉はご存じかな。ああ、漢字は読めなかったんだ失礼)」で活躍し特亜以外の国とは非常に良好な関係を築いていますので。お願いですから、貴国から「日韓断交宣言」を出して下さい。これでアジアは平和になりますから。

 まあ何よりも、貴国が、「正常な国家」になってから言って貰いたいものですな。

保存資料
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http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2013/07/04/2013070401706.html
 日本が隣国の信頼を得るには三つの方法がある。これを通じ日本は「戦犯国」の汚名を返上し、東アジアの秩序を主導する道徳的名分と政治的立場を確固たるものにすることができる。

 最も強力な方法は、現在の日本列島の一部を戦争犯罪の代価として、過去に被害を与えた国に割譲すると宣言することだ。話にならないと思われるだろうが、同じ敗戦国家のドイツはそうした。ドイツは敗戦後、東部のオーデル川とナイセ川を基準としたオーデル・ナイセ線の東側地域の領土11万平方キロをポーランドに与えた。これは日本の九州、四国、沖縄を合わせたより2倍以上広い。また、九州の面積の70%に該当するアルザス・ロレーヌ地方はフランスの領土となった。同地方の住民の多くはドイツ語系のアルザス語を話すが、戦後フランス人として暮らしている。

 このような事実は日本政府もよく知っている。日本外務省国際情報局長を務めた孫崎享氏は著書『日本の領土紛争』で「アルザス・ロレーヌを九州に置き換えてみると、日本国籍所持者として生きてきた九州の人たちが中国や韓国に国籍が変わり、日本語の代わりに中国語や韓国語を使うようになったということ」と主張した。同氏はまた「第2次世界大戦以降、領土の相当部分を失ったドイツは新たな進路を見いだした。欧州連合(EU)という組織の中心になる道を選び、今日ドイツはEUで最も影響力のある国になった。その影響力は国土を超える」と語った。日本もドイツのような道を歩めば国土を超え、東アジア共同体の中心的国家になることができる。

 必ずしも土地を差し出さなくてもよい。毎年8月15日のように象徴的な日に、被害を与えた国の国民に繰り返し謝罪するのだ。ドイツは今もそうしている。万一日本の首相以上の責任者が日本による虐殺の現場である韓国・堤岩里、中国・南京などを訪れ許しを請うならば、被害を受けた国の人々の「心のわだかまり」は雪が解けるように消えゆくだろう。ドイツのビリー・ブラント元首相が1970年にポーランド・ワルシャワを訪れ、ナチスによる犠牲者の慰霊塔の前でひざまずき謝罪したことで、ドイツ国民は堂々と立ち上がることができた。

 もっと簡単な方法もある。ただ黙っているだけでもよい。「侵略の定義は定まっていない」「慰安婦の強制連行に関する証拠がない」などと妄言を吐かず、A級戦犯が合祀(ごうし)されている靖国神社に参拝しなければ、被害を受けた国の国民は日本と未来を語り合う準備ができている。

 残念だが、現在の自民党政権はどれ一つとしてできないように思える。自民党は間もなく行われる参議院議員選挙を控え、6月25日に「自虐史観にとらわれた教科書を改訂しなければならない」という報告書を安倍晋三首相に提出した。普通なら過ちを認定することを「勇気」と言い「自虐」とは言わない。最近の自民党の動きを見ると、まさに日本は「百年河清をまつ(いつまで待っていても実現の当てがないこと)」と表現できるだろう。

李漢洙(イ・ハンス)記者
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2013年07月03日

何を恐れているのかアメリカは?

ご隠居はんと留はんの「量子力学」珍問答

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 「報道ステーション」でアメリカが日本に対して懸念を示しているという報道があった。中でも、シーファー前駐日大使やキャンベル前国務次官補の発言は、筆者にしてみれば、なんだかとても必死で「大丈夫かアメリカ?」という、怒りより寧ろ憐憫の情さえ覚えた。
 また、米国安全保障会議前アジア上級部長のジェフリー・ベーダー氏によると、
「もし日本が基本的に歴史を否定するのであれば、私たちも意見は言うだろう」
「この数ヶ月の日本の指導者たちの歴史問題の扱い方は控えめに言っても懸命とは言えない」
「節度と書いた言動やわきまえもなく本音を語り続けるのであれば私たちはもっと声をあげなければならない」

と、かなり的外れなことを述べていたが、これで安全保障会議の上級部長というのだから、片腹痛い。
 米国にとって日本が大人しく叩かれていた方がいいのだ、というメッセージなのだろうが、あまりにも露骨で一方的な発言である。これでは日米関係が危うくなる。
 だいたい「歴史を否定する」なんて誰が言っている。史実は史実で変えることはできない。またそれによって、「アメリカよ反省せよ」と言いたいのでもない。ただ韓国も支那もあまりにもいい加減なことを言い出すので、反論せざるを得ないのだ。嘘でも百回言えば事実になるというだろう。
 だから、先に述べたことは、支那、韓国に言うべきだ。「捏造するんじゃない」と。そうすれば解決する。日本は、これらの特亜が言いがかりを付けてこなければ何も問題にはしない。むしろ未来志向でアジアを安定したいと願っているのだ。米国自身が、この安定化を妨げるかのように逆に煽ってどうする。アメリカにとってもアジアの安定化は望むところだろう。安定したビジネスがしたいのだろう。どうして捏造された慰安婦を「問題」にして、それに呼応するかのように、慰安婦像など建てさせたのか。慰安婦を"sex slave"などと言うのか。
 明らかな捏造に対しては、反論しなければならない。そう仕向けられているのは日本の方なのだ。こんな捏造が通るのであれば、どの国も否定できない明らかな事実であるアメリカの人権侵害とどう対峙するのか。原爆のことだよ。自己反省して、アメリカ国内に「原爆記念館」でも作るか。それとも日本がヨーロッパ各国に作らせようか。こちらは慰安婦問題という捏造されたものではない事実だから、強いぞ。
 人道人道と偉そうに言うのであれば、この矛盾にどう答える?
 何も知りもしない(調べようともしない)アメリカの自治体が、これ見よがしに慰安婦像を建て、非難決議をし日本人の心情を逆なでにするなら、反論せざるを得ないだろうが。そうでなければ、子々孫々禍根を残す。

 アメリカは、韓国を北朝鮮、支那との橋頭堡にすると未だに幻想を抱いているようだが、朝鮮戦争の時とは既に事情は異なっている。韓国は、いつまでも自立出来ない国だ。日本は、1000年以上この隣国と付き合わざるを得なかったのだから、アメリカよりは知っている。第一歴史上初めて、朝鮮を独立国として認めさせたのは、他ならぬ日本なのだ。それまでは、清国の属国に過ぎなかった。もちろん国防上、地政学上朝鮮が日本の防衛の要であったことは事実で、朝鮮の独立が、日本に対しての防衛の要であり、またその独立は、朝鮮自身が望んだことでもあったのだ。ただ誤算は、これだけ長い間隣国として付き合ってきた国なのに、朝鮮が独立できると思っていたことだ。だがその力はなかった。力はないくせに狡猾ではあった。1965年日韓基本条約を結び、全ての問題をこの条約で互いに終了したことを確認したにも拘わらず、事ある毎に日本に言いがかりを付ける。つまり国際社会で最低限必要な「条約」の履行という精神が根本からない。未来を創造しようとする意思もない。
 こういった事実を弁えて、アメリカはものを言っているのか。むろん知らないわけはないだろう。であるなら、何故韓国ではなく、執拗に日本に自制を求めるのか。「アジアの調和を乱すようなことをするな」と何故言えない。大国アメリカ様が言えば、韓国は黙るしかないのだ。
 もしかしたら、まだ韓国が、自由民主世界との橋頭堡となるとでも信じているのだろうか。だとすれば間抜けだ。韓国は事大主義国である。右顧左眄しながら、主人となる国を探している奴隷的精神を持っている民族である。朝鮮の歴史からそういう傾向を持つことは致し方がないことだが、近代社会になっても自立しようとせず、安逸な解決策を採ろうとする。自ら何かを作り上げようとはしない。国際社会の一員として規律を守ることもしない。だからこそ国の運営が不安定になれば、元の宗主国支那に擦り寄りもする。
 これでは米韓軍事協定などあっても、いつ機密が漏洩するか分かったものではない(同じことが支那にも言えるが、あの老獪な国がまともに韓国を相手にするとは思えない)。
 アメリカがアジアの安定化を望むなら、はっきりいって日本を除いてはあり得ない。韓国の地政学的な位置は重要(それだけしか存在価値がない)であっても、信頼に応える国ではない。だが、日本はどうだ。良いか悪いかは別にして、互いに敵国であった過去があっても、親米派の日本人が多いではないか。経済的にも丁々発止はあっても、まずまずうまくいっている。しかし、韓国は、バッファにも成れない、歴史は掻き回す、事大主義から逃れられず、あろうことか支那にも擦り寄る。どちらがアメリカの国益に叶うか火を見るより明らかだろう。日本にとってもアメリカと付き合うことは国益に叶う(だろう)。だとすれば、日米が共同することが何よりも両国の利益になるウィン=ウィンの関係になるのではないだろうか。
 日本を蔑ろにして、韓国を優先させれば、その損失は計り知れないことをアメリカは知るべきだ。そのためには、今からでも遅くはない。さっさとアメリカ側から「慰安婦問題」などないと韓国に宣言すればいいことだ。もちろん、声明を出せ、というのではない。外交でも良いが表に出ない形でやればよいのだ。それでこの問題は片が付く。

 さらに言っておきたい。人権が最重要というのであれば、もっと韓国に対しては、売春婦に対して厳しい態度を示すべきだ。これは今現在進行形で行われている「人権侵害」であり、最も忌むべき事だろう。「慰安婦問題避難決議」どころの騒ぎではない。なにせ韓国のGDPの5%が売春婦の稼ぎで成り立っている国なのだ。これを非難しなければ、「人権第一」の国などと言えない。矛盾が過ぎる。少なくともアメリカ国内にいる韓国売春婦は、強制送還してから、人権を言えよ、と言いたくもなる。

 しかし、もっと論理的で賢い国だと思っていたのに、ちょっと認識を新たにしなければならないな。
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2013年06月24日

「敵国」韓国を援助してはならぬ

ご隠居はんと留はんの「量子力学」珍問答

LOTO6をはじめる前に読む本
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【日韓通貨スワップ】韓銀関係者「現状は韓国側から日本に延長要求する経済状況でない」[06/22]
http://news.naver.com/main/read.nhn?mode=LSD&mid=sec&sid1=101&oid=009&aid=0002980282

日本が来月3日に満期を控えた30億ドル規模の韓日通貨スワップ協定について、韓国が必要ないとすれば中断することができると明らかにした。米国の量的緩和縮小に全世界でドルの流出の懸念が大きくなる中で、韓国政府が要求しない限り、通貨スワップを延長しないという最後通牒を送ったわけだ。

日本政府のスポークスマンである菅義偉に官房長官は21日の会見で、ウォン?円通貨スワップ延長するかどうかの質問を受けて"期限を迎えるまでに必要がある場合は延長するが、韓国側があまり必要でないとすれば、日本なりに判断する"と答えた。

菅官房長官はまた、取材陣が "日本側は必ずしも必要としないのか"と質問すると、"日本はそのように考えている"と述べた。

ウォン?円通貨スワップが韓国に有利なもので、日本には利益になることはないと判断した。先立って日本の産経新聞は "韓国の要請がない限り、延長しない"という日本政府の立場を報告している。

産経新聞報道後、金総裁は 日本側から"韓国側から要請があれば "との日本側の立場に"適切な表現ではない"と不快感を露わにした。

菅官房長官の発言以降、韓国銀行関係者は"2005年韓日通貨スワップの締結は、両国の中央銀行の金融協力の目的でなされたこと"としながら"現在の韓国の経済状況や30億ドル規模の円資金の通貨スワップ規模を考えると韓国側から日本に要求する状況ではない "と明らかにした。

[東京=イム・サンギュン特派員/ソウル=前のカテゴリ記者]
==================引用終==================

 韓国がスワップは必要でないと明確に述べている以上、これを言質に取って日本側は間髪を入れず、韓国とのスワップ終了を宣言すべきである。今まで「韓国側から延長の要請がない場合は、期限を迎える来月で円とウォンを融通し合う仕組みを打ち切る考え」というのは外交的なリップサービスであった(そう信じたい)と思うが、これさえもう必要はない。早急にスワップ停止宣言すべきだと思う。

 韓国経済が行き詰まると日本経済に与える影響が大きい、とそう訴えている議員が自民党内にも多数いるようだが、高々東京都のGDPにも及ばない敵国の経済など気に掛ける必要はない。公正な競争なら歓迎するが、技術は盗む、安売りは仕掛けると数限りない不正な行いをしている国だ。経済的にも「敵」である。利敵行為などすべきではない。
 「自由と民主主義を共有する友好国である韓国」などと政府は度ある事に述べているが、「親日反民族特別法」なる遡及法を持つ国が自由な国であるわけがない。親日を名乗っただけで処罰される国が民主主義である筈もない。異なった意見が許されるのが民主主義だろう? また、経済的にも為替操作をし、日本の経済活動を著しく損なっている。このような国を友好国と考えるのは、政治家が現実逃避しているとしか考えられない。
 既に韓国や支那に進出している企業は、なるべく速やかに引き上げた方がよい。財産、技術どころか命すら危うい。人質に取られるのは確実だろう。それは既に経験している。政府は少なくとも避難勧告くらい出すべきだろう。それでも従わないなら、独自に脱出計画を立てて貰うしかない。とはいえ、どんな莫迦な企業でも国民の生命と財産を守るべき政府は、彼らを見捨てるわけにはいかないから、最終的な救難施策も考えなければならない。難儀なことだ。

 明治以来、朝鮮という国が独立して、支那やロシアと対峙するべき自由民主国家であることを望んできた。でももう無理であることは十分に学習したんじゃないか。彼の国は120年経っても腰の据わった独立国とはならない。国の運営ができるほど成熟していない。戦後70年近く経ってもダメなのだから、成熟する気すらないのかも知れない。事大主義が骨髄まで染みて抜けず、米国が自国の都合通りに応じないとみるや、支那にすり寄り、過去と決別したはずの属国へ回帰し始めている。
 日本を初めとする自由主義国家に対しては、既に緩衝国(バッファ)とはなり得ない。支那の属国ができたに過ぎない。米国でさえ、あきれ果て見放し始めている。日本の防衛的には遙かに守りにくくなったが、これはしょうがない。

 事を荒げよというのではないが、少なくとも一刻も早く敵国と認識することは大事だ。着々と防衛対策を講じるべき時だろう。戦争を望むのではない、戦争を起こさせないために、防衛増強は急務である。支那も韓国も相手が強いとなれば、手を出すことはないからだ。

 在日朝鮮人の問題も大きい。日本に帰化することもなく帰国もしない。2010年にも再確認された資料によれば、当時の在日朝鮮人総数61万人のうち徴用労務者はたった245人しかいない。現在いる在日が、自己都合、密入国であることは、政府も認識している筈だ。政治的に処理が難しいので、放置しているのだろうが、その時もとうに過ぎた。
 韓国、朝鮮国籍を保持しながら、日本にいることは、防衛上、経済上好ましくない。炯眼たる吉田総理のマッカーサーに宛てた手紙に従って、これも早急に帰国させるなどの処置を執らないと、内憂外患を招くことになる。武装蜂起したらどうするおつもりか。朝鮮人がテロを引き起こしてきた歴史を忘れてはならない。また関東大震災の時のような混乱を起こしてはならないのだ。
 もう既に、日本人を標的としたテロ事件が起きている。これを一精神障害者の犯罪にしたがっているようだが、そうでないことは、国民は知っている。明らかにテロなのだ。それにも拘わらず、行政の動きは鈍い、鈍すぎる。事を誤れば、冗談ではなく日本国民と朝鮮人の間で、殺戮が始まってしまう。ルワンダでのツチ族、フツ族の大殺戮ご存じないわけはなかろう。未然に防ぐべきだ。

 1000年先は知らないが、朝鮮、支那が友好国になることなど近々ではあり得ない。韓国の自滅(間違っても助けてはいけない。「助けない、教えない、関わらない」のが韓国に対峙する三大原則だ)など取るに足らないが、支那の崩壊は世界的に大問題となる。膨大な難民をどうするのか、崩壊した支那をどう扱うのか、国際社会は困難な問題に直面するだろう。その前に自暴自棄になった支那が、核攻撃を仕掛ける虞(おそれ)もある。
 こういった問題を専門的に扱う「省」は必要だろう。インテリジェンスの収集と解析を行う「情報省」だ。それに関する法整備も欠かせないだろう。

 情報戦に負ければ、日本は取り戻せない。今でさえ、慰安婦を問題にされ、とうとう"sex slave"に仕立て上げられてしまった。この失点は大きい。だが永々と子孫を苦しめないよう、恢復されなければならない。

 国民の不安は、計り知れないほど大きくなっている。教育のせいでもあるが、それでも多くの国民が覚醒しつつある。それは、李明博前大統領の行動から始まった。竹島上陸も大きいが、それ以上に、天皇陛下に対する侮辱発言には、心底怒りを覚えた国民は多い。これを政治家は知るべきだ。
 政治家が国益に叶う施策を行うか否かを見極める指標の一つが、30億ドルの日韓スワップの延長問題である。経済的には取るに足らない額であろうが、「韓国の保証人」になるか、ならないかの問題として見ている。従って、これを延長するような所業に至れば、安倍政権は長期政権とはならず不安定のままになる。もちろん長期政権は願っているが、それさえ吹き飛ばしてしまう程、国民は怒っているのである。もう日本人は八幡(パハン)ではいられない、既に海乱鬼(かいらぎ)となっているのだ。

 どうか道を誤らないようにと訴えるしか他はない。
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2013年06月21日

何のための裁判員制度か

ご隠居はんと留はんの「量子力学」珍問答

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 妻子に対する殺人罪で懲役20年を服役し、出所後半年で、強盗殺人を犯し、1審で死刑判決を受けた被告を、高裁は、「無期懲役」に減刑してしまった。
 これでは社会正義はなされないだろう。前科を考慮しなくても「強盗殺人」なら死刑であってもおかしくはない。それを村瀬均裁判長は「1審判決は前科を過度に重視しすぎた」と減刑したのだ。
 妻子二人とも殺しておきながら、懲役20年という異常な刑の軽さにも驚くが、それでも懲役を受けたということは、更生する可能性が被告にあったということだろう。ところが、20年も懲役を受けながら、被告は微塵も更生することなく、強盗殺人に至っている。これは「更生可能」とした司法の判断の誤りであり、更生施設での教育も成果を見なかったということで行政の過ちでもある。
 以上の経緯から、裁判員制度による1審の死刑判決は、あまりにも当然な判断だと考えられる。20年服役し62歳になっても更生しなかったのならもう更生は期待できない。実際、前回の謝った判断により無辜の民が殺されてしまったのだ。
 村瀬均裁判長の判断は二重に誤っている。まず、前回の罪に対する判断の過誤(これはもちろん別の判事の判決だろうが、それを考慮していない)、そして、その認識を度外視してしまった判断である。事件をみれば、ことさら1審の判決をひっくり返す根拠はない。事実その根拠が「1審判決は前科を過度に重視しすぎた」という一点で表されているからだ。この裁判長は、現実ではなく、虚構の世界を生きているのだろうか。
 とてもじゃないが、「前科を過度に重視」したなどとはいえない。むしろ裁判員に与えられた「常識人として裁判に参加する」という主旨からすれば当然の1審判決だと言える。過度どころか当然重視したに決まってる。
 検察官は直ちに、上告すべきだ。そうでなければ、裁判員制度の根幹を揺るがすことになる。

保存資料
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http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/130620/trl13062013520001-n1.htm
 妻子に対する殺人罪などで20年間服役し、刑務所から出所半年後に、見ず知らずの男性を殺害したとして、強盗殺人などの罪に問われた無職、伊能和夫被告(62)の控訴審判決公判が20日、東京高裁で開かれた。村瀬均裁判長は「1審判決は前科を過度に重視しすぎた」として、死刑とした1審東京地裁の裁判員裁判判決を破棄、無期懲役を言い渡した。

 裁判員裁判の死刑判決が破棄されるのは初めて。

 弁護側は「被告が犯人との証明はされていない」と無罪を主張。伊能被告は捜査段階から黙秘し、控訴審でも被告人質問に答えなかったが、判決は犯行を認定した。

 平成23年3月の1審判決は、殺害現場から伊能被告の掌紋が見つかったことや、被告の靴に男性の血液が付着していたことなどから、男性方へ侵入したと認定。「刑を決める上で前科を特に重視すべきだ」として、求刑通り死刑を言い渡していた。

 1審判決によると、伊能被告は昭和63年、妻を刺殺した後、自宅に放火し、子供を焼死させたなどとして懲役20年の判決を受け、服役した。出所から半年がたった平成21年11月、東京・南青山の飲食店店長、五十嵐信次さん=当時(74)=方に強盗目的で侵入。五十嵐さんの首を包丁で刺して殺害した。
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2013年06月14日

共通性こそ人と人とを結ぶ鍵

ご隠居はんと留はんの「量子力学」珍問答

LOTO6をはじめる前に読む本
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 「個性」を大事にしなさい、伸ばしなさい。多くの学校で金科玉条のように教える。
 個性ねぇ、大事だろうけどそんなに強調しなくたって、と思う。というのは、個性なんてものは、抛っておいても自然に出てくるし隠しようもないものだからだ。逆に親や先生が個性を押さえつけようとしても無理。それほど強い。
 だから、個性よりも共通性を植え付けた方が良い。
 「俺はお前と違うんだ!」なんて言葉が言えるのは、共通性がしっかりあってこそ言えるのだ。全く違う者同士なら最初からこんなことは言わない。

 共通性こそ人と人とを結ぶ鍵。
 だから文化が、慣習が大事なのだ。


 「他の人と仲良くしなさい」、幼少の頃から散々に聞かされていただろう。おそらく誰も反対できない正論だ。だが条件がある。少なくとも「最低限の価値観が同じ」である場合だけだ。
 例えば、地球のどこかの僻地で、ある部族と接触を試みたとする。ところが突然襲われそうになった。こうなれば「話せば分かる」などと悠長なことは言ってられない。ただひたすら逃げるか、立ち向かうしかない。仲良くするも何も、彼らはあなたを食料としたいのか、テリトリーを犯した者として殺害しようとしているからだ。
 極端な例ではある。しかし、似たような遺伝子を持ち「人」のように見えても、育った環境で人は全く異なった「人」になる。
 実際、一切の文明を拒否し孤立することを望んでいる部族は実際にある。慥かに彼らは「人」かもしれないが、現代人の価値観を共有する「人間」ではない。また彼らが望まない以上、過干渉は避けるべきでもある。

 さてここに、

・いとこが田畑を買えば腹が痛い。
・女は三日殴らないと狐になる。
・他人の牛が逃げ回るのは見ものだ。
・他人の家の火事見物をしない君子はいない。
・弟の死は肥やし。
・倭将は病気にかかるほどよい。
・盗みも一人でやれ。
・梨の腐ったのは娘にやり、栗の腐ったのは嫁にやる。
・母親を売って友達を買う。
・梨を食べて歯を磨く。(一挙両得)
・女房を殴った日に女房の母親がくる。
・隠れてみたら捕盗庁の建物だ。
・三日も飢えて塀を越えない者はない。
・音の出ない銃があれば撃ってやる。
・俺の物は俺の物、お前の物も俺の物。
・人が自分にそむくなら、むしろ自分が先にそむいてやる。
・死ぬ女が陰部を隠すものか。
・死んだ息子のちんこに触ってみる。
・銭は汚く儲けても、きれいに使えばよい。
・川に落ちた犬は、棒で叩け。
・営門で頬を打たれ、家に帰って女房を殴る。
・姑への腹立ち紛れに犬の腹をける。
・あんな奴は生まずにカボチャでも生んでおけば、煮て食べられたものを。
・ただの物は苦くても甘い。
・ひとつ釜の飯を食べて訴訟を起こす。
・らい病患者の鼻の穴に差し込まれたにんにくの種もほじくって食べる。
・一緒に井戸を掘り、一人で飲む。
・泣く子は餅を一つ余計もらえる。
・便所の蛙に陰門をかまれた。
・屁が癖になるや、麦の食糧も底をつく。
・大便かカボチャ汁か。
・白い粥に鼻水。
・屁が度重なれば大便がしやすい。
・手も当てずに鼻をかむ。
・臭くない便所があるものか。
・自分の陰部をさらけ出して人に見せる。
・野生のまくわ瓜は、最初に独り占めした物が持ち主だ。
・家と女房は手入れ次第。
・自分の食えない飯なら灰でも入れてやる。
・嘘も百回言えば、真実になる。

と考える部族(国)がいるとする。果たして付き合う自信がおありだろうか。精神の深奥の部分でこのような考え方を持っている「人」と付き合えるだろうか。
 形が似ているだけが共通部分で、それ以外ことごとく異なる場合、どうやって付き合えばよいか、分かるものなら教えて頂きたい。但し、綺麗事は結構。

 挙げた項目を見れば分かるように、こういった思想を持つ部族(国)は、先進国から見ればかなり特異な精神構造だといえる。生物の基本戦略の弱肉強食を地のままに生きているのだろう。
 大東亜戦争後70年近く経ってもその精神性が変わらないなら、この先一体どれだけの時間を掛ければ近代化できるのか。それともできないのか。この部族(国)自身が自らを変える意思がなければ、外的な要因では変わらないだろう。先進国はそれに気付くまで待てばよい。経済どうのこうのとスケベ心を持って接触すべきではない。それでは進化しつつある国際社会に混乱を齎(もたら)すだけだ。

 日本人は、「人」の形をしていれば、何故か「話せば分かる」と思ってしまう。しかし、人の形をしていても、その精神性が全く異なるということを理解していない。これは何度も述べた。例えば、惻隠を示せば、少なくとも関係が悪くなることはないだろうと思いがちだ。多くの日本人はにわかには信じないだろうが、情を掛けたことが「必ず」関係悪化になる民族(国)もあるのだ(「弱い者に情を掛けるのは、何か後ろ暗いところがあるのだ。だからどんどん要求すればよい」、「相手が情を掛けるというのは、我々にそれだけの価値があるということだ。だからさらに要求すればよい」)。
 見た目に騙されるが、部族(国)間の違いは、ネコとイヌ程に違う場合だってある。同じコンピュータでも搭載されているソフトウェアによって全く違う動作をすることに似ているかも知れない。

 個人だって友人は選べる。あまりに価値観が違えば、付き合うのは難しい。適当な距離を保つのが良い。国とておなじことだ。隣にあるから、全く付き合わないことは無理だが、火事と葬式で済ませば良いのだ。間違っても友好国ではない。
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2013年06月04日

遺伝子組み換え作物の危険性

ご隠居はんと留はんの「量子力学」珍問答

LOTO6をはじめる前に読む本
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 古来、人は狩猟や木の実、果実などを採取して暮らしていた。しかし常に不安定な食糧供給によって人口は増えることはなかった。そこに革命が起きた。農業だ。人は定住するようになり、より安定した生活を送るようになった。だが人はそれに飽きたらず、更に収穫量を上げ、滋味に富ませるよう、植物を選定し交配させた。植物はそれに応えるように新たな形質を持った。植物もそれを望んだからだ。人にとっては、安定した食料の確保、植物にとっては、人の手に保護され繁栄することができたからだ。最悪人の好みが変わり、捨て置かれるようなことになっても、元に戻るだけである。

 だが今…

 人と作物の蜜月関係は終わりを告げようとしている。遺伝子操作作物の登場だ。本来なら想像すらできない全く持ち得なかった形質を一方的に発現させられ生物としてのアイデンティティは完全に失わされてしまった。特定の農薬に対応できる形質など一体どの植物が望んでいたのだろうか。糖度など限界以上に引き上げら、今まで作ったことのない特定の物質を作らされて、これで、たとえば、「とうもろこし」はとうもろこしたりえるのだろうか。
 情緒的に言えば、人は植物との約束を破ったと言える。作物が自己同一性を保つために、新たに自身を改変する可能性すらある。そう、とうもろこしがとうもろこしであるために。
 情緒的に言わなくても、人にとって不都合な物質が作られる可能性はある。なぜなら人は遺伝子に関して全てを知っているわけではないからだ。今までの科学の歴史を見てみれば分かるだろう。

 遺伝子組み換えの問題は、

1.遺伝子組み換え種子(GM種子)は専用の農薬とセットで使用しなくてはならない
2.専用の農薬によって土壌が汚染され、在来種が育たなくなる可能性がある。延いては遺伝子組み換え種子、専用農薬を使い続けなくてはならなくなる
3.一代しか収穫できず、種子と農薬に完全に支配される。つまり供給元の会社に依存しなければならなくなる
4.GM作物によって、他の作物が汚染される可能性があり、在来種絶滅の危険性がある
5.GM作物が生育しなかった場合、土壌が汚染され従来型農業に戻ることは困難になる
5.GM植物自体が、予想しなかった物質を作る可能性がある
6.種子の独占により、大袈裟ではなく食の世界支配が可能になる


など考えられる。

 よほど気をつけなければ、TPPによってこの恐れが現実になる可能性が高い。
 果たして、このような道をあなたは進みたいだろうか?
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2013年05月25日

捏造もここまですると滑稽だ

ご隠居はんと留はんの「量子力学」珍問答

LOTO6をはじめる前に読む本
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 まず、以下の記事を見て頂きたい。

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【政治】 安倍首相「わが国はかつて、アジア諸国の人々に多大の損害と苦痛を与えた。痛切な反省が原点」 村山談話継承アピール 2013/05/24(金) 21:59:27.49 ID:???0

 安倍晋三首相は23日夜、東京都内でアジア外交をテーマに演説し、「わが国はかつて多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に多大の損害と苦痛を与えた。そのことに対する痛切な反省が戦後日本の原点だった」と語った。首相の歴史認識に対する中韓両国の反発を踏まえ、1995年の村山富市首相談話を継承する姿勢を改めてアピールしたとみられる。
 また、東・南シナ海で挑発行為を繰り返す中国を念頭に、「大切な海を法とルールの支配する場所として保つべきだ」と重ねて強調。「日本が経済的に縮むことはみんなに迷惑を掛ける。その(海洋秩序構築の)ための努力を日本が十分できない事態になりかねない」と述べ、円安をもたらしている経済政策「アベノミクス」に理解を求めた。 
 首相は24日からのミャンマー訪問に関連し、「自由を願うアジアはミャンマーを、アジアという名の理想主義クラブに招じ入れた」と語り、ミャンマーにアジア各国との連携強化を促す考えを示した。
▽時事ドットコム
http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2013052300942
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と「時事ドットコム」はニュースとして伝えた。
 では、実際にはどんなスピーチだったのだろうか。以下は、「事実」である。
少々長いが非常に重要なことなので我慢して呼んで頂きたい。

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第19回国際交流会議「アジアの未来」安倍内閣総理大臣スピーチ 平成25年5月23日
 アジアの未来を考えよう、毎年集まって、未来を考えようというテーマと、そしてその設定には、振り返って、先見の明があったと思います。
 未来を望み、理想を追い求めて、教育に、勤労に励んできたのが、私たち、アジアの子だったからです。
 フィリピン近代化の偉大なヒーロー、ホセ・リサールの言葉を、2つ引かせてください。
 「偉大な理想に捧げない人生とは、意味のないものだ。野に転がったまま、いかなる建物の一部にもならない、石くれのようなものである」というのが、そのひとつです。
 もうひとつ、私が好きなのは、「人の苗床となり、太陽となるのは、教育であり、自由である。それなしには、いかなる改革も成し遂げられず、何をやっても、望ましい結果はもたらせない」というものです。
 日本には、ホセ・リサールを慕う人たちがいました。その人たちは1961年、日比谷公園に記念碑を建てました。その一角に、1888年、リサール が日本に来たとき、投宿したホテルがあったからです。その後、1998年には、記念碑の上に立派な胸像が付け加えられています。
 教育を重んじ、自由を願うアジア、転がったままの石を、少しでもなくそうとするアジアは、いまやミャンマーを、アジアという名の、ひとつの「理想主義クラブ」に招じ入れました。
 明日から私は、妻の昭恵ともども、ミャンマーへ行きます。妻は、ミャンマーで学校を作ることをライフワークにしていますから、また訪れることができるのを楽しみにしているようです。
 さて、20世紀のちょうど真ん中、1950年の時点で、世界の様子を示した地図があります。
 2つだけ、マルがついていて、そのマルというのは、ニューヨークと、東京です。ニューヨークと、東京だけ、と言った方がいいでしょう。
 それは、1000万人以上の人口を抱える都市が、世界のどこにあったかを示した地図です。1950年には、巨大都市というものは、ニューヨークと東京の、2つしかありませんでした。
 その同じ世界地図を、2010年について作ったものを見てみると、マルの数は実に11倍、22カ所に増えています。22都市のうち、アジアの街は、どれぐらいだと思われますか?
 南西アジアまで含めると、12カ所にのぼります。
 世界の巨大都市22のうち、半分以上が、私たちの地域にあります。
 このことは、3つのことを、私たちに教えてくれます。
 第一に、アジアの成長とは、都市の勃興が原因となり、結果となるものだった、ということです。
 第二に、都市生活者が求めるいろいろな需要が、アジアでは、急速に似通ってくるという事実です。よく整備された公共交通機関や、コンビニエンスストアなど商業集積に対する需要は、アジアの各国において、ひとしく見られる現象になります。
 また東京やソウルで流行ったものは、アジア各都市でほとんど同時に人気を得るという、文化的同一性・同時性が、ここから生まれます。
 みなさんには今さら申すまでもありませんが、アジアでなら、2時間も飛ぶと、まったく違う国、文化へ旅することができます。
 それでいて、そこには、都市生活者が作り出す若い文化、躍動するライフスタイルという、共通性、同時性が、生まれているのです。多様性の中の、統一です。
 けれども三番目に指摘したいのは、私たちが抱える課題もまた、急速に、同一化しつつあるということです。
 人間の数が多くて、産業活動が集まる都市には、水や、空気の問題が生まれます。インフラの不備という、問題が出てきます。貧富の差は、ともすれば、強烈な対照を見せますし、感染症の温床ともなる、といったふうに、いろいろ悩みが、都市化とともに発生するわけです。
 アジアとは、だとすると、こんなふうに定義づけられるかもしれません。都市の悦楽や躍動が、互いを結びつける場所である。都市にまつわるあらゆる問題によっても、互いが結び合う場所である。
 これは私たち政治家に、ある使命を教えてくれます。経験を伝えるに、寛容であれ、経験を学ぶのに、謙虚であれという教訓です。その教訓に、忠実でなければならないという使命です。
 感染症の対策などは、格好の事例です。自国の国民が、病気にかからないように努めるその努力が、感染症を、よその国に移さないための努力にもなります。
 都市化が成長させたアジアとは、そこに共通の問題があるゆえに、指導者たちを謙虚にします。
 ですからアジアの未来とは、学び合う未来だとも、定義したいと思います。経験を伝えるに寛容で、学ぶに謙虚なアジアです。それを伸ばしていくことが、私たち、一国をあずかる者の使命です。
 今年私はジャカルタを訪問し、5つの原則を発表しました。ホセ・リサールの言葉ではありませんが、教育と、自由が、その根本にあります。
 わが国は、かつて、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対し、多大の損害と、苦痛を与えました。そのことに対する痛切な反省が、戦後日本の原点でした。
 そして過去60有余年、私の国は、自由と民主主義、基本的人権、法の支配を、堅固に守る国柄を、うまずたゆまず、育ててきたのであります。
 したがいまして5原則の第一とは、思想、表現、言論の自由――人類が獲得した普遍的価値は、私たちの地域、アジアにおいて、十全に幸(さき)わわねばならない、というものです。
 第二の原則とは、私たちにとって最も大切なコモンズである海は、力によってでなく、法と、ルールの支配するところでなくてはならないというものでした。
 第三に、日本は、自由でオープンな、互いに結び合った経済を求めるということですが、わが国は、マルチの経済連携枠組への加入を試みることで、これにもっと拍車をかけようとしています。
 第四が、文化のつながりを増やすこと、そして第五が、JENESYS 2.0といって、3万人の若者を、アジア諸国から日本へお招きするプログラムのことです。以上の、五つでした。
 この、四番目、文化のつながりを増やすという決意について、ひとつ「プレビュー」をご提供します。
 わたくしはいま、アジアの新文化創造へ向け日本は何をなすべきか、有識者に集まってもらい、お考えいただいています。「融合と調和」という、キー・コンセプトを打ち立ててもらっています。
 その結果を、今年の12月、ASEAN各国から、指導者の方々にご参集いただいて開催する「日本・ASEAN特別首脳会議」の際に、発表する予定です。
 日本と、アジアで、学び合う未来を作るため、新しい文化交流の政策を打ち出すことになるでしょう。どうかご期待ください。
 わたくしはこのスピーチを、アジアとは、未来を見つめ、教育を重んじ、自由を希求して、理想を目掛けて歩み続けてきた人々の集まりだと規定し、お話しし始めました。
 そのとき、ひそかに思っていました。日本こそは、その、最初のファウンダーだったはずじゃないのか、ということです。
 私がこのたび、総理に改めて就任して以来、経済の再建に全力を注いでいるわけを、お察しください。
 不況は人々を、うつむかせます。なかでもデフレは、人々の、希望と、期待を、直接むしばむ病気です。これが慢性化すると、国中から、楽観主義者がいなくなります。
 未来を、明るく望み見る人が、日本からいなくなってしまいます。若者は、結婚しなくなるし、未来を担うべき、赤ん坊の数も増えません。
 私は思いました。
 アジアの国々で、若者たちは未来の可能性を信じて前進している、まさにその時、日本の同世代だけが、いつまでも、うつむいていていいのだろうか、ということです。
 同時に、思いました。
 将来を悲観し、内へ、内へと閉じこもる日本人を育ててしまうなら、それは世界に対する責任の放棄になります。一国のリーダーに、決して許されないことだと思いました。
 そもそも日本は、縮み込むには大きすぎる国です。
 欧州で比べると、ドイツと、英国を合わせたより、少し大きいくらいのサイズが日本です。
 だとすると、日本が経済的に縮んでいくことは、みんなに迷惑をかけてしまいます。先ほど私は、アジアにとって大切なコモンズである海を、法と、 ルールの支配する場所として保つべきだと言いました。しかしそのための努力を、かく言う私たち日本が、十分にはできない事態にもなりかねません。
 こんなことではいけない。そう思ったことが、私に、危機感を与えました。
 もう一度、日本は、若くて活力に満ちたアジアの、元気なメンバーにならなければいけない。かつての自分を、取り戻さなくてはならないと、思ったのがひとつ。
 そして、世のため、人のため、善をなし、徳を積むためにも、頼りにされる日本を、取り戻さなくてはならないと思ったのが、もうひとつの動機でした。
 それが、いま、世間で言う、「アベノミクス」を、私が一気呵成にやりたいと思った、大きな理由だったのです。
 これまで私自身、何度か紹介した歌なのですが、もういちど、紹介させてください。
 「桜よ」という歌です。
 日本を震災が襲った2カ月あとの、2011年5月、ジャカルタに、500人ちかいインドネシアの学生が集まって、この歌を熱唱してくれました。
 日本語で、ミュージカルを演じる学生たちが、新作演目のため作って、用意していた歌でした。その、もともと日本語の歌詞に、震災を受け、くじけそうになっている日本の人たちを励まそうと、次の言葉が新たに加わりました。
 「何かを失う寂しさ あきらめる悲しさ でも春は来る 来年も その先も ずっと先も」
 そして歌は言うのです、「桜よ 咲き誇れ 日本の 真ん中で 咲き誇れ。日本よ 咲き誇れ 世界の真ん中で 咲き誇れ」
 私は初め、驚き、そして、深く、感動しました。驚いたのは、500人の合唱の、その、力に対してです。日本語で、インドネシアの若者が、日本に向け、懸命に歌ってくれているという、その事実自体に対してでした。
 そしてもちろん、感動しました。「世界の 真ん中で 咲き誇れ」と、日本のことを励ましてくれる若者が、アジアにいるのだということに、です。
 戦後の、私たち、日本人の歩みは、このような善意を育てていたのだと、改めて知り、深く、頭を垂れ、襟を正したい気持ちになりました。
 ご参集のみなさま、私の役目とは、日本を、この歌にふさわしい、未来を向いて、もう一度力強く歩いていける国にしていくということです。
 絢爛そのものの多様性の中、都市居住者が育てる共通の志向、共通の文化によって、ダイナミックな融合を遂げつつあるアジアにおいて、活力あるメンバーとなるよう、日本を、生まれ変わらせることです。
 学び合い、自由を重んじ合う、アジアという名の理想主義クラブにおいて、驕らず、威張らず、しかし卑屈にも、偏狭にもならないで、経験を与えるにして寛容、学ぶにして謙虚な一員となるよう、日本人と、日本を、もう一度元気にすることなのです。
 最後はちょっと、決意表明みたいになってしまいました。食前酒の代わりにはならなかったかもしれませんが、これで、おしまいであります。
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どうだろうか、どこをどう解釈しても、時事ドットコムの記事にはならない。これを捏造と言わずして何を捏造と言うのだろうか。あきれ果ててものが言えない。しかも、「どうせ愚鈍な読者は、ソースなんか見ないだろう」という侮蔑がある。性根の腐ったヒトモドキだ。
 一体マスコミとはなんなのだろう。虚偽の捏造がマスコミの仕事なら、単なるゴミに過ぎない。昨今、ネトウヨの言動が問題視されているが、慥かに彼らの言動は過激であるが、誤解はあっても、捏造はない。
 そして、ネトウヨの言う「マスゴミ」という言葉は、上に挙げた事実から、誠に的を射ていることが分かる。
 国民は、マスゴミを信用してはならない。新聞もテレビももう信用に足る「器」ではないのだ。
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2013年05月13日

自衛隊のない日本を考えられるか?

ご隠居はんと留はんの「量子力学」珍問答

LOTO6をはじめる前に読む本
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 シャーレの中に培養地を入れ部屋のどこかに置いておけば、数日後、黒や緑やピンクなど見事な「花」咲く。いわゆるコロニーだ。異種の菌は見事に棲み分けている。ところが一見穏やかに棲み分けて居るように見えるが、実は菌同士の堺では、熾烈な「戦争」が起きている。「武器」の一つが抗生物質であることはご存じのことだろう。コロニーは、菌の状態によって大きくも小さくもなる。そしてある菌が特別に強力ならば、シャーレはその菌で一杯になってしまう。
 菌に限らず生物は、テリトリを主張し、その境界を守ろうとする。もちろんそうしなければ生きられない。決めたテリトリで餌を採り、子を育てるしかないのだ。だから境界を守ろうとする意思は非常に強く、生死を厭わない(本末転倒のような気もするが、テリトリを奪われれば畢竟生きていけない、だから必死なのだ)場合もある。むろん常に生死を賭けた戦いでは、種の存在も危うくなるので、多くは「テリトリを犯すな」と臭いなどの信号で牽制してはいるが。

 では、人類はどうなのだろう。
 人類とて生物の一種だから、この性質は完全に受け継いでいる。そして、思想信条を抜きにして虚心坦懐に世界を見てみれば、まるでシャーレを地球とし、国を菌に見立てれば、同様の様相が見て取れるのではないだろうか。
 もちろんそんなことは考えたくもないし、人類はそれほど愚かではない、と怒りを露わにする人もいるだろう。だが人類の歴史で「力」に頼らず成立した国があるだろうか。残念ながらその例を筆者は知らない(ややこしくなるので国内での血革命などは置いておく)。
 事実、近代までは、国同士の争いは、外交で解決できなければ、戦争するのが普通であった。しかし戦争に勝っても国の損害は大きく、疲弊してしまう。これでは世界は不安定になるばかりだ、なので現在では、国連で基本的には話し合いで解決するように努力はしている。しかし各国の思惑が一致することは少なく、話し合いや非軍事的な制裁によって解決できない問題も多い。しかも膨張主義や宗教的な対立など、調和を乱す国があり、結局、各国は自国の安全を担保するために軍隊を保たざるを得なくなる。
 多くの国は戦争など望んでいない。何度も言うが、「だからこそ軍を持つ」のである。永世中立国を宣言したルクセンブルグとスイスを見れば分かる。軍を持たなかったルクセンブルグはどうなったか。各国に蹂躙されたではないか。国民皆兵制を取っているスイスは領土を侵略されることなく平和を保っていることを、ゆめゆめ忘れてはならない(ルクセンブルグは今は軍隊を持っている)。ハリネズミは襲われない限り自ら攻撃することはない。
 自衛隊もそうなのだ。「軍があるから戦争が起きる」などと胡乱で空虚な理論を振り回す前に歴史に学ぶべきだ。
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資料
http://zaitokuclub.blog.fc2.com/blog-entry-513.html
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「自衛隊反対」を訴える人へ

自衛隊反対には、
戦時に「殺される覚悟」
災害時には「救われない覚悟」が必要です。

貴方方にその「覚悟」があるでしょうか?
災害時、自衛隊は身を削って任務を遂行します。自衛隊無しに我が国の危機管理は成り立ちません。

それを知ってか知らずか堂々と公衆の面前で「自衛隊反対」を唱える輩の精神状態はすでに日本人の魂を売り払った似非日本人です。

2つのエピソードを紹介します。

●阪神淡路大震災を経験した少女の話

自衛隊駐屯地祭に反対運動にやってきた左翼市民団体。
その集団に向かって一人の女子高生とおぼしき少女が向かっていく。

 少女「あんたら地元の人間か?」
 団体「私達は全国から集まった市民団体で・・・云々」
 少女「で、何しにきたんや?」
 団体「憲法違反である自衛隊賛美につながる・・・云々」
 少女「私は神戸の人間や。はるばる電車のって何しにここまで来たかわかるか?」

 団体「・・・・?」

 少女「地震で埋もれた家族を助けてくれたのはここの部隊の人や。
    寒い中ご飯作ってくれて、風呂も沸かしてくれて
    夜は夜で槍持ってパトロールしてくれたのもここの部隊の人や。
    私は、その人たちにお礼を言いに来たんや。
    あんたらにわかるか?
    消防車が来ても通り過ぎるだけの絶望感が。
    でもここの人らは歩いて来てくれはったんや・・・・」

最初、怒鳴り散らすように話し始めた少女は次第に涙声に変わっていった。
あまりにも印象的だったのではっきり覚えている。

団体は撤退。

彼女が門をくぐった時に守衛さんが彼女に社交辞令の軽い敬礼ではなく直立不動のまま敬礼していた。
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●左翼を黙らせた青年の話

ある日曜の午後、街を歩いているとデカデカと『自衛隊反対』と書かれた横断幕を持った10人ぐらいの集団が演説をしていた。先頭に立ちマイクで「自衛隊ハンターイ」「自衛隊は即刻、解体しろー」と叫んでいるのは50代後半と見られる中年の男性だ。

あの男性見覚えがある。確かTV番組で「敵が攻めて来たら、殺すぐらいなら殺される方がマシだ」などとバカなことを言っていた人だ。バカだなぁと思いながら演説を聞いていると、1人の若い男性がつかつかとその演説をしている中年男性の元に歩みよりいきなり拳を振り上げた。

咄嗟に中年男性は両手を上げ、身を守ろうとした。すると若い男性は言った、

「それが自衛隊や。あんたを傷つけようと振りかざしたこの右手やなく、それから身を守ろうとあんたが咄嗟に出したその両手が自衛隊や。」
「あんたは日本からその両手を奪おうとしてるんやで。」

その瞬間まわりで事の一部始終を見ていた人達から拍手が起こり、何も言い返すことが出来なかった中年男性の声にならない声がマイクを通して辺りに虚しく響いた。
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2013年05月09日

敵国である韓国

ご隠居はんと留はんの「量子力学」珍問答

LOTO6をはじめる前に読む本
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「友好国である韓国」という言葉を聞く度に「そんなわけないだろう!」と思うことが常態になってきた。多くの日本国民は、去年の李明博の言動、行動から、「韓国はもうダメだ」と気付いてしまった。「親韓」であったものは「嫌韓」へ、「嫌韓」であったものは「憎韓」に変わってしまったようだ。「憎韓」はそれでもまだ少ないかもしれないが、これも時間の問題であり、政府はこの問題の取扱を間違えると、相互民族憎悪を引き起こすだろう。かなり危ないところまできている。韓国では、既に80%が反日になってきている以上、日本国民がこれに呼応することは間違いないからだ。

日本人は、理屈が通ることであれば、無理な要求でも基本的には温和に解決しようとする。しかしそれが理不尽であると感じた時は、耐えるまで耐え、それでも相手が理解しない場合は、一気に暴発する(チャーチルはそれで戦艦プリンス・オブ・ウェールズとレパルス、そしてシンガポールを失ったと嘆息している)。その怒りは、相手だけではなく自らも滅ぼしてしまうかのような苛烈な怒りである。怒りに至るまでの沸点は高いのだが、沸点が高い分その反動は大きい。
大東亜戦争がそうであった。日本は元から他国と争うことは好まなかった。最後の最後まで外交努力をしていた。しかし、資源が乏しい日本にとって生綱であった一切の権益を認めないハルノートを突きつけられ、ABCD包囲網という理不尽な所業に、戦争しかないと判断したのだ。まさに国運を掛けての戦いとなった。

戦争当時、朝鮮は「日本」であった。よく間違えられるが植民地ではない。併合であり、それは朝鮮自身も望んでいたことだ。韓国は独立を、日本は、対露、対支那のバッファとして、最終的には独立国としての朝鮮を望んでいた。両国の利害は一致していたのだ。だからこそ基本的に日本と対等と扱い、近代化させなければならなかったのだ。植民地ではない。植民地にするだけの価値は朝鮮にはなかった。欧米からは、「獣」あるいは「半人」の国と看做されていたのだ。資源もないから、何の価値もない「地域」とし欧米は植民地にはしなかった。ただ日本だけが、いわゆるバッファ(緩衝国)としての価値を見出していたに過ぎない。
そして、大東亜戦争は、併合した朝鮮も日本と同じように欧米と戦ったのである。だから、朝鮮も「敗戦国」なのである。それを朝鮮は裏切った。もともと事大主義の朝鮮は、機を見るに敏で、いつの間にか「被害者」として振る舞うようになった。これだけでも怒り心頭に発するというものだが、戦後のどさくさで日本が勝手に動けないことを良いことに、李承晩ラインを勝手に引いて、竹島を侵略した。まさに、福澤諭吉翁の諫言を一顧だにしなかった政府の愚かさを露呈したようなものだ。

それから時が経ち、このままの状態は両国とも好ましくないということで、1965年、一向に独立国としてまともに国を運営できない韓国と「日韓基本条約、請求権及び経済協力協定」を結び、双方の補償請求を行わないことで、戦後処理を終えたのである。その後日本は、韓国の経済状況を救うために、政府として3億ドルの無償、2億ドルの有償支援を行い、民間からも3億ドルの支援を行っている。この額は、当時の韓国のGDPの2倍を超えていた。

『協定第二条1「完全かつ最終的に解決されたこととなることを確認する」
合意議事録2(g)8項目「対日請求要綱の範囲に属するすべての請求」について「いかなる主張もしえないこととなることが確認された」』


日韓両国とも国際条約として承認し、日韓の戦後処理は終わったのである。
韓国は、この膨大な資金によって「漢江の奇跡」と呼ばれる復興を成し遂げだのだ。韓国人は自慢にしているようだが、GDPの2倍以上の資金があれば、どんな国だって復興か可能だろう、奇跡でも何でもない。

だが、韓国政府は、この「日韓基本条約」について、日本からの援助について何一つ国民に知らせず、あろうことか、反日教育を始める。ありもしない「従軍慰安婦」を捏造し、たかり始めるのである。それどころか、世界に向かってありもしない罪で日本を誹謗中傷するのである。
全くあり得ないが、假にこのような問題が起きたとしても、これは韓国政府自身が補償しなければならない義務である。膨大な資金を復興に使ってしまい、個人補償まではしてこなかったことが問題なのだ。これは日本には何の責任もない。既に決着済みの話だからだ。

半万年もの間、属国として暮らしてきた国とも言えない「地域」に済んでいた民族は、欧米が「獣」、「半人」と看做していた通りだったのである。それは宗主国であった支那からも嫌われ最下の地域として扱われた事実とも符合する。日本だけが、幻想を抱いていたのだ。人の形をしていれば、それは人だろう、と。だが、世界には、人の形をしても人ではない、少なくとも、人間としてのルールを守ることのできない「人」もいるのだ。それを欧米では、「人としてのルールが守れない野蛮人」として「獣」というのである(それはキリスト教の教えから来るのだろう)。

今日韓国経済は、火の車である。早晩行き詰まることだろう。だが、日本政府は、これを助けてはならない。友好国などと馬鹿なことを考えないことだ。もちろん今の政府は分かっているだろうが、状況によっては、欧米から「隣にいるんだからお守りをしろ」と横車を押されるかもしれない。しかし、もう既に朝鮮は、日本が最大の利益だと考えてきたバッファとしては機能しない。むしろ親支那になるだろう。
援助すればするほど、日本は危機に陥る。支援を感謝とは思う民族ではない。取れるならいくらでも搾り取ろうとする。それが「獣」の習性なのだ。

「助けない、教えない、関わらない」という基本原則を守るべきだ。さもないと、覚醒した日本人との殺戮が始まってしまう。大袈裟なことではない。これは避けた方が良いに決まっている。だからこそ、政府が間違った政策をとることを恐れる。近いうちに韓国は3流国に転落する。国際的にも見限られる。60年経ってもまともに国を運営できないのだ。放置すればよいだけのことだ。簡単なことではないか。
友好国ではない(初めからそうだったのかもしれないが)。考えてもみよ。友好国として軍事行動をとれるか?後ろから弾が飛んでくるではないか。韓国を援助するなら、防衛費に使った方がよほど国益に叶う。米国から武器を購入すれば、さらに日本の重要性が増す(いずれは国産を考えなければならないが、当面は)。

米国も西側陣営の韓国をバッファとして今まで看做してきたが、統帥権の返還(2014年)と共に、韓国から次第に軍を退くのではないか。韓国が支那に秋波を送っていることを米国は見逃していない。米国にとって厄介なのは、北朝鮮が核兵器を本格的に開発することだ。これを避けられれば、支那と共謀して金正恩を失脚させ、金正男を傀儡とした政権にし、統一朝鮮にした方が都合が良いのではないだろうか(竹島はその時に奪還する!)。韓国はもはや支那に対峙できるだけの力はない。むしろ米軍の足枷になると考え始めているようだ。支那は統一朝鮮によって米軍と直接対峙せずに済むし、米軍にとっては、いつ支那に寝返るかもしれない韓国のお守りをしなくても済む。こちらの方が北東アジアが安定し資するのではないかと考えてもおかしくはないし、米支双方の思惑と一致しそうだ。
その分日本は、支那の太平洋侵略を防ぐ橋頭堡としての役割が高まるが、これは今現在でも同じことであるから、米と共同で対峙するしかない。米軍との同盟は維持しても、いずれは「独立」しなければならないのは言うまでもないが。

理不尽であろうがなかろうが、ある国がある国に憎悪を抱いているなら、それは伝染し、やがて相互ともに憎悪するようになる。ましてや子々孫々まで反日教育しようとしているのだからからなおさらだ。
これを避けるために、韓国はなるがままに抛っておくべきだ(日本の経済的打撃など微々たるものだ)。幻想を抱いてはいけない。「人」としての重要な要素が欠けているのだ。半万年掛けて作られた性格は変わることはない。DNAに刻まれているかのようだ。それこそ韓国大統領が自ら言うように1000年経ってもだめだろう。それは到底日本人(日本人ばかりではないが)には受け入れることのできない性格である。


微々たる相違を強調されることによってさえ、和気藹々と暮らしていた民族同士が大虐殺をしてしまうのだ。ましてや、憎悪の対象にされている国をや。

相互に殺戮を起こさせないためにも、政府は韓国を助けてはならない。本来なら国交断絶が望ましい
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2013年05月06日

憲法改正(特に9条)

ご隠居はんと留はんの「量子力学」珍問答

LOTO6をはじめる前に読む本
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 日本国憲法が改正され、自衛隊が国防軍(国軍で良いと思うのだが、今の日本人には少々この言葉は意識的に閾が高いから国防軍としたのだろう)となったら、どうなるだろうか。特亜の言うような、侵略国になるとでも言うのだろうか。
 馬鹿な思い違いだ。
 大東亜戦争でさえ日本は最後まで引き起こしたくはなかった。外交の努力を最大限行っている。しかし外交べた(注1)で、しかも欧米各国の強硬な妨碍に悩まされる中、最終的にハルノートを突きつけられ、座視して亡国となるか、リスクを負って危機を打破するかを迫られた。そして戦争によって解決する道を選んだのだ(注2)
 現在の状況は当時とは全く異なる。欧米によって、欠乏する資源の供給を絶たれるというような畏れはまずない(支那とてあからさまな妨碍はできないだろう、現時点では)。自由貿易によってありとあらゆるものを得ることができるのだ。侵略などする必要性などさらさらない。むしろそのようなことをすれば逆にエンバーゴ(禁輸)などの経済的制裁を受けてしまう。友好関係の努力をした方が遙かに目的に叶うのだ。
 だいたい、日本は他国を併合したりして管理することなど、もう懲り懲りで骨の髄から思い知っている。二度とするものか!
 翻って、「帝国陸軍の復活だ!」と騒いでいる支那はどうだ。チベット、ウイグル、モンゴル、タジキスタン、ブータン、直近では、ベトナム、フィリピンが侵略を受けている。日本もその侵略の標的とされている。どちらが、侵略国であるかは、明々白々である。これだけ侵略膨張主義の国は支那だけであろう。軍に依らなければ、経済的にということで、アフリカが狙われ、実際被害を受けている。
 これらの国が何故侵略を受けるのだろうか。膨張主義、中華主義という狂気の思想を持つ支那の問題は当然だが、はっきり言えば、軍事力が弱いからである。「ええ〜っ、外交も弱いんじゃないの」と思われるかもしれないが、外交で解決できなければ、武力を使って脅しを掛けてくるのだ。では、彼の支那によって侵略された国が、例えば、アメリカのような強大な軍事力を持っていたら、果たして、支那は侵略しただろうか。事実上できないし、侵略することすら考えないかもしれない(密かに軍力を増強し時を待つという、考えは持つかもしれないが)。
 だから武力衝突を避けるために軍事力が必要なのだ。「軍事力を持つと戦争が起こる」とボケている人は、もう少し考えた方がよい。侵略しようとする国の軍事力より強大でないと、野望は押さえられないのだ。相手に核兵器があるなら、核武装も一つの手段として考えなければならない。少なくとも軍事力のオプションから外すべきではない。
 なるほと厄介な話である。経済的にも負担が重いし、兵士たちには大きな負担を強いてしまうし、常に緊張状態に置かれるという側面もある。しかし、侵略されたら、経済がどうのこうのという問題ではなくなる。まさに亡国の危機に陥る。特に支那は日本に対して常に敵視しその恨みは半端ではない。日中平和平和条約を結び、ODAによる莫大な経済的協力をしても、それは変わりはしない。「被害者と加害者との関係は1000年経っても変わらない」と言ってのける韓国と全く同じである。元属国がこう言うのであるから、元宗主国が更に過激であっても不思議はない。
 では、侵略されたらどうなるか。まさに殺戮に走るだろう。煽っているのではない、中国の歴史自体が証拠なのだ。中国の歴史は、ある意味「虐殺の歴史」でもある。これは、石平氏の著書「なぜ中国人はこんなに残酷になれるのか」

という著書に詳しく述べられているから是非とも一読されることを願うが、直近の例では、「天安門事件」が挙げられる。自国の民でさえ、共産党に反旗を翻せば、3万人に及ぶ虐殺を行う国なのだ。ましてや日本においてどうなるかは、以て知るべし、であろう。

 国防軍の目的は自衛なのだ。「そう言いながら、敵地ミサイル基地をミサイル発射前に攻撃(プリエンプティブ・アタック、以後PAと略す)するんだろう? 集団的自衛権を行使して他国軍と共同歩調するのだろう?」とさまざまな心配をする向きもあるだろう。しかし、ミサイルは発射されれば、それを迎撃するのは非常に難しい。やはりPAは考えなければならない。イージズ艦からの迎撃用ミサイルSM−3やPAC−3(パトリオットミサイル)もあるが、迎撃率は高いとは言えないからだ。
 他国軍と共同歩調については、東南アジアとの軍事協定は、支那に対する抑止力としてあり得るだろう。それどころかもう少しリーダーシップを取ってくれ、とつつかれる始末だ。
 集団的自衛権はもちろん現時点でも有しているが、行使できない状態だ。実際問題として、同盟国軍が攻撃されたら、それを守ることは必須であろう。我関せずでは、相手からは何のための同盟かと非難され信用は失墜してしまう。具体的な行動をどのように規定するかは、議論しなければならないが、基本的には同盟軍と行動を一にするなら守らない方がおかしい。
 最後に、というか本当は、国防軍としたなら最初に考えなければならないのが、ROE(Rules Of Engagement、交戦規定)である。もちろん現時点で自衛隊としての部隊行動基準はあるのだが、いかんせん自衛隊自身が軍隊とは規定されていないので、基本的に刑法を軸にして規定されている。これは全く防衛軍としてのROEにはそぐわないので、少なくとも「普通の国」、国際的に認められている規定に従って、策定を急ぐ必要があるだろう。そうでなければ、防衛軍とは名ばかりの「張り子の虎」になってしまう。

 日本は今後侵略戦争などすることはない。自衛するためにあらゆる手段を執るに過ぎないのだ。

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(注1)ウィンストン・チャーチル 「対日世界大戦回顧録」より
「日本人は無理な要求をしても怒らず、反論もしない。笑みを浮かべて要求を呑んでくれる。
 (中略)
それでもう一度無理難題を要求すると、またこれも呑んでくれる。すると議会は、いままで以上の要求をしろという。
 無理を承知で要求してみると、今度は笑みを浮かべていた日本人がまったく別人の顔になって、『これほどこちらが譲歩しているのに、そんなことをいうとは、あなたは話のわからない人だ。ここに至っては、刺し違えるしかない』と言って突っかかってくる。
 英国はその後マレー半島沖合いで戦艦プリンス・オブ・ウェールズとレパルスを日本軍に撃沈され、シンガポールを失った。日本にこれほどの力があったなら、もっと早く発言して欲しかった。日本人は外交を知らない。」

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(注2)あの反日というより日本憎しと復讐の鬼になっていたマッカーサーでさえ、最後には日本は自衛のためにやむなく戦争による解決しか道がなかったことを述べている。

"There is practically nothing indigenous to Japan except the silkworm. They lack cotton, they lack wool, they lack petroleum products, they lack tin, they lack rubber, they lack great many other things, all of which was in the Asiatic basin.
They feared that if those supplies were cut off, there would be 10 to 12 million people unoccupied in Japan. Their purpose, therefore in going to war was largely dictated by security."
「日本は蚕以外には、国産の資源はほとんど何もありません。彼らは綿が無い、羊毛が無い、石油が出ない、スズが無い、ゴムが無い、その他にも多くの資源が欠乏しています。それらすべてのものは、アジア海域に存在していたのです。もし、これら原料の供給が断ち切られたら、1000万から1200万の失業者が発生するだろうことを彼らは恐れました。従って、彼らが戦争を始めた目的は、主として安全保障上の必要に迫られてのことだったのです。」
(昭和26年5月3日、米国議会上院の軍事外交合同委員会で行われた質疑応答の一部)

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