2012年09月20日

原子力技術が衰退する?

 原発賛成派は、あれこれ色々と手を打ってくるものだ。「国防上原子力技術が衰退することは好ましくない」と今度は言い出した。しかもこうあっさりと原発の目的の一つが暴露されると小気味好いともいえるが、かなり焦っているとも受け止められる。何しろこういった、「原発が核抑止力の一つである」という議論は、日本ではタブーで、原発に関しては、「絶対安全」と「平和利用」という神話だけが一人歩きしてきたのだから。
 軍事力がものをいうのは慥かである。残念ながら生物界でも非常に稀な残忍さを持つ人類は、「力」によって相手を屈服するという方法論を捨て去ることができない。この「特異稀な性質」によっていずれ自壊することは自明だが、これに関しては別に論考することにしよう。

 Chinaなどは軍事技術を蓄積するまで、機が熟するまでじっと臥薪嘗胆を決め込んでいた。それが現在のChinaの姿だ。あちらこちらであらぬ因縁を付け、領土を拡張、権益を得よう、身勝手な「中華主義」に凝り固まっている国だ。日本が、そして世界が、苦しいからといって、経済を最優先し恐るべき謀略があることを薄々気付きながらもそれを蔑ろにし、Chinaと関係を持ったことが、どんなに不安定な世界を作ってしまったことか。これから痛いほどその代償を払わなければならなくなるだろう。Chinaの軍事力が強大になることは、日本ばかりではなく世界の脅威である。

 軍事力の象徴たるものが「核兵器」だ。とはいえこの兵器、利用したが最後、地球の終わりになることは、軍事にどんなに疎いものでも分かる。人類とは、集団自殺するというレミング(本当かどうかは不明だが…)さえ真っ青になる程の自滅願望を持っている「珍しい種」であるとしか考えられない。

 こういった状況の中、日本が原子力、いや核兵器を保持して、それで解決になるのだろうか。

1.世界は、敗戦国たる日本に核兵器を持たせるつもりはまずない。持とうとすればあらゆる経済的制裁等を仕掛けてくるだろう。その覚悟はあるか。また、そうしてまで核兵器を持たなければならないものなのだろうか。議論の余地がある。

2.今まで唯一の被爆国として、核兵器廃絶を求めてきた日本が、180度方向転換したことを全世界に納得させることができるか。この自己矛盾をどう説明する?

3.假に核兵器を持てたとして、その維持管理には莫大な費用を投じなければならない。デリバリーシステム、核兵器の保全対策、テロ対策、など問題は山積する。定期的な核実験も核兵器の維持をするための核実験も必要になるだろう。それを一体どこで行うというのだ。アメリカでは、コンピュータシミュレーションができるまで実験データを収集したが、それを日本に提供することは絶対にあり得ない。加えてGDPのかなりの比率を軍事費を充てなければならなくなる。

4.「国の存亡に拘わることだから、予算をどうのこうの言うべきではない」という意見もあるだろう。だが、現実的にGDPの多くが軍事費に割かれた分、疲弊するだろう経済がさらに悪化し、事実上捻出できなくなった時どうするのか。通常兵器でさえ補充できなくなり、核兵器を持たなかった時よりさらに国防は危うくなるのではないか。


「こういう問題があるからこそ、原子力技術を合理的に保持するために、原発を隠れ蓑にするのだ」と多分、推進派は言うに違いない。しかし、それで問題が解決するのだろうか。以上挙げてきた問題の解決になる?

 筆者は、廃炉に拘わる技術開発の方が、遙かに役に立つと思うし現実的であると思う。しかもその過程で原子力技術は、衰退するどころか、新たな技術を得ることになるだろう(そうしなければ解決できない!)。原発を廃炉にしたって、原子力技術が枯渇することはないのである。何故なら廃炉するには、今まで以上に未知の原子力技術が必要になるからだ。だから「国防のために原子力技術の維持は必要」という推進派の論議は根底から覆ってしまう。廃炉を選択するだけで、図らずともそれは達成されてしまうのだ。(国防云々の議論は、先に述べた)

 ベトナムなど、東南アジアの国々から、原発の設計、設置要求があり、これをどうしてもビジネスとして成立させたいという、企業の思惑は分かる。かなりの収益になるだろうし、手を咥えて見ていたらフランスやアメリカなどの国に取られてしまうという懸念もあるのだろう。それは事実だと思し、せっかくのビジネスチャンスを潰したくない、という思いは強いに違いない。加えて、経済発展を望む東南アジアなどの発展途上国では、エネルギーの充実化はどうしても図りたい。だから原発はどうしても夢のように見えるに違いない。慥かに短期的にはエネルギーは確保できるだろうし、それにともない海外企業などの誘致を図り、経済的に豊かになるかもしれない。しかしそれはあくまでも短期間に過ぎない。やがて、原発から排出される核廃棄物は、それまでに得ていた経済的利益を一気に失わせ、寧ろ原発を導入する以前より、経済を悪化させ、さらに豊かにあった最大の資産である自然さえ失わせてしまうだろう。原発事故がなくてもこうなるのだから、もし事故が起こったら…。

 短い夢の後に悪夢が襲うのだ。まさに現実として邯鄲の夢を見ることになりはしないか。

 それでも原発を彼の地に誘致したいと考える日本企業は、国内で「原発神話」を植え付けたような欺瞞をすることなく、原発導入を希望している国々に、その功罪を正確に知らせるべきだろう。その上で、その国が導入を希望するなら、筆者は彼の国の僥倖を願うしかない。
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2012年09月19日

イスラム教徒が暴動?!

 預言者ムハンマドを侮辱した映画の抗議として、リビアの米領事館が襲撃され、大使と大使館員3人が殺害された事件が起こった。エジプトでも米大使館の国旗が焼かれた。預言者ムハンマドを揶揄する映画がアメリカで公開(発表?)されたためという。

 何だか良く理解できない。

 イスラム教徒にとって預言者ムハンマドが崇拝されるのは理解できるが、なぜこれが暴動になるのだろうか。アメリカ政府が支援してこの映画を作らせたのなら、大使館に抗議(もちろん暴動は論外)はあり得るだろうが、いちアメリカ人が製作したからといってなぜアメリカがとりわけ米大使館が襲撃されるのか。意味が分からない。

 假に抗議するなら一義的にその映画を製作した本人ではないのか?

 イスラム圏では何か事あるとすぐに暴動になる。本当に当惑してしまう。聖なるものが侮辱されれば慥かに怒り心頭に発するのは分かる。例えば、日本人なら誰だって、鳥居に小便などしたら不快に思う。おそらくその場面に遭遇したら、「この馬鹿者」、「罰当たりめ」と叱責するかもしれない。しかし多くは、「あいつ祟られるぞ」とそそくさとその場を離れるのではないだろうか。神の祟りに巻き込まれたら大変だからだ。神の祟りは日本人にとって非常の恐るべきものなのだ。
 イスラム教の根底には、旧約聖書があると思うが、その中の十戒に「汝、人を殺すべからず」という項目がある。これと大使館銃撃による大使等殺害と矛盾しないのだろうか。
 何といっても旧約聖書の神は、非常に厳格かつ恐懼すべき存在で、神の意志に背けば、それこそ地獄に一直線だと聞く。神が十戒で「殺すなかれ」と仰っておられるなら、この矛盾をどう越えるのだろう。もし、彼(か)の映画がイスラム教徒にとって非常に侮辱的で神の怒りに触れるとしたら、おそらく神は瞬時にして、その関係者を地獄送りにするのではないだろうか。実際、神の堪忍袋の緒が切れた例として、「ソドムとゴモラ」がある。アブラハムの度重なる執り成しによって幾度となく耐えていた神だが、正しいものが10人もいなかったということで、とうとう滅ぼされてしまった。逃げる途中振り返った(おそらく以前の生活に未練があったためと思われる)ロトの妻は、瞬く間に塩の柱にされてしまったという。かように神の力は絶大である。
 今回の映画にしても、その内容はイスラム教徒が知る前に既にご存じであった筈だ。しかし、関係者は未だ地獄に落ちていない。ここに何らかの神の意志があったとは考えられないのだろうか。神が過ちを犯す筈もない。しかし人は過ちを犯す。とすれば、神の僕たる人間が人の知恵によって勝手に解釈し、厳命されている十戒さえ破り、神が彼のものを地獄送りにしてはいないという神の御意思を一方的に無視し、何等関係のない大使等を殺害したことは、とんでもない冒瀆に当たらないのだろうか。

 日本人の筆者としては、「祟られないか」ととても不安になるのだが…。

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2012年09月17日

Chinaで反日暴動!

 尖閣諸島の国有地化で、Chinaで暴動が起きている。直接的な原因は尖閣であろうが、内情は政府に対する不満爆発といったところか。
 鬱憤晴らしに日本を使うなよ。
 国を信用しないまつろわぬ民を持つChinaという国が、どんなものであるか、全世界の国々は知ったことだろう(もちろん数千年に亘って民を守らなかった国が信用できようはずもないが…)。
 それにしても、やすやすと国の策略に嵌るとは未熟で未開な国民だ。本来なら政府を糾弾するのが筋なのだが、それだけの覚悟はないようだ。今後どのように付き合っていくかは慎重に考えなければならない。
 それにしても、金と身内しか信用しない民族とどのように付き合えばよいのか。中華街を作らせてしまった国で軋轢のない国はない。少なくとも自国以外で問題を起こして欲しくないものだ。

 安易に経済だけを重視した結果がこの様(ざま)である。日本企業ももう一度考え直した方が良い。メタミドホスなんかもう忘れてしまったのか。ここまで記憶力がないと恍惚の人なのかと思う、日本人は。ベトナムやシンガポールなどを重要視した方が良いのではないか。

 そして経済を最優先させるという企業論理は、この日本国内でも同じ過ちを犯しそうだ。原発がそうである。何度も述べているように、原発は不完全な技術である。安全性はもとより、最後の始末さえ技術的に確立していない。核廃棄物の処理が事実上、とりわけ日本ではできない。地震国日本では、スウェーデンのオンカロ(「隠し場所」という意味らしい)のように深度地層に埋設することはできない。彼の国でさえ、苦肉の選択であり、その管理期間は優に10万年を超える!そんな遠い未来に人類がいるのかどうかすら分からないのに、「保管」するのだと。これを狂気の沙汰と呼ばずして何という? 「保管」じゃない。管理できないのだから、名を変えた「投棄」だ。日本で行うとすれば、それは「隠し場所」どころか「棺桶」と呼ばれるだろう。日本そのものが「棺桶」になる。
 原発再開を望むということは、この問題から目を背けるということだ。実際推進派の急先鋒である「産経新聞」では、推進は言うが、この問題については述べていない。推進を言うのであれば、この核燃料廃棄物をどのように処理するかの案を一体にして述べなければならない。でなければ、公器としての新聞社としては、「恥知らず」と言われても仕方ないだろう。また原発に掛かる費用を正確に計算すれば、原発は安いエネルギーどころか、火力をも越える高い電力になる。

 電力に代替がないわけではない。使える技術はある。これも既に述べてきたが、再掲すれば、シェールガス(アメリカとの交渉次第)、メタンハイドレート(日本海側の浅海では数年内に本格稼働させることができるのではないか)がある。オーランチオキトリウムの研究も加速させるべきだ。原発に使っていた予算を重点的に振り向ければ、開発はできる。要は覚悟だ。図体の大きい物体は慣性の法則から方向転換するにはかなりの力がいる。制度、政策もそうだ。大きければ大きいほど方向転換を躊躇う。

 だがそんなに時間はない。

 現在ある核廃棄物でさえ、これ専用の機関(もちろん廃炉に当たってだ)を立ち上げ、処理方法を考えなければならない。これだけでも絶望的に深刻だ。「もんじゅ」のような高速増殖炉の実現はもうない。何十年も掛けて実現できないし、国際的にも不可能と認識された今、「積極的な諦念(真剣にやってみてダメなら諦める)」は必要だ。はっきり言おう、往生際が悪いのだ。日本人は本来、この言葉が大嫌いではないか。
 失敗を認めろというのだ。今ならその責については問わない。だが、ずるずると責任逃れをしているなら、徹底的に追求されることになる。

 本来、経済というのは、「経世済民」、つまり「国を治め民を救う」という意味ではないか。「国を滅ぼし民を苦しませる」のではなにをか況んや。

 それとも、また「エコノミック・アニマル」と呼ばれたいのか?
 少なくともChina以下にはなりたくない。
 あらっ、それって最下位か。
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2012年09月13日

LOTO6に八百長疑惑!?

 以前ブログでLOTO6について書いたことから、「八百長ってあるんですか」とか「不正操作されてるの」なんて質問されることがある。みずほ銀行が存亡の危機に立たせるようなそんなばかなことをするはずがないので、「都市伝説」みたいなものと一笑に付せるのだけど、ネットを調べてみると結構詐欺まがいの商売があるのも事実のようだ。例えば、

開催回 日  付 第1数字 第2数字 第3数字 第4数字 第5数字 第6数字 ボーナス数字
222 2005/1/20 4← 14 15 22 29 31 20
223 2005/1/27 7 9← 19 26 30 32 3
224 2005/2/3 12 17 18← 19 30 35 13
225 2005/2/10 9 11 21 31← 35 38 13
226 2005/2/17 8 26 36 40 42← 43 21
227 2005/2/24 6 13 17 29 32 36← 35
228 2005/3/3 5 8 17 26 36 39 34←
229 2005/3/10 8 16 21 24 27 36 20
230 2005/3/17 4 9 18 31 36 42 34
           ↑    ↑   ↑   ↑   ↑   ↑   ↑
のような例を挙げて、八百長があると吹聴し、「実はうちの会社は、そのグループから情報を買っています」なんて言って法外な情報料を要求するという手口だ。
 慥かに、222回の第1数字223回の第2数字…第228回のボーナス数字が230回の数字にピタリと当てはまっている。これを見せられると、「ん〜、やっぱりあるのかなぁ」と信じる方もいるかもしれないが、確率的には、こういった事象が起こっても別段不思議ではないのだ。
 人間には、どんな現象にも何かしらの理由付けをしてしまうという「癖」がある。ちょうど写真に3点があれば「顔」を見てしまう(見ようとする)という脳の性向と似ている。心霊写真が撮られるのもそんな原因がある(すべてであるかは別にして…)。
 人は、起こった現象には何らかの意味付けがないと不安なのだ。理屈が付けば、次にその現象が起きた時に対処の方法を取れるからだ。理屈が付きにくければ、最終的には、「神の思し召し」という最大の理由付けさえしてしまう。神が決めたんじゃしょうがないや、ということで気持ちを落ち着かせるのである。
 科学は多くの現象を説明してきたが、それでも多くの人から見たら足らないかもしれない。しかし、LOTO6のような限定されて条件の中での説明はきっちりできる。

 統計解析を使えばいいのだ。

 LOTO6は完全に母集団が分かっている。分布(確率)も分かっている。だからそれと開催された数字の分布が一致しているかどうかを調べれば、不正があったかどうかは分かる。もし不正に操作されていたとしたら、どんなに巧妙に隠したとしても、それは実際の数字に表れてしまうのだ。
 そこで、理論的な分布と実際行われた当選数字の分布をχ(カイ)二乗検定してみると、間違いなく同じ分布であることが分かる(詳しくは述べられないが、実際に計算したので間違いない!)。
 以上から、LOTO6の数字の出方というのは、完全に独立事象で、数字間の繋がりというものはない、「この数字が出たから次はこの数字が出る確率が高い」なんてことは全くない!(但し、理論的な分布には従う)
従って、

「必ず、3等以上当選させます」

なんて宣う会社があったら眉唾ものだと考えて間違いない。
皆さん、くれぐれも詐欺に遭わないように!
統計も役に立つよ〜!
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2012年09月10日

尖閣諸島、国が購入

 尖閣諸島を国が購入することが明らかになった。これも石原都知事の「後押し」があってのことだが、なんだか釈然としない。まず、所有者が民主党政権下では、国に売るつもりはない、と明言していたにも拘わらず、4億かさ上げされたら掌を返したように売却してしまったことだ。元々中国に弱腰であった民主党政権では、信用できないから、売らなかったのではなかったか。もちろん4億も余計に払われれば、転ばないこともないだろうが、それなら最初から偉そうに言わなければいいのに。
 それとも国との密約でもあったのだろうか。もちろん一般人と国との密約なんて、いつ反古にされても文句は言えないのだろうから、それも懐疑的だし。
 筆者は、都が購入して、必要な施設を作った後、国に売却する方が筋が通っただろうと思う。そうでないと、今まで通り、国は当たらず障らずののらりくらいとした対応しか取らないだろうから。
 いずれにせよ決まってしまったことだから、しっかりと国土を守って頂きたいと思う。
 覚悟するのは、国ばかりか、国民一人一人なんだけどね。
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2012年09月08日

9/7/2012付産経新聞「賢者に学ぶ」適菜収「他にも守るべきものがある」を読んで

 このコラムで、三島由紀夫の言葉として、「…しかし、国土というのは単なる地面にあって、これは日本がたとえ共産政権になったとしても、何んの変わりもない」(栄誉の絆でつなげ菊と刀)を挙げている。
 そうだろうか。
国土は単なる地面に過ぎないのだろうか。筆者はそうは思えない。国土というのは自然そのものであり、文化や文明というのは、その自然の中で育まれてきたものではないか。例えば極端な話、将来火星がテラフォーミングされて人が住めるような環境になったとき、そこに日本人が移住したとして、果たして今のような日本人の文化を維持しているだろうか。最初は象(かたち)だけでも継承されるかもしれない。しかし、全く違う環境で、環境に依存した文化を維持できるものとは思えない。
 火星は極端にしても、日本人がユダヤ人のようにディアスポラを経験したら、ユダヤ人のように同一性を保つことができるだろうか。周囲と上手く折り合うことを何よりの信条とする日本人は、その地に溶け込んでしまうのではないかと思う。中華街のようなものができるかどうか、はなはだ疑問だ(慥かに日本人街というのもLAやSFにあるにはあるのだが、中華街ほど強烈な存在ではない)。ユダヤ人には強烈なユダヤ教がありこれらが彼らを纏めたと思う。日本人にはそういう縛りはない。日本という国土の中で、絶妙なバランスの上に成立した、脆い花のようだ。離散すれば日本人は、それぞれ散った地の人となるだろう。世代が下ればいずれ消えてなくなると思う。融通無碍、これが日本人の特質の一つであるからだ。
 三島は続ける。「日本というものの特質で、それを失えば、日本が日本でなくなるというもの」という、それは適菜収氏の弁によれば、「『日本精神』などといった抽象的なものではない。あくまでも現実世界に存在するものだ」ということである。その通りで、これなら分かる。では「現実世界に存在するもの」とは何か。それはまさしく日本にある自然(そしてそれを母体とする文化)のことではないだろうか。日本は、世界でも稀なはっきりとした四季を持ち、山紫水明がふさわしい国だ。そして日本語。こういった環境があってこそ日本人は形成される。どれが欠けてもおそらく日本人たりえないだろう。
 だから、これほど日本を理解している三島が「国土というのは単なる地面」と言い切ることに不自然さを感じる。
 3.11の大震災で、福島は放射能で汚染されてしまった。この地は拡散した放射性物質を集積し、立ち入り禁止区域とするのが、理性的であろう。だがそうはならない。もしこれがアメリカで起こったなら、補償金をどっさり貰って、さっさとその地を捨てて別の土地で暮らすことだろう(良い悪い言っているのではない)。しかし日本人にはそれはできない。なぜなら、日本人にとって、身土不二、つまり、土地は人、人は土地そのものであるからだ。それも「故郷」が大きな存在であることが大きな特徴だ。同じ日本だからといって、他の県に移住すればよいとはならない。生活が、完全にその地の自然と一体化することで成り立っているからである。良くも悪くも古代の生活を現代にしているようなものだ。豊かな自然によって、生活様式を過激に変える必要性がなかったのだろう。
 福島はこれから大変だ。今までであったことのない「土地の穢れ」と対峙しなければならないからだ。それも自然が仕掛けたものではない。地震、津波などの災害だけであれば、自然に対する畏怖を持ちながら立ち上がることはできるだろう。しかし今回は、人間が仕掛けてしまった。未熟な技術を背景にした安全神話に踊らされ、天に唾する行為をしてしまった。この負い目から立ち上がることは精神的にも物理的にも容易ではない。簡単に言えば、「ご先祖様に合わす顔がない」という思いだ。日本人は、「穢れ」を嫌う。それは身土不二であるからだ。

 日本全国に点在する原発は、日本人を抹殺してしまうかもしれない。土地が穢されれば、日本人は生きられない。事故だけの話をしているのではない。假に安全に運転されていても、日々排出される放射性廃棄物の対処法はない。假に原発を全ては廃炉にし解体しても、想像を絶する廃棄物が残される。再処理してさらに原発で燃やす?もともと今の原発はそういう構造になっていない。セイフティ・マージンが一気になくなる。しかも根本的な解決策にならない。再処理施設の六ヶ所村では、もう貯蔵は満杯だ。直接地下処分も念頭に置かなければならないという。しかし、あの広大なアメリカでもそれはできなくなっている。国土が狭い上に地震などの災害が多いこの国のどこに埋設するというのだ。そうでなくても管理は数万年、10万年単位だ。これを自殺行為でなくてなんと呼ぶ。

 原発を維持したい勢力は、「電力がなくなれば国は衰退する」、「電気料が上がればメーカーは海外に出て行くしかない」などと必死に危機を煽る。しかし、膨大な核廃棄物をどうするのだ、という切実な問いに一切答えようとはしない。無責任で破滅的だ。結局、負の遺産を後世に残すと明言しているに過ぎない。しかも、原発による電力はは安いとまだ信じている。補助金やら補償金、廃棄物の処理、燃料の海外依存などの問題を考慮すれば、高い高いといわれる火力より高くなるのは間違いない。火力用燃料なら、シェールガスやメタンハイドレイト、石炭(昔とは違って汚染物質の排出は少ない)など使えるものは多くある。その間に太陽光、風力、潮力、地熱などの本格稼働まで時間を稼げる。原発にはその見込みがない。高速増殖炉は実現できず、核融合炉は実現できない。そんな不安定な技術に未来を託することができるのか。

 東海地震の犠牲者は36万人を超すだろうという予想が発表された。しかし、浜岡原発崩壊による犠牲はこれに含まれないという。誰も怖くて発表できないのであろう。欺瞞だ。

 原発は即刻廃止し、放射性廃棄物の処理をどのようにするか、早急に研究しなければならない。加えて、原発にかかっていた予算は、新エネルギーの開発に重点的に向けるべきだろう。

 日本版アルマゲドンなど誰も見たくはない。
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2012年09月02日

断層ずれても「運転可能」?! 自滅するつもりか?

 8/29/2012付け産経新聞によると「原発直下に地盤をずらす『断層』があったとしても原発の運転を一律に停止せず、継続の可能性を残す新たな安全評価基準の導入を、経済産業省原子力安全・保安院が検討していることが28日分かった。…専門家の意見を踏まえて近く決定し、近く発足する「原子力規制委員会」に引き継がれる。」
 簡単に言えば「安全の基準緩和」である。本来なら志賀原発など、断層上に建てられている原発は危険であるから、即時廃炉というのなら分かるが、それどころかたとえ断層があったとしてもそれが軽微であれば稼働させて良いというのである。専門家に意見を聞くと言うが、もちろん原理力ムラで固めた茶坊主学者を利用するだけで、結論は決まっている。こういう重要な決定が、密室で行われることをもっと恐れていい。基本的にすべて公聴会として行うべきものだ。賛成派がいてもよい、しかしそれと同数の反対派がいなければならない。そして何より、専門家というのであるなら、基本的に双方議論の余地がないコンセンサスがあるだろう。その則(のり)から外れるなら、専門家という看板は外したまえ。君たちは政治家ではない。断じてない。医者がヒポクラテスの誓いを守るように、(特に自然を相手にする)学者は真実の前に謙虚でなければならない。どんなに良くできた假説でも、自然がノーと言えば引き下がらなければならない。そうでなければただの夜郎自大である。
 レバ刺し規制を見て分かるように、官僚の本性は保身である、羮に懲りて膾を吹くのが彼らである。高々レバ刺しごときであの及び腰である彼らが、3.11の大震災を見て尻込みしないはずがない。従来なら国民からの批判を躱(かわ)すために、「断層」が見つかれば、あっという間に規制を強化するのが彼らの本能だ。ところが、それと全く反対のことをしている。こういうときには別の本能が働いたと考えるべきだ。それは省益。延いていえば、国益など二の次、畢竟自己保身ということだ。これが彼らの最大の使命だから宜なることである。
 もちろん、原発を抛棄することなど気はさらさらないということだ。これが「経済産業省原子力安全・保安院」の正体である。

 しかしここまで露骨だと、とうとう気が触れたのではないか、としか考えられない。
ごまかし続けて建設してきた原発を、自らが逃げ切れるだろうと想定した期間より短い時間で危険な状況に陥れてしまうに違いない規制緩和をするとは、狂ってる…、としか言いようがない。

 何度も言うが、3.11以降、本来なら、安全基準を高めるべきなのに、逆に緩める。これは明らかに原発政策は止めないぞ、という無知蒙昧で意固地な意思を政府は示したわけである。

 よかろう。そういう気なら、選挙で白黒を付けようじゃないか。

 国民は選挙にあたって、必ず「原発廃止」であるか否かを確認することだ。特に若い連中にとっては近く行われる選挙は重要だ。君たちの将来、それどころか生き延びられるかどうかを決められるギリギリの選択だ。年寄りにとっては、よほどの有識者か、実際に被害を受けた者でない限り原発など気に止めないだろう。彼らは電力不足になったらどうするのだ、としか考えられず、それ以上の思考は停止しているからだ。だいたい假に被曝したとしても発症までに5年から数十年かかるから気楽なものだ。そんな先には誰一人としてこの世にはいない。
 甘い蜜を吸ってきた原子力ムラの住民とてそれは同じことだ。高放射性物質の処理など今は我々には解決できないが、将来の“優秀な”君たちなら、なんとかなるだろう、と無責任に押しつけて、自らは安穏として鬼籍に入るのだ。

 「電力が不足したらどうする」(もちろん嘘であることがばれているが)という、まるですべてを分かりきったような、「それが公平に考えられる大人の感覚なのだ」、「世の中そんな単純なものじゃない」とかまるで神の如く、或いは智慧のある老人の如く言いたいだけなのだ。「年を取れば経験で分かる」などとね。しかし、ビスマルク宰相に言わせれば、「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」であることも述べておこう。
 未来がない老人(少なくともサミュエル・ウルマンの言うような老人ではないなら)に未来を語ることなどできない。未来を語り夢を実現させるのは若者しかいないではないか。しかも、原発の影響をもろに受けるのはその若い世代だ。こんな不合理な社会構造を受け入れることができるのか。唯々諾々として受け入れるのか?
 一人一人の票は小さいかもしれない。しかし、投票でしかこの国は変わらない。革命で変えるべきでもないだろう。幸い独裁国ではないから、法を守ることで国の象(かたち)を変えることができるのだ(独裁国家の国民にとっては、まさに垂涎の的に違いない)。
 だからこそ、若い連中は、真摯に選挙には出向いて、投票行動を起こすことだ。投票しないとということは、どんな理屈を捏ねても、現在の社会構造を暗黙的に了承していると表明することに等しい。実際に「投票」したと同じことなのだ。

 政府も電力会社も、原発を廃止し、次世代の発電方式に移行してゆけば、新しい職場もエネルギーも確保できることは既に知っている。にも拘わらずその動きをしないのは、ただ無為に終わる廃炉の費用を払いたくないのだ。
 しかし、特に政治家は国民の代表であろう? ならば国民の意思を無視する政治家とは何者なのだ。慥かに外交、国防に関しては、素人が踏み込めない闇の世界もあるだろう。それを国民の意思だからといって、明らかに国を滅ぼすような施策は採れないのは分かる。「国破れて山河あり」では最終的に国民の意思を表していないからだ。しかし、生中な政治家が「民に知らしめるべからず」などと安易に口に出しても、思ってもいけない。その言葉を発する前に、その政治家は、文字通り命を賭けて、国土、国民を守る決意があるかどうかを常に自らに問うているか、もう一度思い返すべきだ。そうでなくば、政治に携わって頂きたくはない。
 筆者は、優秀な政治家であれば、どんなに費用を掛けても全く惜しくはない。ほとんどの県にある飛行場をプライベートジェット(もちろん公用に当たっての話だが…)で利用して日本中を回っても何等問題はないと思っているく、それだけの仕事ができれば、おそらく筆者ばかりではな誰も文句は言わないだろう。文句を言うのは、露骨に無駄が多く、政治家のモラルがないからだ。官僚の「汚職」も目に余る。「天下り」なんて、天から救い主が降りてくるような呼び方で全く適切でない表現で、これは「(広義の)汚職」と表現すべきなのだ。「いや能力があるのだから会社が引き抜きたいと思っているのだ」と反論するのであれば、退職した役人は全てハローワークに登録すればよい(但し、管理対象であった会社は除く)。優秀であることが事実であれば、登録と同時に雇用を願う会社の引く手数多の攻勢に遭うに違いない。ヘッドハンティングなど当たり前の筈だ。正式な手続を経て仕事に就けばよい。

 政治家の言葉があまりに軽い。それは、その政治家を当選させた国民にも責任がある。バカな政治家と呼んでも、そんな政治家を誰が選んだのかということだ。
 それに自らの利益、都合のために政治家を支持する応援母体などもうんざりだ。政治家という職業は本来なら並の人間ではできない。少々頭が良くても、例え会社を経営した経験があったとしても、多少の行動力があったとしても、おそらく無理だろう。図抜けた実力が要求される(特に国政では)。余程の覚悟と自信がなければ、たとえ父親の票田があったとしても、立候補は止めて頂きたい(ポッポさん、あなたもだよ、大体次回の選挙にはでないと言った筈だが)。

 それにしても明らかに詐術を用いて、できもしないマニフェストで国民の票を獲たとしたら、それは詐欺というものだろう。何故なら、そこに表現されている項目を、国民は信じるしかないからである。それさえも信じることができないというのであれば、一体何を信じて投票行動を起こせば良いというのか。

 今回も美辞麗句に彩られたマニフェストだのアジェンダだの、できもしない政策を並べて選挙を行うのだろう。もう騙されたくはない。しかし、選ぶのには表明したそれらのものしかないのも事実だ。各国民が、実現して欲しい項目を決めて、これだけは守って頂きたいと再三再度念を押して、候補者に詰め寄るしかない。多くの候補予定者はブログを持っているから、積極的に質問することだ。返信のない候補などもちろん言語道断である。返信された文章を以て判断の材料にするしかないだろう。

 鮫脳宰相と呼ばれた政治家が、「有権者は選挙中、寝ていて欲しい」などと戯言を言ったが、オペラではないが「誰も寝てはならぬ」のだ。

Nessun dorma!    誰も寝てはならぬ
Nessun dorma!

Dilegua, o notte!  夜よ去れ!
Tramontate, stelle! 星よ沈め!
Tramontate, stelle!
All'alba vincerò!  夜明けには勝ち取ってみせる!
Vincerò!      私は勝つ!
Vincerò!      私は勝つ!

国民は勝利することができるのだろうか? それともただ自壊してゆく姿を目にするだけなのか…
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2012年08月30日

ガッテンを見て愕然!

 8/29/2012、NHK放送の「ためしてガッテン」を観て愕然とした。今回は、過換気症候群(hyper-ventilation syndrome,HVS)を取り上げていたのだが、何と有効と思われていた「ペーパーバッグ法」は、殺人行為に等しい行為であるということが暴露された。

なんじゃこりゃ?

である。
 筆者は、臨床検査技師で教授の友人から、このペーパーバッグ法を聞いて、HVSに関しては、その対処法を教えてもらったが、実は全くやってはならない方法だと気付かされて驚いている。おそらく呼吸は血中の二酸化炭素がコントロールしているというところから、低二酸化炭素状態であれば、ペーパーバッグを口に当てて呼吸すれば、二酸化炭素濃度が上昇し呼吸が安定すると考えたのだろう。
 しかし現実は、それでは血中の二酸化炭素濃度は上がらず、むしろ窒息させているのと同じことになってしまうことが分かったのだろう。
 それにしても、これだけ普及した方法で、しかも、HVSの患者が増えてきているというのなら、関係者が新聞、ニュースなとでその危険性を告知しなければならないだろう。今回、ガッテンを観た人は良いが、そうでない人の方が多いはずだから、早急に誤りは訂正すべきだろう。人命にかかわるからね。
 しかし、医療関係の事実誤認による変更は多いね。前にも述べたが、傷口は基本的に殺菌してはいけない、というのもあった。これは赤チンやリバガーゼを知っている世代には衝撃だぜ(あんな痛い思いして、逆に良くなかったなんて(TT))。
 昨今、いろいろなサプリメントが発売されているが、いくら新発見されたからといって、即座に飛びつかない方が良いかもしれない。医療の現場で、以前常識であったものが、180°違っていることもあるのだから、ましてやサプリメントのような比較的安全なものは、結果として毒にも薬にもならない、というようなことが起きやすいのではないかな。コラーゲンやヒアルロン酸なんて塗っても飲んでも効果など期待できないだろう(飲んだ場合分解されて原料にはなるだろうが…(それでもペプチドかアミノ酸!))し、むしろアレルゲンとなるのではないだろうか。だいたいそんな高分子が皮膚から直接入って行く方が怖いわ。
医療関係の番組はもっとたくさんあっていいかな。
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2012年08月27日

本質を考えない煽動"社"、産経新聞

 8/26/2012付の産経新聞、「新聞に喝!」というコラムで、またぞろ原発推進を煽動している。もういい加減にしろと言いたいが、これに対抗せず声を上げ続けないと、いつの間にか詐術に陥る人も増えてきてしまうので、黙るわけにはいかない。
 今回の論者は、津田和明氏という人らしいが、まず出だしで論理が破綻している。
以下に引用すると、
「…化石燃料は大気汚染物質の排出が避けられず、産出地が中東に集中していることも問題だ。」

 論者はこの一文だけで二つの過ちを犯している。
 まず、この人は化石燃料を野火の如く、ただぼやぼやと燃やして蒸気を作った後にはそのまま大気に排出しているとでも思っているのであろうか。いくら火力発電の詳細を知らなくとも、脱硫装置が備えられ、しかも日本の技術は世界一であることくらいは知っている。大気汚染防止法というものも存在している。違法な施設など存在しえない。それが一時期火力を多用することがあったとしてもである。
 では原発はどうだ。原発の廃棄物は放射性物質である。半減期に従って放射能が減衰するだけで、その半減期をコントロールする技術を人類は未だ手にしていない。将来的にもあまり期待できないだろう。その放射性物質の中には沸点が低いものも有る。大気汚染はないと言えるのか。緊急時ベント機構には、まだフィルターも装着されていない。それはさておいても(フィルターを付ければよいのだから)高レベル放射性物質はどのように処理するというのか。既に報道されているようにそれは破綻している。処理はできないのだ。原発を推進したいアメリカでさえ、永久埋設地が確保できないため、新規炉は見合わせの方向に動いている。ましてや国土が狭く、地震大国である日本に永久埋設地があろうはずがない。処理もできなければ埋設もできない、こういった厄介な物質を原発は生成しているのである。最終処分法が担保できないのであれば、これ以上廃棄物を出すというのは自殺行為であろう。こういった事実を国民は知りつつある。経済の問題では、既にない。これに津田和明氏はどう答えるのか。
 また、「産出地が中東に集中」云々とあるが、原料となるウランも日本では産出できないし、産出国も限られている。しかもその算出方法には多大な問題が指摘されている。他国のことなどお構いなしとでもいうのであろうか。いずれにせよ、これでは電力調達の弱点になることは、原油にしてもウランにしても同じことである。

 原発を代替する発電機構は確保しなければならない。これはその通りである。太陽光発電、風力発電、地熱発電などは、主要電力とはなかなかならないだろう。それも事実だと思う。もちろん輸入燃料に頼ることも、国家戦略上好ましくない。ではどうするか。まずは、日本海側のメタンハイドレートを早急に開発することだ。深海に存在する太平洋側とは異なり、浅部に存在することが分かっている日本海側では、既存の技術で対応が可能だろう。そのためには、まず国が電力確保の方針を原発から新エネルギーへ方向転換をしなければならない。今まで原発に使っていた予算を優先的に振り当てるのだ。現時点ではこれが一番有効ではないかと思う。その他の技術もあるが、まだ未知数であり、もう少し時間が掛かるだろう。これも進めなければならないが、アドホックとしてはメタンハイドレートで時間稼ぎ(埋蔵量によっては長期に利用できる)をすることだ。多量に電気を喰う、HI機器なども考え直す時がきたのだ。
 要は覚悟である。旨そうに見えていた饅頭が実は毒饅頭であったことを認めることだ。どんなに飢えていても子供にこんなものを与える親はいないだろう。

 原発が発電ばかりではなく、実はその裏として、プルトニウムの確保にあり、原発を維持するのは、原子力技術の保持、発展を狙っているという説もある。実際、原発に関しては、「国家安全保障に資する」と記述がある。だが、日本が大陸間弾道弾のような技術をもって、それを利用することが果たして現実的であろうか。慥かに強大な軍事を背景として脅しを掛けてくる国々に関しては忸怩たる思いもある。しかし核兵器を使った脅しが有効であるとは考え難い。万が一有効だったとしても、それを維持管理することは、膨大な経済的負担を強いられることになる。加えて、日本の原発は完全に標的にになるだろう(もちろん以前からそうだったのかもしれないが…)。その効果は、悔しいことに福島第一原発で実証されてしまった。それどころか、事故後もテロに充分な対策は取られていない。実際、福島第一原発の防御に必要な自衛隊が配備されているという報道は皆無である(あっても警備員程度しか機能しないだろう)。
これでも津田和明氏は、原発は経済的だと思っているのだろうか。

 津田和明氏の記述にはこんな表現もある。
「福島第1原発の事故で電力会社の引用は地に落ちた感がある、しかし感情論に走って電力会社たたきをしていると日本経済全体の危機を招きかねない。」
 もちろん、感情的な電力会社たたきは意味がない。しかし感情論ではないのだ。それは既に述べた通りだし、包括原価方式を採らせている法律にも問題があることも分かってきた。原発がなくなると、しきりに電気料が高くなると恫喝している津田和明氏だが、この方式を採っている以上電気料は安くはならない。全く競争原理が働かないからだ。競争原理が働かないとどうなるかは、元サントリー副社長である氏であれば、身に染みて分かるはずなのではないか。

 産経新聞は父の代から購読してきた新聞だが、この会社がまさか企業の論理に右顧左眄しているとは…。
残念なことだ。
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2012年08月06日

産経新聞 藤井聡氏「主張」の稚拙

 昨今、京大、東大卒等のタレントが、中高生レベルの問題をクイズで正解することが、さも高学歴であることを誇示するかのような、莫迦げた番組が流行っているが、高々そのレベルの問題に正解したからと言って、何を誇ろうというのか? しかも現役の中高生の方が成績が良いのだから目が当てられない。
 タレントのことは、エンターテインメントの範囲内だから目くじら建てることもないが、これが教授クラスになると少々黙っては居られない。
 問題とするのは、京大教授藤井聡氏の産経新聞「主張」である。氏は以下のように述べている。
「…
 原発がなければ、火力発電を焚(た)き増さざるを得なくなって、その結果、少なくとも年間3兆円相当の化石燃料を余分に外国から輸入しなければならなくなると推定されている。これが国家の富に深刻な打撃を与えるのである。

 第一に、電気料金は値上がりせざるを得なくなり、そうなれば家計のみならず国内経済に深刻な影響を及ぼす。産業の空洞化にも一段と拍車がかかり、長期デフレに苦しむ景気がさらに冷え込み、失業者が増え、その結果、自殺者が増えることともなりかねない。

第二に、電力料金の値上げは電力会社への激しい批判を巻き起こすだろう。その結果、会社側は様々な改革を強いられ、揚げ句に電力供給システムが劣化し、「世界一の停電低頻度」は維持できず、停電で医療機器が動かなくなり、信号機停止で交通事故が増え、それらを通して命を落とす国民の増加に繋がりかねないだろう。

 第三に、石油・ガス輸入代金がさらに3兆円もかさめば、最低で年間3兆円、乗数効果も勘案すれば、その2〜3倍分も国内総生産(GDP)が縮む。日本の燃料需要増大に伴い原油などの価格が高騰すれば年間10兆円を超す経済的な損害を与え、その結果、多くの国民の自殺にすら直結している不況を著しく悪化させるだろう。


 問題点は幾つかあるが、まず第一に「原発はそう簡単に事故を起こさない」という前提のもとに論を進めている点がある。まさしく争点としなければならない問題を問題ともせずに論を進めるのでは話にならない。何故なら前提が「偽」であれば、結論は何を言っても「真」というのは論理学の基本中の基本だからだ。「お前が大統領なら、俺は大統領夫人だ」というのはアメリカ人がよく使う言い回しで、これはオバマにでも問うているのでなければ、論理的に正しい、ということだ。

 安全だと言えない理由は山ほどある。問題になっている大飯原発では、f3という断層が走っていることが分かり、活断層であるかどうかを再調査しなければならなくなっている。もちろんこのような断層の上に原発のような構造物を建てることは法的に違法だ。であるから、早急なる調査が必要だが、驚いたことに、関西電力では、建設申請に拘わる当時の資料がどこにあるか分からないと言っていた。真偽の程は分からないが、假にこの程度の文書管理もろくすっぽできないのであれば、巨大かつ複雑な原発を運用する能力などないと自ら告白しているようなものだろう。

 石川県の志賀原発でも断層が見つかっている。これも活断層の疑いが濃いということで、調査次第では、廃炉にせざるを得なくなるだろう。

 少し見回しただけで陸続と挙がるこのような例にも拘わらず、何の疑いもなく、未だに「安全神話」を信奉しているとは畏れ入る。こういう人が京大教授というのだから、世間一般の人々ももう気付いていいころだろう。肩書きなんぞ信ずるべからずと。本当ならとても寂しいことで、あってはならないことだと思う。しかし同じ京大の教授が詐欺事件起こすのだから、この大学はどんな基準で教授にしているのか分かったものじゃない。

 さて、次に、原発の安全性検査を假に通ったとしよう。(大飯原発については、経済産業省原子力安全・保安院は第2次の審査が必要だと言っていたが、野田首相は強硬に運転再開をしてしまった。電力が足りなくなるという触れ込みだったが、現時点で火力発電所を止めてしまったのは一体どういうことだろうか。総力を挙げても電力は不足するんじゃなかったのでは。閑話休題)。
 多量に発生する放射性廃棄物の処理費用と処理施設、場所に掛かるコストはどうなるのだろうか。だいたい処理ができるのか。最終処分場もないのに。これに掛かるコストが尋常ではないことぐらい経済学者なら調べればすぐに分かるだろう。実際に原発のコストを計算した学者がいる大島堅一立命館大学教授である。彼によれば、原発のコストは、他の発電方式より高くなることが判明している。
cost.jpg
 自然エネルギーが不安定なことは分かる。組み合わせることでスペインなどのように安定化させる可能性はあると思うが、それでも不安はある。そこで制御しやすい火力にしばらくは頼ることになるだろう。燃料調達のコストは慥かに一時的に上がるまもしれない。しかし、日本にはメタンハイドレイトという資源もある。太平洋側の深海にある資源はすぐさま利用できなくても、日本海側の浅い海にもあることが分かっているから、これは現行技術で対応できる筈だ(まさか中国でもできることが日本の技術でできないなんて言わないよね)。燃料に関しては、まだ有望な技術もある。要はエネルギー政策の基本理念をはっきりさせ、つまり脱原発を明確にし、今まで原発に掛かっていた経費をこの新しいエネルギーの開発に掛ければよいのだ。日本の技術者は、目標が闡明になれば、困難な技術でも実現してしまうだけの想像力、技術力はあるのだ。

 さて、原発推進派の裏の懸念は、原子力に拘わる技術の進化を遅らせれば、世界と競合できなくなるという思いだろう。また、密かにプルトニウムを欲しがった政府の思惑もあるに違いない。極めて政治的な世界であるから事実がどこにあるのか未だ不明であるが、日本が原発を脱し、新たなエネルギーによって社会を運営している見本を示せば、逆に世界の方が慌てるという図も描ける。要は、国民、政府にその覚悟があるかどうかだ。

 以上のような事実を無視し、「電力不足になれば大変なことになる」などと単純に恫喝するのは滑稽であり、簡単に信じる国民は少ないのではないか。

国民はもう散々騙されてきたのだから。

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2012年08月03日

ノンアルコールビールって清涼飲料水じゃないの?

 日本人って時にとんでもなく細かいところに引っかかる面白い民族なのだが、産経新聞の記事を見ていてちょっと笑ってしまった。
 それは、ノンアルコールビールを未成年者が飲んでも良いか悪いかを述べている記事で、「何歳くらいから飲んで良いか」という設問を未成年の子供のいる30〜40代の1200人を対象に実施したところ、
20歳以上 35.7%
18〜19歳 32.3%
15〜17歳 17.3%
12〜14歳  5.7%
となり、
乳幼児から大学生で飲んで良いと答えた人に理由を聞くと、
法的にも発育的にも問題がないから    31.9%
子供が飲みたがればダメという理由はない 31.1%
子供が実際の飲酒をすることを避けられる 30.3%
という結果だったという。

もともとアルコールを摂取できない人やTPOの開発したのが実情だろうから、メーカとしては少々躊躇いがあるかもしれないが、アルコールが0.00%だから、これは完全に「清涼飲料水」でしょう。
単にビールのような味がするだけで、他のジュースやソーダと何等変わりはない。清涼飲料水の中でも色々変な(?)味のものも有るが、その一つと捉えれば済むことだ。
はっきり言って味はビールとは似ても似つかない(筆者は嫌いじゃないが…)。

問題にする方がおかしい。

「ビールへ移行させる虞がある」と危惧する声もあるが、「甘酒」飲んだからと言って、「どぶろく」に走るものだろうか。エッチな本見たからといって性犯罪者になる? 小説で殺人事件を扱ったからといって、人殺しになるとでもいうのだろうか。
そうであれば、もっと根本的に重大な原因があるだろう、早急に対処した方が良い。
だいたいそんなに気になるのなら、子供と十分会話すればよいのではないか。

これより問題なのは、この商品の扱い方だ。コンビニでは「20歳未満の方にはお売り致しません」と堂々と書いてあるところもある。トラブルは避けたいというのが本音だろうが、腰が据わっていないね。
どうして売らないのかと詰問されたら答えられないだろうに。

プライバシー法が施行されたとき、筆者は絶対に過剰反応するな、と思ったし書いたりもしたが、同じことは何度での繰り返されるようだ。

もう少し、寛容になれないものかねぇ。
くたびれちゃうよ。
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2012年07月26日

民主党に投票した国民はバカ?

 民主党に票を入れたことで、いわゆる「識者」と呼ばれる人々から、「国民は甘い蜜に惑わされたバカ」というような発言があった。後講釈で何とも言えるから、識者とやらも節操のない人々であるが、慥かに奸徒を見抜けなかったことは認めよう。筆者も高速道路無料化には大いに期待させられたのだから。だが今でも高速道路無料化は必要だと思っている。まず都市、過疎地の流通が盛んになるだろうし、経済的効果は、管総理が知らなかった乗数効果というのも手伝い、数兆円規模の効果があったろうことが国交省の試算で明らかになっていた。マニフェスト発表当時も今も、通貨縮小(デフレ)の対策を取らない日銀や政府の金融政策を見ていると、これだけでも相当な経済効果があったことは間違いないだろう。
まあ、もう画餅に帰してしまったが。ガソリン税の暫定も取れてしまったし。これだけ無能かつ嘘で塗り固めた政党も珍しい。民呪党とでも改名したらどうか。或いは、民誣党(みんしゆとう、誣は、作り事を言う、事実を曲げて言う、という意味)か。

さて、「識者」とやらにお伺いしたい。
国民は、次期政権を担う党のマニフェストというある意味の契約書を信じて投票してはいけないというのだろうか。
信じてはならぬ、というのであれば、何を根拠に投票すれば良いのか
政党が挙げる約束事など選挙のためだけの美辞麗句に過ぎないのか。
そして、そういった裏の事情まで考えながら投票しなければならないのか
また、あのとき他党に入れる積極的な理由があっただろうか?
自民党が信じられたか?
公明党に頼れるか?
共産党に国の将来を託せたか?
その他の少数党に未来を賭けられたか?

馬鹿も休み休み言うものだ

法律では、「信義誠実の原則」というものがある。その原則の一つに、エストッペルの原則(禁反言)というものがある。これは「Aが一定の表示を行い、他者Bがその表示を事実として行った行為に対し、Aはそれと矛盾した事実を主張することはできない」という原則だ。簡単に言えば、「言ったことをひっくり返すなよ」ということだ。
まさしく、民主党はこの原則を否定しているのだから、政権政党どころか解党して出直すべきだろう。
こういう原則を考慮すれば、国民が民主党のマニフェストを信じて投票した行為は何等責められるべきではなく、民主党自身が責任を負うべきであろう。

しかし「識者」って、一体何が「識」なの?
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2012年07月25日

「苛め」は誰の問題?

 ボーボワールを気取れば、「人は人間に生まれない。人間になるのだ」ろう。非常に学習性の高いこのホモ・サピエンスは、環境によって様々に変わり得る。狼のような弱肉強食の世界の中で育てられれば、人は「非力な狼」になるだろう。狂信者に育てられれば、「自爆テロリスト」にもなるだろう。神に育てられれば、「神」になるかもしれない。
 しかし、何も影響を与えられなければ、生物であるが故の本能に従って成長するのではないだろうか。それは
●自己保存本能であり
●繁殖本能
だと思われる。つまり生物の基本的な行動を起こすに違いない。
 子供がまっさらの純粋な存在ではなく、抛っておけば、この基本的本能のまま、野生動物に等しくなる存在であることは、子供に接したことのある大人であれば理解できる。一方、本能を越えた存在になることもまた理解している。
 だからこそ、躾けや教育はどんな国でも、どんな民族でも最重要だと考えられているのだろう。

 「苛め」は何も特別な状況ではない。他の生物でも見られる。それは他者を排除し、自らが生き残るという生物の基本的な本能だ。何故なら競合者が減れば餌の取り分は当然増える(勝ったものから優先的に餌を得られる)。オスであれば、配偶者の獲得も容易になるだろう(メスに疎われてはダメだろうが…)。
 「苛め」(野生の中では「苛め」というよりは競争だが…)は、特に群れを作る動物で見られる。群れの中で順位を決定し、優秀な個体が群れを率いるようにするためであり、優秀な個体をまず生き残らせるという戦略があるからだと思う(遺伝学では劣敗した個体が必ずしも環境適合に不都合な遺伝子を持っているとは限らないのだが…)。
 しかし、人の「苛め」が決定的に違うのは、同じ群れであれば、同じ群れのメンバーを殺すまで追い詰めないのに、徹底的に追い詰めてしまうことがあるということだ。野生では、同種の個体を殺すことではなく、単に順位を決めることが目的だからだ。
 この点で人の本能は壊れているのかもしれない。動物界では「参った(逃避したり、服従姿勢を取ったりなど)」というサインが出されれば攻撃は止む。しかし、人はあまりにも柔軟性を持っているためか、それが仇となり、そのサインをサイン通りには受け取れない。それどころかそのサイン自体を社会から学ぶしかないようなのだ。
 となれば、サインを形成するまともな躾けがなされず、教育も受けられなければ、本能が壊れている部分、徹底かつ破壊的に現れるのではないかと思う。
 人は学ぶ(人を含めた周りの環境から)ことでその人格、性格を作っていくようになっている。この人を人たらしめる重要な部分が、兇器に化けるというのも非常に皮肉なことだ(詳細については動物学者や心理学者に聞いてみたい)
 「苛め」は子供の世界だけにあるわけではない。人の作るどんな社会でもそれは存在する。近年会社でのそれが問題になっていることは良く耳にする。本来ならいい大人が、よってたかって排除したい人間に攻撃を加えるというのは、見ていて気持ちの良いものではない、大人ということで智慧がある分、その虐めは陰湿で苛烈だ。彼らもまともな躾はなされてこなかったのだろう。

 古来から人は、「禽獣にも劣る奴」と呼ばれることが何よりも不名誉なことと考えてきた。だがよくよく考えてみると、禽獣の方が遙かに秩序だっている。無用な殺戮など行わない。

返って人はどうなのか?

禽獣を遙かに越える知力を持ち、自らを知り、環境を知り、自然の原理を、理解途上でありながらも理解し、応用する能力も持っている。
しかし、一度たりとも安寧とした社会を築けなかったのは何故なのだろうか。
人の歴史は、一面、殺戮の歴史でもある。
それは今も変わらない。
果たして変えることができるのだろうか。
それともアインシュタインが「第三次世界大戦がどうなるか、私には分からない。しかし、その次の戦争は、石と棍棒で戦うことになるだろう」と言うように自らの歴史を閉じてしまうのだろうか。

少なくとも子供たちには、躾と教育を与えなければならない。それはそうだろう。
だが、どんな躾と教育を与えたらよいのだろうか。
ここまで来て筆者は非常に悩んでいる。

子供たちは、その混乱している大人たちを透徹する目で見ている。
保身を図る教育委員会の大人たちのあの惨めで、なんの覚悟も真摯さもない態度を
苦情を訴えても大したことないと無視してしまう教師たちを
そして、希望も持てず、未来を示すこともなく、当たり障りなく生きている社会の大人たちを
それは恐ろしい程に。

「人を殺すなかれ」、えっ、大人たちは平気で殺しているじゃん。
「盗むなかれ」、万引きより遙かに巨額のものを盗んでるのに?
「自然を守ろう」、経済を優先して処理できない原発を運転してるね。何かあった時に被害を被るのは僕たちだよ。

果たしてそんな大人たちがどんな躾と教育を子供たちに与えればよいのだろうか。
言えば言うほど、ブーメランのように自分に返ってきてしまう。

………

まず「隗より始めよ」ということか。
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2012年07月24日

「たかが電気」ではない重要な問題

 坂本龍一氏が「たかが電気のために。この美しい日本の未来である子供の命を危険にさらすべきではない」と発言した。言いたいことは分かるが、「たかが電気」はマズイ。
 電力(エネルギー)は「たかが」どころか現文明の根幹だ。エネルギーを別のエネルギーに変えて成立しているのが現文明といっても良い。人々が情報を知るのも、彼のメッセージが届くのもエネルギーのお陰である。彼の仕事も電力が無くては成立しないだろう。多くの音楽機材(PA)は多量の電力を必要とするし、本当にエネルギーの使用量を減らしたいのなら世界中を飛行機で回るツアーは控え、住んでいる周辺で、アンプラグドで演奏した方が良い、ということになってしまう。

 単純かつ極端な言動は、原発廃止運動によい影響は与えない。

 エネルギーを必要としつつそれをどのように解決していくかを考えなければ、原発廃止には追い込むことはできない。

 現人類は何をするにもエネルギーを消費する。それも大量に。そうでなければ何一つできない。生きてゆくことさえ既にできなくなってしまった。
 文明を成立させるには、大量のエネルギー消費を前提とするから、消費量を抑えろといっても難しい。豪華なご馳走を目の前にあることを知ってしまった今、果たして梅干しでお茶漬けを食べることが可能か?
 それどころか米を生産することさえエネルギーなしには考えられない。ガソリンで動く機械抜きには全く不可能だ。手作業では江戸時代の人口2000万人程度くらいしか養えないだろう。現代の農業はいくつかの過程があるとはいえ、最終的には「喰えないエネルギーを食料に変換する作業」とみなせる。

 蛇口をひねればいつでも水が得られ、自動車や公共交通によって行きたいところに行け、店でいつでも食料が手に入り、夜は煌々とまるで昼のように明るく、テレビ、インターネットから情報、娯楽などが得られる。この利便さの根底にあるのがエネルギーである。中でも電力は非常に良質なエネルギーで使い勝手は大変良い。
 こういった生活を変えるべきなのだろうか、また変えることなどできるのだろうか。
 人類誕生当時、人は、飢えや疫病、害獣、闇夜の恐怖などに悩まされ、生活は不安定この上なかった。それを克服しながら現代に至っている。今でも全てが改善されているわけではないし、進歩したが故に逆に大きな問題を抱え込んでしまったところはあるが、それでも、以前の生活に戻ることなど考えられないだろう。よく「前は良かった」という発言を聞くことがあるが、それは生活スタイルが以前と劇的に変わり、精神の方が追いつかなくなってしまったという点が大きいのではないか。誰も戦国時代は当然として、明治や大正時代でもそこに戻りたいとは思わないだろう。もちろん変化によって新たな問題を抱えてしまったこともあるのだが…。
 電気によって以前は救われなかった命が助かっていることも事実である。MRIやCT,PETなど膨大な電力を必要とする機器や人工呼吸器や透析器、人口保育器など生命を救う手段は枚挙に暇はない。
 今の文明を維持しようとしたら、大小は別にして電力(エネルギー)は必要なのである。

 とはいえ、「だから原発だ!」とならないことはもう随分述べてきた。
 原発自体が不完全な構造物(技術)であり、それを設置する場所も、福島原発に利用されたMark1を製造したジェネラル・エレクトリクス(GE)が要求した条件を無視してて作ったことから分かるように、地震大国日本に原発を設置できる場所は、ほぼないのである。福島の悲劇はどこでも起こり得る。だからこそ東京、大阪などの大電力を必要とする場所に設置しないのだ。万が一でも事故があった時の被害の規模が違うからである。事故の確率が同じであれば、期待値(被害だから期待値というのも変だが数学用語だから仕方ない)は福島と東京では桁が違いすぎるからである。
 原発の問題はそれだけではない。百歩譲って万が一発電所自体が安全だとしても、原発自体が技術的に完結していない。最後まで面倒を見ることができない。つまり核廃棄物は安全に処理できないのだ。つまり「トイレのないマンション」と使い古された言い回しで、もう新鮮味を感じないかもしれないが、言っていることはこの上なく重要なこだ。
 高深度投棄を考えているようだが、この狭い日本国土のどこにも投棄しようというのだろう。またしても札束で頬を叩きながら、青息吐息の自治体を狙うのであろうか。たとえ広大な国土を持った他国であっても、10万年単位の管理が必要になる。人類にとってはほぼ無限な時間だ。こんなものをどう管理する?そもそも現人類が存在しているかどうかも分からない。これを未来永劫子孫に引き渡すというのなら狂気の沙汰といわずして何と言うのだろうか。

 エネルギーを作り出すことはできない(エネルギー保存則)から、
●今まで利用できない象(かたち)にあったエネルギーを利用できる象にする技術を得ること
●文明を永らえさせるために、エネルギー効率を上げる技術が必要
となる。
 電力でいえば、火力、水力で研究開発期間をの猶予を得、太陽光、揚力、地熱、新しい炭化水素燃料などの開発をしなければならないだろう。いずれ埋蔵されている燃料だけでは立ちゆかなくなるから、原発の危険性を再認識した今こそ、その研究開発を急ピッチで始めなければならない。このことは原発でも同じ事だ。ウランの埋蔵量は少ない上に、原油と同じように局在化しているから供給不安定である。高速増殖炉でプルトニウムを生産しようにもこれは絵に描いた餅であることが解ってしまった。にも拘わらず、撤退という決断ができないのは日本だけだ。科学技術よりも面子の方が優先する科学立国なんて、笑えない冗談だ。(自民党時代の政府は、原発ばかりではなく、核兵器として利用できるプルトニウムを欲しがったのではないか思う。今ではさすがにそんな考えは捨てただろうが…)。トリウムが次世代(?)の原発として一部注目されているようだが、トリウムはウランよりあるにしても、プルトニウムを生成しないだけで後の廃棄物は同じかそれ以上に発生するからこれを選択肢にすることはできない。

 エネルギーを大量消費しているのは、先進国ばかりで、それ以外の国の人々にとっては、そもそも蚊帳の外に置かれている。ソーラーセルを使って発電し自動車のバッテリーでLEDを灯すことで喜んでいる人々がいるのに、オール電化で多量の電力を使うというのも気が引ける。先進国がどのような生活スタイルにするのか決めなければならないだろう。そもそも資源自体が、数カ国の所有物であっていいのかどうか、考え直すことが必要な時期に来たのかもしれない(この相当難しい問題を果たして人類は解決できるのかどうか。それとも…)

 災害から再認識された原発問題は、今後の人類の在り方に大きな影響を与えている。しかも一国の問題でもない。チェルノブイリがそしてフクシマが示したように、まさしく世界規模の問題で、フクシマは終熄どころか不気味に現在進行している災害である。
 たとえ原発が炸(はじ)けなくても、核廃棄物は生まれ続ける。
 生物は放射性物質と共生できるものなのだろうか?
 それともそういう実験をしたいのだろうか?
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2012年07月18日

カタカナで呼ばれたいか?

 「エネルギー意見聴取会」は、結局茶番になっていることが明らかになったが、ある目的を決めてそれに誘導したいが為の、証拠作りであることが、明らかになっただけでも有益だったか。それにしても、将来原発の依存率
0,15,25%の案で、電気代の違いを示しているが、どういった条件で作られているのだろうか。
現在の電力3法を前提として試算したのなら意味はない。つまり電力を独占させ、原価総括方式でそれに利益を乗せるというやり方であれば、意味がないとないということだ。
電力3法を改正して、新規参入促進、発電、送電分離などの基本部分を変えない限り、将来どうなるかは述べることはできない。だいたいこの法律のせいで電力料金が高止まりしているのだ。コストを意識しない会社がまともな経営をするとでも思うのだろうか。
 太陽、風力、潮力や地熱などで今の電力量を賄うことは今のところ難しいことは慥かだと思う。主力は水力や火力に当分の間は頼らなければならないだろう。原油の調達やコストなど掛かることも事実だ。しかしそれも現状の原価総括方式で計算しているからでもある。コストが掛かれば電気料を上げればよいと安易に考えている会社に、廉価で安定的な原料調達などの努力を期待できるであろうか。残念ながら会社間の競争がなければ、会社は生き残ろうと努力はしないものだ。他の競争の激しい会社を見てみよ。どれだけ血の滲むような努力をしているか。
 いずれにせよ、当分の間は火力に頼らなければならないから、燃料の調達は急務だ。では日本がエネルギー輸出国となれるというメタンハイドレイトはどうなのだろうか。慥かに太平洋側では、深海にあるためその開発は難しいが、日本海側では、幸いなことに浅い位置にあることが分かっている。ならば、国を挙げてでも早急に調査、試掘など手がけるべきではないだろうか。使い物にならない高速増殖炉など予算を縮小し廃炉の行程に移るべきだろう。
 オーランチオキトリウムなどの「炭化水素」を生成する藻はどうか。琵琶湖程度の土地があれば、優に日本の一年分使用する燃料は生成できるという。実現できるのかどうか実証実験を即刻進めるべきだろう。
 とにかく、原発には頼れないという基本理念を持てば、打つ手はいくらでもある。事実、日本は様々な問題に立ち向かい解決してきたではないか。
 筆者が原発を容認できないのは、事故が怖いだけではない。もちろん国を、いやそれどころか地球を致命的に汚染してしまう未熟な技術に頼ることは怖い。しかし、それと同等に、或いはそれ以上に、原発から廃棄される高濃度の放射性物質の方を危惧する。人類はこの廃棄物の処理の方法を未だ知らない。比較的事故に安全だといわれるトリウム溶塩炉でも、プルトニウムを生成しないだけで現在の原発と同じように放射性廃棄物は発生する。根本的な解決にはならないのだ。
 「原発は必要悪だ」と達観している人々に問いたい。毒であっても、旨い実なら食べるのだろうか。中にはそういった御仁もいるらしい(河豚の肝をどうしても食べたいとか)が、これは個人の嗜好ではない、ことは国民全体(いや地球規模か)に及ぶ。その点を考えて発言して欲しい。そして考えて頂きたい。大震災にも耐え、事故を起こしにくく、しかも小型(1万KW程度)の方が都合が良いというトリウム原子炉であるならば、東京、名古屋や大阪など多くの電力を利用する地域に設置した方が遙かに効率的(送電線は限りなく短くできる)で、しかも廃熱さえ利用(暖房、冷房)できるのであるから、理想的だと思うのだが、これにはもちろん賛成頂けるのでしょうね、と。もし万が一否と答えるのなら、「それは欺瞞だ」と非難されても甘んじて受けて頂きたい。自分は嫌だが、地方に設置するなら補助金も出て潤うのだからそれは自治体の考え方次第ではないか、と答えるなら、それは身勝手と言わざるを得ない。
 自治体にしても、原発を誘致することで潤うと考えるのは止めた方が良い。実際原発が無くてもなんとか運営している自治体は多い、というか、ほぼ全てそうである。補助金といっても自由に使えるわけではなく、ほとんどが箱物にしか使えない。しかも時を経れば補助金も減らされていく。結局箱物の維持費が嵩み、また原発を誘致しなければならなくなるという悪循環に陥るだけだ(電力会社、政府はこれを狙っていたのだが…)。この例は既にある。麻薬だ。この呪縛から逃れるのは並大抵のことではない。それが補助金の実体だ。しかも、誘致賛成、反対と自治体の中で反目が起こり、自治体は二分されてしまう。これで自治体は子孫に未来を語ることができるのだろうか。世界からカタカナで呼ばれるようになることはないのだろうか。
 筆者はカタカナで、かつてあったニッポンなどと断じて呼ばれたくはない。
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2012年07月09日

冤罪の恐ろしさ-森ゆうこ様

拝啓 森ゆうこ様
狂気の民主党を脱党なされお忙しい日々をお過ごしのことと思います。
新党が何を目指し、何を実現させるかにつきましてはまだ未知数だとは思いますが、詐騙を用いて政権を奪取し、以後国民を裏切り続けた民主党に対し、一矢を報いて頂ければ幸いです。
では本編に入らせて頂きます。

冤罪は人を二度殺します。
一つは言われ無き罪において、もう一つは社会によって。
いまの刑事訴訟法では、検察の都合の良いように証拠が提出され、被疑者に有利な証拠は一切無視されます。
それどころかもう明らかになっているように検察、警察は証拠を捏造します。よくても証拠を隠蔽します。
これはもう法治国家ではありません。日本人は、シリアや北朝鮮、中国等の政治体制を嗤いますが、それと同等かそれ以上の劣悪な国家に成り下がりつつあります。
証拠は警察、検察によって都合良く利用されます。
証拠の取り方も必ずしも法的に正当性を以てえられるものでもありません。
アメリカでは、証拠採取の方法が法的に正当性を欠く場合、それは判事によって証拠排除命令が出され使うことはできません。この手続は非常に厳しく、たとえ捜査令状が出ていたとしても、その捜索範囲外で出た証拠は、証拠たり得ません。もちろん捜査令状を得ずして証拠は証拠にすらなりません。不当な捜査によって得られた証拠から派生した証拠も証拠として認められません(毒樹の果実、日本では旨ければどんな毒樹の実でも喜んで食べてしまう)。それが決定的な証拠になるだろうとしてもです。また、ミランダ警告を告げないで被疑者が告白したとしてもそれは証言になりません。
アメリカの司法制度が決定的に優れているとは思いませんが、少なくとも捜査訴追側と判事は完全に独立しており、特に判事は完全に中立性を保とうとする姿勢には羨望さえ覚えます。彼/彼女らにとって規範となるのは法律と判例のみで、訴追側の事情は一切考慮されません。これは訴追側と判事がまるで一体化しているかのようなのような日本から見ると驚くべきことです。日本の裁判官は、概して検察側を信頼する傾向が強すぎます。もの知らずなのか、とても中立とは思えません。
日本国民が願っているのは、無辜の民を陥れることではありません。罪を犯した者にそれなりの償いをさせたいと思うだけです。
そのためには、やはり法改正が必要で、
●完全なるデュープロセスに従わせること(従わない証拠は、容赦なく排除する)
●証拠は、検察の有利、不利になろうと全て開示させる
●逮捕時、尋問に弁護士の接見を認めること(手練手管を知り尽くした捜査官と素人が対峙することはバランス的に完全に非対称的になり問題があります。「無罪であれば裁判の時に言えば良い」などと誘導するのは危険きわまりない)
●完全ビデオ採取をすること(部分的には都合の良いように編集される虞があること、ビデオは録画のみだけで消去、編集できない機器を物理的に製作し使用すること)
●捜査官の暴力的行為があった場合は、即座に特別公務員暴行陵虐罪に問うこと
などの防止策が必要となるでしょう。
公務員は、どういうわけか無謬性を信じている(信じたい?)ようですが、多くの国民は神でない限りそれがあり得ないことであることは身に染みて分かっています。人は警察官、検事であろうが被疑者であろうが嘘をつくものです。ならば正当な証拠と証言によって犯罪の有無を問わねばならず、それに反する行為を禁ずる法を作らなければ、冤罪が減ることはないでしょう。
改正によって、犯人であるものが野放しになる危険はあり得ます。しかし、冤罪による復旧できない被害と対比すれば、冤罪の方を防止することの方が重要だと考えます。「無辜の不処罰」は厳然として守らなければならない鉄則です。多くの国民は、この冤罪について自分とは関わりないことだと考えがちで、まるで茹でカエルのようです。気付いた時はもう遅い。もう分かっても良い頃なのですが。本当に無知は罪だと思います。

警察、検察の不祥事は国民の生命と財産を脅かすことになります。
早急に改正が必要かと思います。
証拠を捏造する警察、検事など要りません。前田、田代両氏など法曹資格剥奪が適当です(アメリカなら司法妨害で資格剥奪と同時に法曹界から追放でしょう)。
国家の根幹を揺るがしかねないこの問題を常に考えて頂き政治活動されることを切にお願い申し上げます。

末筆ながら、時節柄ご自愛なされますよう、心からお願い申し上げます。

一石賢 拝
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2012年06月11日

レバ刺し禁止令の拙速

 個人としてはレバーは食べないのだが、世のレバ刺し好きには堪える省令だろう。
生レバーの中にO157などの大腸菌が存在しているものがあり加熱以外で殺菌できないことだからだという。疑わしきは規制というのが手っ取り早いし、天下り先確保で省益にもなるし、放置して死者が出て世間から責められるよりはいいという、役所にとってはこの上ない結論だ。だがあまりにも拙速な判断であることは間違いない。レバ刺しで死者中毒が出たことはここ十年ないというのだから、慌てて省令をだすこともあるまい。検証する時間はあるのだ。
 全ての生食はゼロリスクなどということはありえない。それどころか食品が100%安全であることなどあり得ない。こんな単純な思想で禁止令を出したのでは、生食などこの世から消えてしまう。
 事の発端は、ユッケ中毒死事件である。これは悪徳飲食店が利益を貪るために起こした事件であり、即座に一般化して全てを規制すべき問題ではないはずである。問題の設定を間違えている。
 このおかしさはちょっと考えて貰えれば分かる。100%の安全を要求しているからである。こういった考え方に立つなら、理論的に言えば、原子力発電所など即日破棄となるだろう。一方では100%ではないにしても必要だからといい危険きわまりない原発(処理できない高い線量廃棄物を含む)を推進し、他方では犯罪によって引き起こされた特殊な事件によって完全禁止してしまう。しかも生食文化などなくなっても社会に利益はないかのような判断だ。

 このバランスの悪さは何だろう。

 人の基本は自由である。だがこれを上手く利用できない人々がいる以上ある程度の規制はやむを得ないだろう。悪用する人間はいるからだが、基本「自由」を議論の根幹にしないと、何でもかんでも規制すれば済むことになってしまう。しかも規制は簡単な結論で頭を使うこともないし、規制機関をつくれば天下りもできるし、役人にとってはまるで蜜のようだ。
 しかし、こんな単純な結論を出させるために、国民は高給を出して役人を雇っているのではない。基本自由を根底にして、徹底した議論の中から最良の結論を導け、というのが国民の要請であり、それが役人の仕事なのである。
 もちろん国民側ももう少し落ち着いて考えなければならない。過敏に反応して、しかもすぐに忘れてしまうというのはあまり生産的な態度ではない。
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2012年06月09日

日本とアメリカの司法制度の違い

 最近"Law & Order"というアメリカのドラマに嵌っている。なぜこの番組が長らく日本で公開されなかったのか不思議だが、それはさておき、あまりにも日本の刑事機構と違うことに驚く。日本もアメリカも捜査をする警察と訴追する検察が別れているが、両国のシステムは全く異なる。陪審員制と裁判員制(試行錯誤の状態)という違いはまず置いておいておく。それ以前に驚くべき事が幾つもある。まず第一に証拠の扱い方の違いがある。
アメリカの証拠取扱は非常に厳しく、少しでも捜査に瑕疵があって取得した証拠は、弁護側から証拠排除請求されてあっさり証拠として使えなくなってしまうことだ。
 例えば、逮捕の際(あるいは取り調べの際)、ミランダ警告(Miranda warning)を明確に宣言しなかっただけで、そこで供述した内容は証拠能力を失ってしまう。
ミランダ警告とは、
1.You have the right to remain silent.
 あなたには黙秘権がある。
2.Anything you say can and will be used against you in a court of law.
 あなたの供述は、法廷で不利な証拠として用いられる事がある。
3.You have the right to have an attorney present during questioning.
 あなたは尋問の際、弁護士の立会いを求める権利がある。
4.If you cannot afford an attorney, one will be provided for you.
 自分で弁護士を依頼できなければ、公選弁護人を付けてもらう権利がある。

という4点の宣言だ。
 日本でももちろん黙秘権は認められているが、心証を悪くすると言うことや、強圧的な尋問に屈してしまう場合が多い。だからこそ裁判で供述が変わるのだろう。逆にアメリカでは、権利を明確にして供述を取っているから、裁判で供述を翻せば偽証罪に問われてしまう。
 また、日本では取り調べの際弁護士が立ち会うことも許されていない。これも大きな問題である。尋問する側は法的な知識も経験も豊かであるが、被疑者はそうではない。弁護士などの立ち会いがなければ、これに抗することはまず不可能だろう。なぜ改善されないのか不思議だ。
 証拠の取得には、適切な法の執行(デュープロセス)が重要視され、令状を取らずに証拠が挙がったとしても、全く証拠として認められない。また令状を取っても令状の捜索範囲外で見つかったものは、証拠として認められない。手続に関しては極めて厳格なのである。日本では、証拠なんだからいいじゃないか、というのが本音であり、実際そのように扱われているように見える。
 証拠の開示については、アメリカでは捜査で得たものは全て開示しなければならない。それが被告に有利に働こうが、不利に働こうが、それは関係がない。もし検察がそれを意図的に隠匿したなら、それだけで裁判は被告無罪で終わりになってしまう。一事不再理(ban of double jeopardy)があるから2度と同じ罪で起訴はできない。日本の場合には、証拠の開示は検察官の胸先三寸で決まる。訴追に不利益な証拠は、刑訴法で裁判で開示しなくてもよいことになっている。
 しかし、こんなことあり得るのだろうか。どんな証拠であってもそれが弁護側が検証できなければどうやって抗弁することができるのだろう。不思議でならない。

 アメリカの司法制度が必ずしも優秀だとは言えないが(司法取引にはどうしても疑問が残る)、それでも限りなく公平に扱おうという姿勢は、高く評価されるのではないだろうか。

 大阪で、紛失した証拠品のたばこの吸い殻を捏造した警部らがいたが、これはもちろん犯罪であり厳しく追求されなければならないが、アメリカならこれで他の証拠も証拠価値を失ってしまう。こんな警部の下では適切な法の執行をされていなかったと判断されてしまうからだ。つまり被疑者は無罪の判決を受けることになる。余談だが、この警部らが罪に問われ、有罪とされた時、果たしてきちんと懲戒免職(これほど事は重要である)できるだけの器量があるのか刮目してみるべきだ。アメリカなら長期刑と年金の没収という重い結果になるのは間違いない。
 情けないことに検察でも捏造事件があった。こういった人間は法曹界にいるべきではない。もちろん法曹資格剥奪という結果になるのが当然なのだが、大甘の日本でそういった決断ができるのか。検察止めて、弁護士に転身なんてことになるのではないかと、危惧する。

 近頃冤罪事件が多発しているのも、口幅ったい言い方をすれば、こういった法を厳格に遵守するという意識と証拠の重みを真に理解していない点にあるのではないかと思う。
 おそらく、日本の警察官、検察官、判事、それぞれもしアメリカでその職に就いていたら、被疑者を有罪にすることはできないだろう。それ以前にその重責に押しつぶされてしまうのではないか。
それほど重要な職に就いているのだという自覚して頂きたい。
冤罪は、人を「殺すこと」と同じなのだから。
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2012年06月01日

大飯原発再稼働?!

 なんともあざとい方法で大飯原発を再稼働させようとするものだ。橋本大阪市長の抵抗も残念ながら蟷螂の斧のようだ。巨大権力の前にはなかなか抗えない。なんとか次善の策を取ろうとしたのだろう。
 関西地区の電力供給がなんとか節電でこの夏を乗り切れそうだと目途が着いた途端、慌てて再稼働に動き出すとは、あまりにも稼働ありきの姿勢が見え見えだ。夏を乗り切ったなら、二度と再稼働の芽はない。な〜んだ問題いないじゃん、ということになり、維持可能エネルギーの開発にも拍車が掛かるからだ。それは原発推進派にとっては死活問題、死に損ないの獣が抗うのはもちろん事の道理、という訳だ。だからこそさぞおつむがよいはずの官僚、政治家、財界人、原子力ムラがこんな見え透いた策を弄するのだろう。いかに追い詰められたかが分かる。
 だが、日本の将来をまともに考える政治家なら、今年の夏くらい社会実験をすべきだ。3.11原発事故の検証が全くなされていない今、夏の一時期(僅か2,3ヶ月のことだ)だけで電力供給の実体が分かるし、それを参考に、高コストに耐えながら火力、水力を利用しつつ維持可能エネルギーを模索するのか、将来の子孫が運良く放射性廃棄物の処理ができるようになることを期待しつつ大量の核廃棄物を遺産として残し、現在の生活を謳歌するのか決めればよいことだからだ(いいじゃないか、その頃は誰一人として今いる人間は生きていないのだから、というわけか?)。
 僅か2,3ヶ月の実験なのだ。福島の人々が今なお過酷な状況に置かれていることを考えればなんのこともない。先ほども述べたように、多くの市民はそれを受け入れたのだ。それは立派な覚悟である。それを支持しない政府とは一体どこの国の政府なのだ? 一体誰の代理人なのだ?

 まずは3.11事故の検証が先だ。アメリカでは発災後4ヶ月あまりでとりあえずのレポートが提出された。だが日本政府はどうだ。世界に対しての加害者たる当事者が何のレポートも出さないというのは、どういうことなのか。

 本当に君たちは一体何者なのだ?
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2012年05月21日

自然エネルギーを蓄積する

 風力発電、太陽光発電、揚力発電などいわゆる自然エネルギーを利用した発電には大きな問題点がある。出力が安定しないことだ。これでは発電のベースとして委せるには少々心許ない。そこで蓄電器など電気を貯めるということが必要になるが、電気は貯めるのが厄介である。主流はリチウム蓄電池だがコストがかなり掛かりすぎる。そこで電気エネルギーを一旦別の形にして蓄える方法を考慮してはどうか。
 ここで紹介したいのが、水を電気分解してあるガスに変え、ガスを液体化して蓄積するという方法だ。このガスはもちろん可燃性で、これであれば熱に変えたり、動力に変えたり、更に再度電気に戻すこともできる。
 さて、ここで疑問に思われただろう。「水を電気分解すれば、酸素と水素ができ、この混合ガスは、爆鳴気という非常に爆発性の高い、危険なガスではないのか」と、更に「電気エネルギーを水を電気分解することに使い、さらに電気エネルギーに変えるのは効率的に問題がないか」ということだ。
 もちろん酸素と水素からなっているからといって爆鳴気ではない。オオマサガス((株)日本テクノ大政龍普氏)という特殊な状態にある単一のガスである。このガスは長らくその正体が分からなかったが、液化することで、まず爆鳴気ではないことが分かったのだ。
 名前からするとかなり怪しそうだが事実は驚くべきものである。実際に溶接用途として造船現場でも利用されている。融点3422℃、沸点5555℃のタングステンの板をいとも簡単に焼き切ってしまう。こんなことがあるのだろうかと思うくらいだ。更に、東京海洋大学海洋工学部伊藤雅則教授の元で、750Wのエンジンを回すことも確認されている。面白いのは、吸気口を完全に塞いでも動作する点だろう。ガス自体に酸素原子があるので燃焼には問題ないのだ。これなら水中でも使えそうだ。
 このガスは、液体化することで水素と酸素の混合気でないことが分かった。まずこのガスが混合気であれば、液化することによって、酸素の沸点は-182.96℃で液化ししかもその液体は青くなる筈だ。しかしこの温度でオオマサガスの色は無色透明であるから、このガスは少なくとも酸素を分離してはいないことが分かる。-230℃にしても液体のままである。酸素の凝固点は−219℃であるから、混合気であればこの温度では固体化していないとおかしい。しかも水素の沸点は252.6℃であるから水素が分離しているとすれば、気体でなければならないしかし気体は発生していない。このことを確認するためにラマン光分析器を使って測定してみると、水素も遊離していないことが分かった。
 これらの結果から、オオマサガス(これ以後HHOガスとする)は爆鳴気ではなく、酸素と水素が特殊な形で結合した気体ではないかと推察できる。このガスの凝固点は-178℃であることも分かった。
 更にこの構造が首都大学東京大学院理工学研究科 土屋正彦客員教授によって水クラスターに水素原子、酸素原子が包摂されているということが分かった。まだ謎は多いが、少なくとも新しい気体であることは間違いない。
 さてそこで、安全性についてだが、これもかなり安定しており、液化させて長期保存でき変質もないことが確認されている。そもそもエンジンを動かすことができるのであるから、それも宜(むべ)なることであろう。
 効率性については、はっきりしたことはまだ分からないので、期待できるレベルとしておこう(実際は言い切りたいところなのだが、それに対しての資料がないため)

 新しい物質というものの取扱は難しい、安全性、有用性、効率性、実用性など様々な事象について考慮しなければならないのは慥かである。しかしプロパンガスや天然ガスなどは既に危険でありながら有効性が高いということで規制しながら安全に利用されている。ならばHHOガスについても無為に避けるのではなく、積極的に利用したらどうか、というのが筆者の主張である。というのも既に述べたが、自然エネルギーを利用した発電は、どうしても出力が変動してしまう。その変動要因をこのガスに変換することによって担保したらどうかというわけなのだ。

 産総研では、まず爆鳴気でないということを証明しろとしている。これは既に証明されているので、産総研自身によって追試すればよい。追試して爆鳴気でないことを確認したのであれば、有効利用できるように政府に進言するべきだ。
posted by Serendipity at 22:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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